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阿B的流光曲
(8月のコンサート前の明報周刊インタビュー記事)

阿Bの人生はまるで小説のようだ。10歳の時に父母が離婚。母親は彼を育てるため外国で仕事を見つけた。住むところは定まらず、親戚の家を転々とする生活だった。阿Bは15歳で社会にでる。スターとして人気の頂点を味わいながらも、自己破産。阿Bは楽観主義者で、こんな風に語っている。「自分はまるで少林寺の修業で18銅人と戦っていく、といったような、かなり厳しい体験をして大人になっていったところがある。子供のころから孤独の時間や不安定な暮らしには慣れているから、適応能力がかなり強いと思うよ」阿Bは男らしく現実をしっかり受け止めているようだった。

阿Bのさまざまな困難は今始まったことではない。1996年頃、彼には悩み事がすでにたくさんあった。私は彼に言った。「ねえ あなたのファンはあなたがコンサートを開くこと、たくさんの映画にでることを、待ち望んでいると思うわ」阿Bはそれに対して、「ファンたちが我慢強く僕をまっていてくれていることはわかってるんだ。でも、個人的な問題が自分の仕事にずーっと影響をあたえていた。今自分自身ではっきり言えることは、ファンの人たちに対し、自分が持つ100%の力で応えたいってことなんだ。」

家庭らしい家庭のなかった子供の頃の彼が家庭をついに持つことになって、阿Bにとって、友情と家庭がもっとも大切なものとなった。本当にいろいろな経験をしてきた今の阿Bはこんな風にかたった。「もしあなたが僕にたいし、このくらいの好意を示してくれたら、僕も同じだけあなたの好意に報いるようにするよ。ただし、その反対に自分に対しあまりよくしてくれなったとしたら、僕もやはり同じようにはその人に対してよくはできないって思う。親族とは何かって?親戚だからって、契約を結んで一生のめんどうを見る必要があるとは限らない。他人が僕に対してひどいことをしたら、その人に対しよくしてあげることは難しい。」

阿Bはあまり話し上手ではない。話し上手ではない人は、いつも損をしてしまうことがある。「僕は少しくらい損をしてもかまわない。ぼくはね、なぜか損をする能力やそれに耐える忍耐力が十分にあるみたいなんだ。ただ、人を傷つけるのはいやなんだ。今まで自分自身が人に傷つけられることが多かったから。僕は自分を助けてくれた人のことは、決して忘れないよ。なぜかっていうと、そういう人はそれほどたくさんいないからね。」

「小さいときから自分のものがほとんどなかった。玩具なんて一つももってなかった。家庭を持つことにあこがれていた。だから、家庭を失うことがすごくこわかった。問題がおきても必ず解決できる。僕は自分が持つ全てのものを失うことはとってもこわかった。でも、あっという間に、全てを失ってしまったよ。間違いをおかしたけど、でも僕はまだ生きていける。僕は人前で笑い影で泣くといった種類の人間ではないんだ。」

「2人の子供が僕にとっては一番大切、子供の性格は必ずしも両親と一緒になるとは限らない。自分を例にとると、僕は小さい頃からずーと、自分で自分を救う方法をもっていたよ。」

ゲストが自分から参加を表明

これまでの話は6年前のインタビューのときの話。再び阿Bとペニンシュラホテルで話をする機会をもった。彼はかなり元気だった。「『新精武門』の撮影でジムに通いつめた。お腹に筋肉の割れ目ができるくらいがんばった。その後も昼間は運動、夜は音楽といった生活がつづいた。」阿Bは笑いながら語った。「今は人々がどんな風にして僕を脅かしても、腹を立てたりはしないとおもうよ。香港コロシアムでのコンサートはもともと日程をとることは難しかったんだ。張耀榮が助けてくれてコンサートの開催にこぎつけた。信じられないほど短期間のうちに、彼が林建岳に話してくれて、なんとか2日間を僕に使わせてくれるという話になったんだ。彼が早急に手配をすすめてくれて、あらゆる人に号令をかけて、コンサートの開催が決定してから開催まで準備期間は1ヶ月しかなかったんだ。僕は一週間で新曲を作り録音もしたんだ。その新曲は「環有イ求給我快楽」といって、みんなに感謝する歌なんだ。」

