弓を引絞った様な月の出ている夜。
月明かりも無く街のネオンも届かぬフソウの兵器演習場に一台のエアロダインタイプの車が止まっていた。
「確かにここなら誰も来ないでしょうね」
「せやろ? ここなら音出そうが地面に穴開けよーが怪しまれへん」
車内に灯りも付けず二人の男が何かを待つように座っていた。助手席の男は座席を倒し寝そべっており、運転席の男はハンドルに身体を預けている。
「逆に人に見つかったら言い訳のしようがありませんけどね」
「せやから念を入れて狗王に準備してもろうてるんやんか。 ほら、使いが来たで」
寝そべっていた男は、よっと身体を起こすとドアを開けた。同時に運転席の男も外に出る。真っ暗なはずの外に一点だけ蒼白く光る物体が近寄ってくる。
「…なんだか幽霊みたいで薄気味悪いですね」
「同意見やけど、言葉は判るみたいやからあんま変な事言うと噛まれるで」
二人が蒼白の狼に手を上げると狼はもと来た方を振り返り歩き出したが数メートル行った所でふと掻き消す様に消えてしまった。
「ほれみぃ。消えてまったやなか」
「客観的な一般意見だと思うんですが…」
取り合えず二人は狼の消えた場所に小走りで行くと、ぴたっと立ち止まる。
「……勝利?」
「結界やろ。狗王の張った」
今までと変わらぬ闇が目の前に広がるが二人共夜目は効く様訓練されている。がその二人ともその一辺より先がまったく見渡せないのである。小さく肩を竦め勝利と呼ばれた男は少し警戒する様にゆっくりとその闇の中に足を踏み入れた。すると残った男からは数歩行っただけの勝利の姿が完全に消えたのである。残った男は得体の知れないモノの前に少し躊躇したが結局行かないわけにも行かず、渋々歩を進めた。

「勝利殿、浬殿、入られましたら完全に結界を封しまする」
二人が入った空間は正に異空間だった。いや、地面の草や石は演習場のそのままなので別世界というわけでは無かったが中だけ昼間の様に明るい。しばらく目の焦点が合わなかったが明るさに慣れると回りが見渡せた。どうも周囲数十メートルか続いてる様である。しかしその明るさは光線によるものでは無く、何か薄っぺらい白い紙に地面と草と石を書いた様なそんな印象を受けた。
「外界とは隔離致しました。もし他人がここを通ったとしてもこの結果分は通り越し対岸に出るでござる。これなら思う存分動けるかと」
ただ驚き辺りを見回す二人の正面に何時の間にか狗王が立っていた。服装もいつものゆったりとした衣姿では無く、まるで羽織りの様な上着に割袴と見た目も動きやすい服を着用しいる。
「…ほんま凄いで。 正直たまげた。見ると聞くとじゃ大違いや」
勝利はただ苦笑しか出ない様子で首を竦める。浬もただ回りを見回すだけだった。
「空間を作り出しているわけではありませぬ故、それほどの事はありませぬ。初歩の応用、という所でしょうか」
「わいも使えたらな〜。いつでもどこでも自分だけの空間作れるやんか」
タネが判り余裕が出来たか勝利は軽口を叩く。が、狗王はそれに静かに笑い返しただけだった。
「でも勝利? 狗王殿にコレを作ってもらったのは判りましたが、どうするんです?」
「何って、稽古や。 浬も最近身体鈍っとるやろ?」
何でも無い様に笑い掛ける勝利に浬は唖然として聞き返す。
「い、今ですか?」
「浬とするん久しぶりやな〜。ええやんか、ちっとだけ遊びに付き合って〜な」
「な、ちょ、聞いてませんよ」
腕の筋肉を伸ばしながらゆっくりと広さを確かめる様に再度周りを見回し嬉しそうに勝利は話すが、浬は背中に冷たいものが流れた。
「だいじょぶやて、間引きや無うて木刀やさかい。 死にはせんやろ」
「……この前見ましたよ、缶切り無くて割り箸で缶詰真っ二つにしたところ…」
「缶詰よか丈夫やろ?」
「……無機物より頑丈な自信はありませんね。 第一、何も持ってきて無いじゃないですか」
「心配には及びませぬ」
二人の会話を黙って聞いていた狗王は、いつもより随分と絞ってある袂より符を2枚取り出し小さく念じる。と、2枚の符が淡く光ると同時に2本の木刀となった。
「術法によるまやかしは確かですが、実物である事もまた確か。お使いくだされ」
手にした木刀を二人に差し出す。勝利は笑顔で受け取るが、浬の表情は複雑だった。
「しかし、勝利が本気だと私の本気を出してもお釣りが出ますよ。合わせ稽古ぐらいでいいんじゃ?」
「…そうなんやけどな。対人っちゅ〜もんを身体の方にも思出ださせとかへんとアカン思うて、な」
木刀を軽く振り調子を確かめる勝利の顔から一瞬表情が消える。浬はその表情よりタダの気紛れや思い付きで言ってる訳では無い事を悟った。
「…判りました。でも殺されるのは御免ですからね。勝利が本気になる前に逃げますよ」
深いため息を付くと浬も木刀の感じを確かめ、大きく跳躍し数メートル離れ勝利と対峙した。
「ああ、それでかまへん。それ以上は本番にとっとくさかい…」
自分だけが聞き取れる程の呟きを漏らすと、静かに構えた。


