Angel Birthday 9


 男にとどめは刺さなかった。
 下種め。
 その死の瞬間が訪れるまで苦しむがいい。
 わたしはその肉塊を放置したまま、階下へ降りていった。
 酒場ではおかみさんが年甲斐もなくルードヴィヒを必死で口説いているところだった。
 だが、彼がそれに応じることはない。
 おかみさんはわたしの気配に気づいて、怪訝そうにこちらを振り返る。

「なんだい? 随分早かっ…。」

 言いかけた台詞が途中で止まる。
 おかみさんは目玉が落ちそうな程に目を見開き、わたしの服にべっとりとついた血の染みを凝視していた。

「…終わったか。」
「ええ。」

 他者などそこに存在しないかのように、ルードヴィヒとわたしは言葉を交わした。
 彼女は何がどうなっているのか理解できない、といった風情で彼とわたしの顔を交互に見る。
 
「…派手にやっちゃった。」

 ぺろり、と舌を出したわたしにルードヴィヒは「解っている」と頷いた。
 そして無言のまま鶏でもとらえるかのように、傍らの女の首を捕まえる。
 おかみさんはここで初めて怯えの色を見せた。

「な、何をするんだい?!」

 だが、叫んでももう遅い。
 ルードヴィヒは彼女の首筋に容赦なく牙を打ち込んでいた。
 新しい血の臭いがわたしの鼻腔をくすぐる。
 わたしは思わず舌なめずりをしていた。

「どうした?」

 情婦の叫びを聞きつけて、おかみさんの男が奥から怪訝そうな顔をのぞかせた。
 そして、ルードヴィヒに捕食されている彼女を見つけて恐怖の表情を浮かべる。
 彼の口から新たな叫びが発せられるよりも早く、私は動いていた。
 男の筋肉質の喉元に思い切りかぶりつく。
 わたしの口腔一杯に、血の味が広がった。


 わたしとルードヴィヒは狩りの成果をそれなりに満足として娼館を離れた。
 彼はこの街を出ていくつもりのようだ。
 わたしにももうこの街の留まる理由などない。

「フィーナ。」

 わたしの名を呼ばれたのだ、ということに気づくまでに一瞬の間を要した。
 セラフィナ。
 フィーナ。
 うん、いいじゃない。

「何? ルーイ。」

 わたしはにっこりと笑ってルードヴィヒの顔を見上げた。
 彼のアイスブルーの瞳がわたしをまっすぐ見つめている。

「どこへ行きたい?」

 わたしは片手を顎に当てて考え込んだ。
 覚えている限り、わたしはこの街を出たことが無いのだ。
 一生あの館から出られないものと思っていたわたしに、行きたいアテなどある筈がない。
 だが、暫し考えるうちにわたしはいいことを思いついた。

「じゃあ、こうする。」

 わたしは道ばたに落ちていた木ぎれを拾うと、それを地面と垂直に立てた。
 それから手を離して、木ぎれが倒れるに任せる。
 乾いた音がして木ぎれは一方向を示し、道に横たわった。

「あっち。」

 運命の枝が示した方角を、わたしはその通り指で示した。
 ルードヴィヒは頷いてそちらの方向へ足を向ける。
 わたしがそうっと彼と手を繋ぐと、彼は僅かに微笑んだように見えた。
 そして、わたしたちは静かに歩き出す。
 月がわたしたちの行く手を照らしていた。


<終劇>

#予想より少し長引きました。(^^;
#この後セラフィナはまたいろいろな事態に巻き込まれますが、それはまた別のお話。






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