あしあと & 音盤紹介

 

1976年 六本木ミスティーでジャズ・ヴォーカルとしてデビュー         

1977年 デビューアルバム「SHUN」リリース

今考えたらとても恐ろしくなりますが、レパートリーは12曲しかないままに、若さと本能の赴くまま六本木ミスティーでデビューしたのが1976年。それから半年後、なんだかよくわからないままにレコードを出すことになったんですね。レコーディング前日に、ふと気になったことがあって渋谷さんに電話、「どのレコードもステージで聴いたときより迫力がないっていうか、大人しいっていうか、レコーディングというのはしずかにやるものなんですか?(なんと愚かな!)」と尋ねたんですが、「いや、あのね、どうしてもレコーディングの時は緊張するもので、俊はね、いつも通りやればいいのね、いつもライブでやっているみたいにウワーッて」と励ましのお言葉、「ああ、そうですか、ならばやれます」と出来上がったのがこのレコードなんですね。我ながらつくづくあきれてしまいますが、デビュー作としてはね、みなさんどうですか?

 

     1978年 「Love Song」リリース

ロス郊外にあるプロデューサーの家に寝泊りすること1ヶ月、初めてのアメリカは驚きの連続でしたね。昼間はとても人様には離す事のできないようなことをして遊びまくって、夜はレコーディングの毎日。体育館みたいに広いスタジオでブースもなくって、ライブみたいにせいので録音するのね、初めてのことばかりでびっくりだったわ。エンジニアのジーンがストーンズの「Honky tonk woman」を録ったんだよ、なんて教えてくれたりして仲良くなったんだけど、今はもう思い出のヒトコマね。

 

            1979年 「My Imagination」リリース   

教授や幸弘さんがYMO結成寸前の頃のレコーディングで、スタジオには中村達郎さんが新しくリリースされるアルバムのジャケットの色校を持って現れたり、なんだかみんな好きなことやってたわね。このアルバムも例によって路線みたいなものはなくって、歌いたい歌を集めたらこうなってしまったのね。再デビューした頃、「俊ちゃん、10年前にこんなことやってたの、これは今よね」なんてよく言われたなぁ、今はクラブなんかでかかってるみたいね。

 

  デンオン・ライブ・コンサート200回記念特別セッション「カレイドスコープ」の制作に参加   

マキさんに会ったのはこのアルバムを作る時が初めてで、色々なミュージシャンが集まって録音したんですよね、香津美さんがみんなをまとめてたけど大変だったろうな、「Maiden Voyage」は難しい曲で私も大変だったわ。マキさんは今でもお互いのライブに行ったり話したりするけど、彼女はあの頃もうスターだったけど、昔も今も浮世離れしてていいなぁ。そういえばあの頃って、もうアメリカ行きが決まっていたんだけどいろいろな方とのレコーディングがあってね、沢井原児さんの「CITY VIBRATION」の中でも歌ってるのよ。このアルバムはアメリカへ行ったりと、なんだかんだで手許になかったわけです。それがね、函館にたびに行った時、ライブ前の空き時間に散歩に出かけた太田君が、ふと立ち寄った中古レコード屋さんでこれを見つけてプレゼントしてくれたのね。とても嬉しかったわ、太田君。

 

その後、1979年からマンハッタンに住み始め、あの時代のあの町を存分に楽しんだわ。そんななかでジョン・レノンが撃たれた日のことは鮮明に憶えてる。町中が悲しみに沈んでいくのが手にとるようにわかって、テレビでは真冬のダコタハウスの前で、真っ白いシャツのPhoebe Snowが怒りに震えていた姿に今でも胸が痛くなるなぁ。日本に戻ってからは家庭に入って子育てに専念し、歌を歌いたいという欲望もなく長い時間を過ごしたのね。でも、子供が小学校に行く頃にはそわそわして無性に歌いたくなり、再びステージに立つことになったわけなんだけど・・・。

 

  1987年 新宿PIT-INNにて復帰ライブ  

  1991年 「香港ブルース」リリース

この頃は10年近く遠ざかっていたので、もう全然状況把握ができてなくって、渋谷バンドだけでPIT‐INN、じろ吉、CAYなんかで月に3本くらい、後はジャズフェスなんかも毎年出たりしながら5〜6年やりましたかね。「買物ブギ」と「愛燦燦」は復帰後初めてのステージから歌っていたんだけど、いざ録音となった時に入れることができなかったのね。どうしてかって?それは勇気の問題、意気地がないというか、まあ、自立してないというか・・・。そうそう、「香港ブルース」は出来てくるまでアナログ盤がくると思ってたのね、でも手にとったらCDだったのでショックで、生活の中にはCDあったんだけど、自分のはアナログだろうって・・・。

 

