どんな都市でも必ずといっていいほど『穴』は存在する。それは都市が大きければ大きい程出来る場所だ。区画整理の狭間や様々な企業の立ち並ぶビル街の隙間…彼らの探し当てた場所もちょうどそういった場所の一つだった。
「駅からはちょっと遠いし日当たりもいいとは言えないんですけど、健一さんの言ってた条件でしたら今はここしか無い様子で……」
ベランダに出て外を眺めていた俺の後ろで彼女は部屋の説明をする。
俺はぐるっと外を見渡し別段問題無いのを確かめてから部屋の方に振り返った。
中は暗く陽を背にして部屋を眺めている俺とは対称的に彼女は少しうつ向いていてこっちから表情はわからなかったがきっと不安そうな顔をしているのだろう。
部屋に入りベランダの戸を閉めると、やはりそこに不安そうな彼女が立っていた。俺はそのまま彼女に近寄り、
「よく短時間で部屋を見つけられたね。俺はいいと思うんだが・・・」
と言って彼女の肩に手を置く。一瞬嬉しそうに顔を上げた彼女だがすぐに視線を落とし肩の手に目をやり、
「…何か?」
と消えそうな声で訪ねる。
俺は彼女をそのままにして台所まで来ると見回す。
「うん!台所も広い、と思うんだが…私生活においては俺より美姫ちゃんの方がこの家をよく使う事になると思うから…もちろん俺も色々出来ればいいが…この部屋は美姫ちゃんがいいと思ったら決めよう。どうだい美姫ちゃん、この部屋は気に入った?」
後ろから付いてきた彼女に振り返ると彼女は驚いた様な顔をしていたが、
「は、はい。私は凄く…ですがその様な事で決めてしまっては……」
すぐに不安そうな顔をする。
俺はその顔にため息を付くと彼女に近寄り頭に手を置く。
彼女はハッと顔を上げた。
「いいかい、ここは二人の家になるんだ。当然これから生活のほとんどを美姫ちゃん任せになちゃうと思う。もちろん俺もするけど、どーも苦手で……もう女中さんじゃ無いんだ、自分の思う通りに……これからは俺達だけで、ゆっくり生活していこう」
俺は頭をぽんぽんと叩きながら言い聞かせる様に話す。
彼女はうつ向いたままそっと俺に寄り掛かり、
「わかりました」
と呟いた。
しばらくのあいだ肩を抱いていると彼女はは胸から顔を上げ、
「では、さっそく不動産屋さんの方に連絡をとらないと…それと私物も少し運ばなければいけませんし」
そう言って胸に手をやりそっと離れようとしたが俺の手の力を跳ね除けられなかった。
「あ、あの、健一さ…んっ……!」
驚いて顔を上げた彼女はそのまま固まる。
沈みかけた陽の光は部屋を照らし、壁に一つの影を作りだした。
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そもそも同棲生活するきっかけになったのは美姫ちゃんからの一本の電話だった。
『お話ししたい事があるんですけど……』
彼女からの始めての電話で俺はちょっと舞い上がったのかもしれない。ろくに話しも聞かずに二つ返事で約束するとすぐに彼女の待つホテルのロビーに向かった。
彼女はロビーの一番隅の席でじっと俺の事を待っていた。俺は彼女の向かい側に座ると彼女の話しというのに期待胸膨らませてたのだが彼女の複雑な表情に、別れ話等さまざまな不安が頭をもたげてきた。とても軽くおしゃべりする雰囲気じゃ無く、俺はじっと彼女の言葉を待った。彼女はしばらく黙っていたが意を決した様に顔を上げた。
『あの、旦那様にお暇を出されました。今日中に出ていく様にと……それで取り合えずここに来て…どうしたらいいか分からなくて…瓜畠さんにご連絡したんです』
俺と付き合ってる事がバレて?と聞くと彼女は黙って小さくうなずいた。焦ったね。彼女からどうして女中になったのかとか聞いてるから暇を出されるのがどういう事か…俺が動揺してるのが彼女にもわかったのだろう。慌てて付け加えた。
『いえ、心配なさらないで下さい。あくまで私一個人へ暇を頂けたのですから、多分千冬さんや他の皆さんが旦那様を説得して下さったのだと思います』
あの悪徳商人がそんな気を回してくれるのか疑わしかったが、取り合えず彼女の言葉を信用する事にした。それで彼女にこれからどうするか聞く。
『今日言われて今日出てきたので……もともと私物は少ないので手間取りませんでしたから今日は取り合えずここへ部屋を借りました。明日からの事はまだ……』
俺は自分のニブさを呪った。悪徳商人の人達も彼女にホテル暮らしさせる気で出したわけではないだろう。彼女はうつ向きただじっとしている。 彼女は当分喋らないだろう。
この間のあいだに俺は人生で間違いなくベスト3に入る勇気を溜め、彼女を正面に見据えやっと一言いった。
「一緒に住もう」
彼女は驚いて顔を上げしばらく見つめ合った。
そして彼女は最高の笑顔でうなずいてくれたんだ……