病院へ行こう! その6


 帰りの便として渡されたチケットに燦然と輝くクラス表示<S>。
 それはあたしを驚かせ、殆ど茫然状態にしたといっても過言ではなかった。
 何が違うって、まず搭乗口そのものが違った。
 Sクラスシートの乗客には専用の搭乗口が用意されていたの。
 周りは会社でも上の方の役職に就いていそうなビジネスマンの方々や、綺麗なお召し物を纏った女性達。
 どう考えてもあたしが気軽におしゃべりできそうな雰囲気じゃない。
 
「そんな怯えた子犬みたいにびくびくする事ないわよ。
 私達だって正規のチケット持ってるんだから、胸はってればいいの。」

 真奈美さんはあたしの様子に苦笑しながら、安心させるようにあたしの頭をぐりぐりと撫でた。
 やがて、時間が来て他の人々に続いて機内に入ることになる。


 機内に入ったあたしは、次々起こる出来事に開いた口が締まらないという状態になってしまった。
 まず、案内された座席はコクピットのすぐ後ろ、他のクラスのシートよりも少し高くなった場所。
 室内の丁度はどこかの高級ホテルのようだ。
 いつも乗っているエコノミーの席や、行きに利用したビジネスクラスの席とは全然違う待遇。
 これが、同じ宇宙シャトルの中なのだろうか。
 ふかふかの椅子に腰を預け、高級そうな絨毯の上に備え付けてあったスリッパに履き替えた足を置きながら、あたしは目を回していた。
 お約束の船内アナウンスで搭乗に際しての説明がなされた後、パイロットと副操縦士(確かコパイロット、って名乗った)がわざわざ座席まで挨拶に来てくれる。
 きちっとした制服に身を包んだ確実にあたしより年上で威厳もある彼らに、あたしはちゃんと挨拶を返せていたのかどうか自信がない。
 それ程、あたしは動転してしまっていたのだ。
 だが、真奈美さんは相変わらず落ち着いた様子だった。
 離陸してすぐ、客室乗務員のお姉さんに飲み物を頼んでいる。

「テキーラ下さいな。 あ、勿論塩とライムをつけてね。」

 それから、あたしの方に向き直ると真奈美さんはにこにこしながら言った。

「どうやら、食べ物も飲み物も何頼んでもいいみたいよ。
 よしゆきちゃんも何か頼んだら?」
「……真奈美さん、随分と落ち着いてますねえ……。
 ひょっとして、Sクラスの宇宙シャトルにも乗ったことあるとか……。」

 あたしは何となく上目遣いで真奈美さんを見上げる。
今まで起こる全てのことに、あたしだけが右往左往している気がしてすこし悔しかったのだ。
 だけど、流石の真奈美さんもあたしの質問に少し目を丸くした。
 
「そんなことないわよ。 私もはじめて。
 ……でも折角の機会、折角のご厚意なんだもの。
 楽しまなくちゃ損だなって思ってるだけ。」

 彼女は、いままでずっとそうして生きてきたのだろうか。
 凄く前向きな姿勢だな、と思う。
 ……う〜ん、少しはあたしも見習わなくちゃいけないのかもしれない。
 あたしも、彼女を見習ってまず食べ物と飲み物を頼むことにした。


 シャトルがサングロイア宇宙港を離陸してから少し経って、あたしが頼んだストロベリー・パイとロイヤルミルクティーでお腹を満足させていた頃。
 真奈美さんは手持ちぶさただったのか、自分のバッグから出した小さな工具で何やら工作をしていた。

「出来た。」

 真奈美さんは小さなネジを止め終わるとにっこりと笑って工具をバッグにしまう。
 彼女の手の中には彼女が先刻、理沙さんにあげていたのと同じような黒っぽい小さな板がのっている。

「よしゆきちゃん、よしゆきちゃん。」

 彼女は嬉しそうに含み笑いを漏らしながら、あたしの方に手招きをした。
 それに応じて顔を向けると、真奈美さんは手元のカードについているダイヤルとスイッチを操作する。
 理沙さんの部屋で天使の立体映像がそのすぐ上に現れるのを見ていたあたしは、今回もてっきりそうなるものと思ってその空間を見つめていた。
 だが、何も起きない。

「なんですか、一体?」
「ね、よしゆきちゃん……”グレムリン”って知ってる?」

 不思議に思ったあたしが首を傾げると、真奈美さんはあたしの質問には直接答えずに逆に質問を返してきた。

「えっと、確か電子機器に悪戯をする悪魔……でしたっけ?」
「正解。」

 真奈美さんは先生が良くできた生徒を褒めるように目を細めると、空いている方の手であたしの背後を指した。
 それにつられてあたしが視線を移すと、丁度シャトルの窓から見える翼の部分に何やら翼を持った人物が座っている。

「え……えええっ?!」

 驚いたあたしが窓辺は思わず窓辺にはりつくようにして、その人物の事をよく確かめようとした。
 すぐ外は宇宙空間。
 しかし確かに、空気も存在しない筈のそこに翼を持った金髪の女の人が座っている。
 でも、流石のあたしもぴん、ときた。
 これ、真奈美さんの仕業だ。
 あたしが疑いのまなざしでゆっくりと彼女の方を振り返ると、彼女は悪戯が見つかった子供のようにぺろりと舌を出している。

「ま〜な〜み〜さぁぁん?」
「ご明察。
 この装置の光屈折率をちょっと変えてみたの。」

 あたしがわざとゆっくりと訊くと、彼女はあまり音がしないように拍手をした。
 と、その時。
 後ろの席からざわめきが聞こえてきた。

「うわあっ、なんだあれは?!」
「ひ、ひとだ! ひとが宇宙空間に?!」

 どうやら、他の乗客も真奈美さんの出した立体映像を発見してしまったらしい。
 真奈美さんもそれを聞きつけて、しまった、という表情になると慌てて手元の装置を操作した。
 シャトルの翼に座っていた天使の姿が一瞬でかき消える。
 だが、消えたら消えたで「消えたぞおおっ!!」という大きなどよめきが起こった。

「にゃははは、失敗失敗。」

 照れたように頭を掻く彼女の頬は、適度なアルコールで桜色に染まっている。
 やっぱり、真奈美さんを見習うのはやめよう。
 あたしは心の底からため息をついた。


<終劇>




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