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台湾明星コーナー
2002年11月号 香港ESQUIRE雑誌 NO.168より
「陶吉吉の黒色柳了哲学」 PART III

「孤独と寂寞は創作のよき伴侶」
陶吉吉も自分が「音楽の師父」と呼ばれるなんて夢にも思っていなかった。ファーストアルバムに取り掛かっていた頃、気持ちは決して穏やかなものではなく、「戦々恐々」としていた。「当時自分自身芸能人になるという心理的な準備が全くできてなかった。不安で一杯で、しり込みすらしていた。この2-3年間、大きなプレッシャーを感じでいた。常に自分が求める作品が非の打ち所のない最高のものでなくては許せなかった。精神的にあまりいい状態とはいえなかった。今の自分はかなりリラックスできるようになった。気分がよくないときは、そのまま気分がのらない歌を作る。以前のように、狭いフレームの中に自分を閉じ込めることはもうやらないつもりだよ。」
  孤独感は創作に携わる人間にとって忠実な伴侶であるのが常だといえるかもしれない。一人っ子に生まれた陶吉吉は、寂しさというものにはなれているはずだ。「僕にとって寂しさという感覚は矛盾を孕んだものだ。孤独は好きだけれども、でも必死にそこから逃れようともする。いろいろと探し求める中で、絶えず一つのバランス感覚を求めているような気がする。」 どうしたらいいか行き詰まったとき、陶吉吉は神の導きを求める。「宗教は僕にとって明かりを照らしてくれるもの。自分が迷ったとき、神の導きはいつも自分に力を与えてくれるものだ。人によってはそれがお酒をのむことによる逃避だったり、運動をしたり、友達と話をすることだったりする。そうして自分の感じるストレスを取り除いていく。僕はそういうとき、神に向かって問いかけ、祈る。そうすることで、力が沸いて来るんだ。神は必ず僕に答えをくれる。あるいは一つのヒントを与えてくれる。一つの象徴を与えてくれるんだ。」

「30歳の十字路」
3年間の沈黙の後、下界に戻ってきた陶吉吉は以前より身体がしまりし、よりさわやかな印象を与え、どうみても27、28歳にしかみえない。「30歳は男性の一生で一つの交差点だ。30代になった男性は人生における大きな転換期を経験する。まずはじめに、体力、健康状態、生理的なことに、大きな変化が訪れる。以前の自分だったら、徹夜しても全く平気だった。今の自分はもし2日間睡眠をとらなかったとしたら、元に戻るのに何日か必要だ。このような変化に直面するとき、事実と向き合う勇気をもつか、そこから逃れ、必死に抵抗するかだろう。僕自身は何かしなければと思い、身体を鍛えるようになった。更に自分に言い聞かせた。自分は進歩していかなければならないってことを。更に自分に対し、または他人に対して挑戦し続けていかなければいけないと。「人生死ぬまで勉強」ということを僕は信じている。30歳は人生の一つの始まりでもあるし、自分の人生設計を明確にする時期でもあり、回りの人間に対して責任を感じ始める時期でもある。20歳のときのように浮ついた気分ではいられない。」男性30歳。大きな扉を開き、そこにあるのは挑戦そして難関。自分がどのように生きていくか見極めなければならない時期なのだ。この数年間、陶吉吉は自分をリラックスさせることを学んだ。以前の執着し過ぎの自分から脱皮した。以前の自分は徹底的に完全主義者であったと陶吉吉はいう。自分の創作する音楽はいつも最高のものでないといやだった。そのために、目に見えない大きな圧力を自分にかけてしまっていた。もちろん、今の陶吉吉も自分の作品への要求はそれなりに厳しい。創作にたいしていい加減なところはない。ただ、人は大人になり、成熟していく。自分のことを、少しずつ調整していく術を身に着けていくものだ。自分に対し余計な圧力をかけるようなことはもうしない。記者は陶吉吉が芸能界、そして人間が一般的に重視する名声というものを本当に嫌っていることはないと思っている。ただ、陶吉吉はこういうものを強く求めるタイプではないことだけは事実であろう。このような芸能界のゲームにがむしゃらに没頭するようなことは陶吉吉はしないだろう。音楽作りに心酔し、自分のもつ能力を最大限に発揮する努力をするだけだ。結局のところ、「音楽の世界で永遠に一番でいられる人はいない」のだから。成功への道は、こういうことを、絶え間なく自分にいいきかせてこそあるのかもしれない。

インタビュー後、、、
アーティストというものは、気分屋で、他人への配慮にかけることが多いと思い込んでいた。そのため、インタビュー前に陶吉吉がこのような芸術家タイプで、あまり話をしてくれない人だったらどうしようかと心配だった。しかしながら、結果は、この独占インタビューは3時間にも渡るものになり、本当にたくさんの質問をすることができた。もしも彼に次の仕事が控えてなかったら、たぶん更に1〜2時間は話をきくことができただろう。話題は映画、音楽、更には最近アメリカでおこなわれている西蔵僧侶展にもおよび、陶吉吉はよくしゃべり、表情豊かに楽しそうに語ってくれた。その人が本来もつ真実の姿は、簡単につくられるものではない。映画を専攻した陶吉吉は自分でいうには、ウッディアレン映画の専門家だそうだ。映画の話がおわると、スタジオからBUENA VISTA SOCIAL CLUBの歌声が流れてきた。かれはすぐさま拍子をとり、身体でリズムをとる。身体の中の音楽の細胞が動き出す。インタビューの過程で、10数個の鍵盤しかない小さなピアノを使って、「愛、很簡単」をひいてくれる。それにはみんな拍手喝采で大喜びだった。陶吉吉と音楽、それは決して切り離せないものなのだ。。


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陶吉吉