 始めて数十分、頭に浮かんだ言葉は「話にならない」だった。
 当然そんなに全力で動けるはずも無く数分おきにお互い大きく間合いを外し調子を整えるのだが、息を整えるのも侭成らない所を向こうは息さえ切らしていない。攻防も受けるのが精一杯で自分の知り尽くしている同流派による斬撃だからこそ捌けているというのが正直な所だった。もし勝利が『闘う』のでは無く、『倒し』に来ているとすれば数分もっていないだろう。
「ふぅー。まさか、これ程の差とは、さすが宗家…というより、勝利自身、か。……ったく、やっぱり人間辞めちゃってるんですかね…」
同じ人間ではあるが、勝利がハイパーノーツと呼ばれる種である事は自分も薄々知っていた。宗家の人間が皆そうであるという噂も聞いている。しかし確証が無い為あくまで噂の域を出ていなかった。しかし、さも無ければあの動きや力を説明出来ない。自分も人並み以上には鍛えてる自信はあるし、それ故の限界というものを知っている。人は何メートルも飛べないし、残像が残る程の速さや、況してや鍛えている人間の視界から消える様な速さで動ける訳が無い。で、それを先程から何回覆されて来たか…。
「少しハンデがいりますね…」
やっと息が整い始めると、少しずつ呼吸をゆっくりにして行く。練気。そう呼ばれる呼吸法によりよく言われる「気」というものを体内で作り出し様々に応用する技である。しかし一般的には精神論の一つとして「気」というモノを用いており、実際どうこう出来る様なものでは無い。が、それを実際に操るのが東方守護家の6流派に仕える者達で、更に練気を行い実際に気を自由に扱える者達を西方守護家の「法師」に対し東方守護家の「術士」と呼ばれていた。
「勝利がいた頃はまだ練れなかったので…不意打ちぐらいにはなりますかね」
ゆっくり身体を倒し勝利との間合いを詰める。勝利もそれに呼応するかの様に間合いを詰めて来た。後数歩で間合いという距離まで詰めると浬の身体が、がくん、と地面のスレスレまで沈み込んだ。

浬の身体が寸前ブレて消えた。勝利は一瞬飛退くか踏み込むか躊躇する。が、判断を付ける前に身体が反応した。視界の更に下より逆袈裟に浬が斬り上げるのを咄嗟に身を捻り避わすと同時に木刀を返し手に突き下ろす。が更に浬は踏み込み勝利の背後の位置を取り峰の部分を片手で抑え背後から短く突いた。
「ちっぃ…」
始めて言葉を漏らす。浬はこの攻撃で自分が絶対的な流れを制したと思った…が次の瞬間、胸部に強い衝撃を受けて数メートル吹っ飛ばされていた…。