今回のコンサートは、阿Bにとっては10年ぶりのものである。その間、人生の喜怒哀楽を味わってきた阿Bは「本当だったら町の人々に僕はそっぽを向かれてしまうと思っていた。でもある八百屋のおやじさんは「チケットをかってみにいくからな」って声をかけてくれた。人間、行き過ぎたことさえしなければ、十分すばらしい生活がおくれるはずなんだ。20代の僕の人生は素晴らしいものだった、30代もよかった。なぜか40歳を過ぎて何かが狂っていった。色々な問題が起こるようになったが、でも全てが自分が自ら進んで起こしたことではない。今の僕には嫌な事でくよくよ悩む時間があるんだろうか?」阿Bは自分に強く言い聞かせるように「そんな時間はないと思う」

私は彼に忠告した。「阿B、あなたは口下手だから、記者とは話さないほうがいいわよ!」

「僕自らが話したいわけではないんだよ。ただ、マスコミが僕の身近な人間を追いかけて記事にするのが習慣になっているよね。マスコミは僕の音楽とか仕事のことについては何もきいてはくれない。人と人の間で、事実が歪曲して伝えわっていくことが多く、それに対し、僕は釈明する必要にせまられるんだ。」

「僕は人が自分をみて避けて逃げていっても気にしない。その反対に、逃げていくんなら、それはそれでうれしいかもしれない。(借金とりを揶揄?)今は物質的なことには執着がなくなった。衣食住の心配がない生活さえできれはいいって思うようになった。僕は破産した。負債総額が十分の一になっても返済は不可能。最低限の生活費を使い、仕事をして、残ったお金を返済にあてる。でも誰も僕からとりあげることができないものがあるんだ。それは僕のアーティストとしての才能、そして友達。」

「一番つらかったのがひとつの記者会見。ケリーチャンが僕にコンサートのゲストとして出演を依頼してきたときの記者会見だった。その時の僕の精神状態は不安定だった。それに、僕とケリーはあまりつきあいがなかった。それに、そのときの自分は、今後どうしていけばいいのか全くわからなかったしね。自分自身に問いかけてみたんだ。「コンサートの舞台にまたのぼることができるのか」って。結論を言えば、ケリーの申し出をうけ、僕は「前程錦繍」を歌った。観客は、僕を強く支持してくれた。そのあと、張耀榮が僕にコンサートを開かせようとしてくれたんだ。」

阿Bはいつもゲスト出演の依頼を快く引き受けてきた。「今回は僕自身が以前ゲストとしてコンサートに出たことのある、歌手たちの半分が自発的に僕のコンサートのゲストになるって申し出てくれたんだよ。」

ウイナーズ

阿Bは本当に音楽と歌が大好きだ。「よくバーでも歌うんだ。すごく楽しい。観客はもうお酒がはいってすでにハイになっているから、僕が盛り上げなくっても、盛り上がるんだよ。300人くらいの人々の前でちょっと王様気分でいいよ。自分の自信になるんだ。今回のコンサートでは、観客を元気づけるような歌も何曲か唄いたいって思ってる。」

阿Bの今回のコンサートは、そのタイトルでもある「真心をもって共に歩いていく」であり、今香港社会は大変なときであり、阿Bは大好きな香港のみんなを励まし、勇気を与えられるようなコンサートにしたいと考えているようだ。「幸いなことに僕って人間は記憶力が悪いんだよ。だからね、つらいことは、すぐ忘れてしまうんだ。ちょっといい加減ともいえるかな。だから損をしても気にしない。「楽しい」ってことが一番大切だとおもう。」

阿Bジュニアの話でも、嘘のきらいな彼は本音で話してくれる。彼がよくかんしゃくをおこしていたのはもう4、5年前のことになった。マスコミは昔のことを今のことのように間違って報道している。彼は今はすごくいい子になったよ。当事の彼はやっと物事がわかりかけてきた時期にあまりに多くの困難に遭遇した。不幸せな家庭、夫婦は問題をかかえていたし、友達との問題もあった。今は下の女の子がそういう時期を迎えている。僕は彼女がゴシップ記事を見たり聞いたりしないように、できるだけのことをしたいんだけど。でも、子供たちはいずれ大人になっていく。経験すべきことを経験していくっていうのは神様が決めちゃっていることだと思うよ。他人に僕の子供のことをいってほしくない。」

阿Bのおもしろいところは、彼はすごく正直で、彼の言動は実に率直で飾りがない。

ウィナーズについての話題になる。「僕たち5人は、誰と誰が特に仲がよいってことはないんだよ。でも5人が一緒になると、とたんに科学変化がおきるんだよ。」デビューしたころは、みんな子供で人生の苦さも味わったことはなく、お金もあまりなかった。仕事をしても給料は5人で分けなくてはならず、マネージャーの取り分を引くと残りはそれほど多くなかった。しかし、彼ら5人は、よく笑い、よく食べ、よく遊び、悪さもして、いたずら好きだった。

