本心の在り処



「え?」
 あたしの声が聞こえなかったのか霧香が聞き返した。
 ここは街外れで人通りも少なく騒音もない。ということは、あたしの声が小さ過ぎたのだろうか。
「あんな無茶はしないで」
 もう少し大きな声でさっきと全く同じ言葉をあたしは言った。
「…ごめん」
 言葉とは裏腹に謝罪の気持ちは態度に表れていなかった。むしろ不服そうな顔をしている。
 確かにあの時、霧香が命の危険を冒してまで体を張っていてくれていなければ、今あたしはここに存在していなかったかもしれない。
 今し方、買い物帰り街を歩いていたところを複数の男達に襲撃された。
 ソルダの差し金の奴らではないのであろう。狙われていたのはノワールではなく、あたしひとりであったからだ。
 人から恨まれる憶えはごまんとある。あり過ぎていちいち憶えてはいない。
 だからいつどこで誰から命を狙われても不思議ではない。その心構えも備えているつもりであった。
 だけどソルダの一件以来平穏な生活がしばらく続いていたため心に油断が生じていたらしい。咄嗟の判断に鈍りが出た。一瞬の判断ミスが命に関わってくる。
 もしもあの場に、霧香がいなければ…。
 あの時、霧香が身を挺してくれていなければ…。
 けれどそれはいい。
 それよりも、あたしは霧香がそうなってしまった時の方が恐ろしかった。
「いくら超人的な反射神経をしてるかしらないけど、あんたもただの人間なのよ。弾丸に当たれば血も出るし、当たりどころが悪かったりすれば…」
 その先の言葉は考えるだけでも怖くて口に出せなかった。
「さっきはたまたま当たらなかったからよかったものの、もしあんたの身に何かありでもしたら…」
 あたしはそこまで言うと口をつぐんだ。
「何かありでもしたら?」
 霧香があたしの顔を覗き込むようにして続きの言葉を促した。
 あたしは霧香の目を見つめたまま黙り込んでいた。霧香と視線が絡み合う。
 沈黙…。そして沈黙。
 静寂の中、時だけが過ぎていく。
 どのくらい時間が経過しただろうか。
 ようやくあたしは重い口を開けて、
「何かありでもしたら…」
 と、もう一度同じ言葉をくり返した。
 そして、あたしは口元を緩めて、
「誰があの部屋を掃除するのよ」
 と、ジョークめかして言葉を続けた。
「そうだよね」
 霧香も表情を和らげ頷いた。
「部屋がゴミの山になっちゃうかもね」
 と、霧香は言葉を付け足した。
 それは何でも言い過ぎだろう。
「ミレイユ。私も同じだよ」
 霧香の真剣なその言葉に心臓がドキリとした。
 言わなかったあたしの本心を見抜いての言葉だと思ったからだ。
 けれど次の言葉で拍子抜けした。
「もしミレイユに何かあったら、炊事は誰がしてくれるの?」
「そうね、あんたはまともなもの何一つ作られないものね。料理の才能ゼロよね。っていうかマイナス?」
 あたしは茶化しながら言った。
 事実を言われたためか霧香は何も言い返してはこなかった。
「さ、帰りましょう」
 あたしは霧香の手を取った。
「うん」
 霧香は頷いてあたしの手を握り返してくる。とても温かい手だった。
「家に着いたらとびっきり美味しい夕飯を作ってあげるわね」