「まさか浬も術士やったとは思わなかったで。ちゅ〜てもわいがいなくなってからは英雄ん所おったんやからそんくらいは当たり前か。わいが甘かったんやな」
地面に片膝を付きながら激しく咳き込む浬に勝利が手を貸す。
「……かっ、ごほごほ……い、今のは?」
その手を無視して木刀を杖に自力で立ち上がると浬は涙目のまま勝利を睨んだ。勝利は差し出した手で頭を掻くと小さく肩を竦めた。タネ明かしをするつもりは無いらしい。そのまま、距離を置こうと後ろに下がった。浬も睨んだまま木刀を構え直す。と、今まで離れて見ていた狗王が何時の間にか浬の横に立っていた。
「蹴られたのですよ、あの間合いで」
「…どうやって? あの距離じゃ脚を上げる事も出来ない」
視線は勝利から外さず狗王の解説に不服そうに呟く。狗王は浬の半歩後ろに下がり解説を続けた。
「浬殿の突きを返し手のまま後手に振り抜き、柄で浬殿の木刀を弾くと同時にその勢いのまま一回転して蹴り上げたんです」
狗王の口調にも俄かに信じがたいという雰囲気が混じり、淡々とした口調だった。浬はその説明に苦笑を漏らす。
「見もしないで背後の、木刀とはいえ刃の部分を柄尻で弾いて、あの長身を腰よりも低い位置で一回転させて蹴り上げた? 信じられませんね」
一瞬視線を勝利から狗王に移したが、いつも変わらぬ狗王の表情も少し呆れ気味な苦笑を漏らしていた。冗談や推測で言っている訳では無い事がその表情からも見て取れ、自分も苦笑いを浮かべ改めて勝利に視線を戻す。と、こちらの会話が聞こえていたのだろう、勝利は小さくニヤっと笑った。どうやら正解らしい。浬も苦笑を返したが背中に冷たい汗が流れる。壬井流は確実に相手を倒す事だけを考えた流派で派手な技やトリッキーな技はほとんど無い。まったくリスクを負う事無く敵を倒す、一突きで倒す自信のある技でも三突き入れる、そんな流派だ。そこで生まれた頃からやっている勝利は骨の隋までその訓えが叩き込まれているはずだった。当然今の一連のトリッキーな動きも失敗や反撃されるというリスクを端から念頭に入れた上で、自信があってやった事だろう…。浬はどうやっても勝てない事を再認識させられ木刀を持った手に汗が滲んだ。そして勝利に、もう終わりませんか、と声を掛けようとゆっくり木刀を下げた時、狗王が横に並んだ。
「以後は拙者が浬殿に助太刀申し上げまする。勝利殿も稽古故、異存ありませぬな?」
狗王は勝利に軽く一礼し両手を絞った袂に入れたまま、軽く前に突き出した独特な構えを取る。浬は驚いて振り向いたがそれ以上に勝利が驚いた声を出した。
「狗王? 二対一とは言え、そら無茶や」
構えを解いたまま勝利が困った様な顔をするが、狗王は構えを崩さない。
「心配御無用。東方の術士に操気術があるように、西方の法師にも武闘法はありまする。勝利殿や浬殿には敵いはしますまいが、手間纏いにならぬ様いたします故」
勝利は狗王が口からでまかせで無い事が構えから判ったのか構え直すとスっと目を細めた。浬は二人を交互に見合い、ため息を付いく。
「…これが最後ですよ」