ウィナーズは結成から6年して、人気の頂点にたった。一番人気のあるグループになった。さらに、アランタムと阿Bはそれぞれが大スターにもなった。はじめ彼らは当時の麗的電視で仕事をし、その後はTVBと契約した。私は当時宣伝部の責任者であったが、実際のところ2年の経験しかない小娘にすぎなかった。法律を理解しておらず、ウィナーズがまだ麗的と契約が切れていないうちから、すでにTVBでの宣伝用のプログラムを撮影し始めてしまっていた。麗的は非常に紳士的な態度で、私に電話をしてきた。「ユニス、君は僕の面子をたててくれるよね。今とっている宣伝用のビデオは契約が満了してから放送するように手配してくださいね。」

クリスマスがやってきて、ウィナーズはすでにTVBで彼らの番組を持つようになっていた。宣伝担当の私はかれらのプロモーション用の映像を再び製作することになった。阿Bがヨゼフに扮して、アランタムが聖母マリアに扮するその映像は、本当に滑稽で、クレージーなものだった。アランタムは長編ドラマの「天虹」の撮影をしていた。後になってTVBを離れ、彼が台湾に渡ることを知ったTVBは、ドラマの中のアランに飛び降り自殺をさせた。連続ドラマの中で突然登場人物が消えていくことがあるが、ひとつには、こんな舞台裏があるためだ。阿Bも更なる成功を求めて台湾にわたった。李行監督の「小城故事」をとった。2人と台湾で数年を過ごした後、香港に戻ってくる。彼らは大成功をおさめ、ウィナーズという名は不滅のものとなった。

失恋によって傷つく

阿Bは今回のコンサートで新曲も古い曲もうたう予定だ。「ある歌は、観客に当時の輝きを思い出させるものになるかもしれない。みんなの心の中に、それぞれが忘れられない歌っていうのをもっているんだ。お金を払って僕のコンサートにきてくれるみんなは、そういう自分にとっての思い出の歌をききたいんだと思うよ。」

結婚をする前の阿Bはかなりいろいろな女性とつきあっている。背もたかく、ハンサムでさらには有名である彼がいろんな女性とつきあっても不思議はない。「でもね 僕はしょっちゅう失恋してた。失恋するといつも心は傷つく。でもそのときに特別な感覚を体験するから、曲が生まれる。もしそういう体験がなかったとしたら、すばらしい恋の歌なんてなかなか作れないよ。」私も阿Bの歌で忘れられないたくさんの歌がある。

「僕は映画のファン、歌のファンに対して、たくさんの宿題を提出してきたっておもうよ(よい仕事をしてきた)」

将来の展望だが、阿Bの考えは決して暗いものではない。「香港以外でも、大陸がある。大陸は本当に大きすぎるくらい大きい。様々な地方でパフォーマンスしても、なかなか全部を回り切れないくらい、大きい。それに、中国大陸は、大人のアーティストの天下だよ。大陸では、かなり大きな仕事がある。主役をやることだって、できるよ。」葛優や、姜文などの大陸で有名な俳優は、中年だけれども、非常に人気がある。若い役者はそれに対して、それほど人気があるとはいえない。「もちろん、彼らがF4のかわりをすることはできないけどね。中国では、まだ受け入れられない思想とかがある。そのため、香港や、台湾、日本などのアイドルスターは、隠れたところから、徐々に浸透していっているって感じだよね。」阿Bは、単にかっこいい役だけをやろうとは思っていない。6年前のインタビューで、彼はこんな風に語っている。

「僕は孫文を演じてみたい。彼のような歴史的な人物で、人のやらないことを自ら進んでやる強い意志の人物をやっていみたいな」6年前に彼がいったことと、今彼がいっていることが、一致しており、彼の考え方には、一貫性がある。6年前のインタビューの記録を私が必死になって探し出したのは、このようなことを確かめたかったからである。

中国は大きい。芸能人の数もまた多い。でも、中国はあまりにも大きいので、一生をかけてもツアーで回り切れないくらいだ。都心部の人であろうとも、田舎の人であろうとも、スターを見て喜ぶだろうし、スターは、階級差別的な考えをもつべきではない。みんなが喜んでくれたら、アーティストとしてはもう十分成功しているってことがいえる。このようなことを、阿Bは、ちゃんとわかっている。

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