 最初に動いたのは狗王だった。正面より間合いを詰め前方に構えたままの両手を勝利の目の前で左右に振る。袖で一瞬視界が遮られるが勝利は冷静にその合間を突いたが袖の向こうには誰もおらず、狗王は大きく屈み込み勝利の脚を手で払う。それを半歩下がって避けると突いた木刀をそのまま振り下ろすが狗王も半身で避け、踏み込みながら下から一気に手を跳ね上げた。しかし、それを読んでいた勝利は振り下ろす木刀を強引に止めその手を横に薙ぎ払う。が、狗王のその手は止まらず跳ね上がると、逆脚を踏み込み勢い良く勝利の肩口に振り下ろされた。勝利は身体を捻りながら肩をずらすとその手を瞬時に引き戻した木刀で受け止める。流れ、纏わりつく様な狗王の動きを一瞬止め、力で押し返しながらガラ空きの胴へそのまま打ち込もうと踏み込んだ瞬間、狗王の影より浬が大きく斬り込み、勝利は片脚のみで後方に大きく跳躍した。

「いや、驚いたで。刀使いには無い動きや。法師と戦る時は今度から体術も気ぃ付けた方がええな」
間合いを大きく外し、正直に驚いた様で顔から殺気が消えている。浬も正直狗王の以外な動きに驚き、どう連携を取っていいか判らない程だった。しかし、狗王はまたさっきと同じ構えのまま勝利を見詰る。
「勝利殿は一度も拙者を見ておりませなんだ。浬殿ばかりを追っていた様子…」
「そんな事無いで、正直やられるかと思うたわ」
勝利は笑顔のまま頭を掻くと木刀で狗王の構えている両手を指す。
「…で、そん中、何仕込んでるん?」
狗王はその質問に無言で構えを解くと、両手を袖から出した。
「…鉄扇?」
狗王の両手には二つの鉄扇が握られていた。鉄扇とは名の通り鉄で出来た扇子で普通に扇子としても使えるが、綴じで打撃、広げて斬撃と用途によって様々な動きを見せる。その分扱いに相当な熟練が必要だった。
「はは、鉄扇とはな。わい、鉄扇術見るん初めてやわ。こら勉強になるで」
遠間より鉄扇を興味深そうに眺めていた勝利は嬉しそうに笑うとまた木刀を構え直した。逆に厳しい表情のまま狗王もまた両手を袖の中に入れ、今度は浬の後ろに付いた。
「勝利殿は楽しんでおられる…やはり体術では話にならぬ様子。拙者は全力をもって援護致しまする故、浬殿…」
「……それでは最後に二人で勝利に一泡吹かせますか」

 狗王がゆっくりと両手を上げ何事か呟く。すると結界はゆっくりと本来の闇の中へ溶けるように消えていった。
「さて、帰ろか」
周りを見回し変わらぬ風景に満足すると二人を促す。しかし、当の二人からの返事は無い。
「勝利、あなたは疲れて無いんですか…」
地面に座り込んで空を見上げていた浬は飽きれたような声を出す。
「わいも疲れとるで? せやから早〜帰ろ言うとるんやないか。 あ、帰りに何か食ってく? ファミレスとかならまだやっとるで」
振り返ると浬はがっくりと項垂れていた。もはや何も言う気は無いらしい。
「勝利殿のお言葉嬉しく、恐縮なのですが…拙者はまっすぐ帰りたく思います……」
狗王も那威に寄りかかる様に手を付き申し訳無さそうに頭を下げた。思えば二人と同等に動き、更に結界の維持もしていたのだから精神的な疲労感は二人の比では無いのだろう。浬も狗王の言葉に黙って手を上げている。
「わーった。ほなわいが運転したるさかい、二人とも車行こか」
「持ってきて下さいよ…ここまで」
浬がまたぼそっと呟く。と、先に車に向かっていた勝利は勢い良く振り返った。
「甘えんなぁっ! 狗王の頼みならまだ判るが、わいが男の注文聞けるかっちゅ〜ねん」
振り向きざまに蹴り出した石ころは違わず浬に命中すると浬はドサッとその場に倒れ臥した。狗王は些細な事からの余りの仕打ちに目を丸くして固まっている。
「ったく、ち〜と感謝して甘い事言うとすぐこれや…。 そこの馬鹿は朝には気付くやろ、さ、狗王帰ろか」
当然という風に車の方へ歩いて行ってしまう勝利に何とも言えぬ苦笑を漏らし、狗王は那威にそっと浬を連れてくるよう耳打ちした。


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