         1996年 「買物ブギ」リリース

渋谷バンド解散後、片さん、栄ちゃんを中心に様々なミュージシャンと演るようになっていって、渋谷時代に現場で学んだこと、教えて頂いたことを出していくというか、試行錯誤していくというか、そんな毎日でしたね。渋谷さん達に「買物ブギ」を初めて演るって言った時は、皆が「エーッ」「本気で演るの?」の繰り返しで、でも、演ってくうちに皆好きになっちゃってね、次のバンドになった時は無論殆どのメンバーが日本語のなんぞ演ったことがなかったのに、抵抗がないというか、すんなりと受け入れられる態勢があったんですね。なんだか初めての感情が湧いてきたのを覚えていて、こういうのを音楽の不思議というのかなって、そんな中で生まれてきたのがこのアルバムなんだけど、これはライブで破壊しに行く過程を形にしたいな、ということを皆が思ったわけね。「買物ブギ」は笠置シヅ子さんの名唱があるわけですが、私達はCマイナー一発で破壊してしまったんですよね、あれ、ドキドキでしたね。

 

                           1997年 「Fly Me To The Moon」 

ライブでは更に破壊の道を進んで、やりたいことがどんどん出てきたりして頭の中で氾濫してしまったんですよね。当時は破壊が人間の皮を被っているようだったはじめもいたりして、ともかくどうにも一回爆発させなくてはというのが体中に広がって、それが「マキノ大行進曲」になったわけ。そしたら「たつまき」や「夢の散歩」がうまれてきたりして、破壊の果てに一つの世界が見えてきたというか、この2枚で片さん・栄ちゃんと一緒の時代に終焉を迎えたというか、もちろんいい意味でですよ、すごかったなぁ・・・。

 

     1997年 シングル「満月の夕べ」リリース     

                                1998年 「Beyond Time」リリース  

歌たちが、私達を忘れないでと訴えているような気がして、矢も楯もたまらなくなっちゃったんですよね。5〜6年遠ざかってた友人に再会して、前より一段と気持ちが通じ合う部分があって驚いてしまったりすることってありますよね?このアルバムを作ろうと思った時はそんな気持ちで、選曲した殆どが当時のライブであまり歌っていなかった曲なんですね。束の間の休息というか憩いの時間というか、そんな穏やかな時間が必要だったのかな。

 

      2001年 「あいあむゆう」「四丁目の犬」リリース  

丁度「買物ブギ」のレコーディングが終わって、PIT-INNのライブがあって出かける時に、今はもう亡くなってしまったんですけど、大原君からテープが届いてそのまま持って出かけたわけです。で、ライブが終わってから車の中でそのテープをかけたらソウル・フラワー・ユニオンの皆さんのアルバムだったんですね。その中の一曲が「満月の夕」だったわけで、もう驚いてしまって、本当にびっくり仰天、そのまま中央道をひた走りに走って河口湖まで行っちゃって、夜明けを迎えてしまったんです。もう覚えてしまって、歌うって決めてしまって・・・。歌い手にとって曲との出会いというのは、偶然と必然の糸が微妙に絡み合う人との出会いと全く同じで、ターニングポイントになりうるんですよね。それまでのバンドで「満月の夕」に入っていった時、やっぱり前と同じことが起こって、「これ演るのかよ!」「本気で?俊!」って、皆嫌だって・・・。そんな時にジャズ畑でない二人に出会い、何日目かでレコーディングをすることになり、桜井君なんて会って2回目くらいだったかな。「満月の夕」のアドリブもレコーディングの時に初めて生まれたのね。そんなふうに、様々な曲が今まで知らなかった音の世界の人とめぐり会う機会を与えてくれて、出会ったミュージシャン達がまた知らない曲や音の世界をもたらしてくれることもあって、そういえば関島君と会ったのもこの頃のことで、わぁ、この人と演りたいって矢も楯もたまらず・・・。「あいあむゆう」「四丁目の犬」はそんな状況の中、皆で、ライブで、身を削るようにして、時には笑い飛ばすようにして培ってきたものが集約されたんだなぁと思っています。「四丁目の犬」ジャケットや中の写真は、私が赤ん坊の頃から慣れ親しんだ谷中の墓地界隈で撮りました。まぁ、いわば、悲しい東京生まれの故郷ということですかね。この頃アルバムに顔を出すのが嫌で、あらかじめイメージして選んでおいた所を巡りながら後姿を撮って頂き、くるくるクルクル回って・・・、ジャケ写は町角だけにしようかとイメージしたんですが、いざ、写真が出来上がってきたらこういうことになりました。

 

           2003年 シングル「満月の夕」、アルバム「夢の名前」をBMGファンハウスからリリース

この2枚は、また、ある意味で、全く見たことのない世界の方達との出会いというか、お話しがあったときは正直驚きましたね。歌うという自分の人生にもこういう時があってもいいかなって思いまして、知らない世界って怖いけど、同じくらい覗いてみたい所ってあるでしょ。そういう意味では色々大変だったけれども、とてもいい勉強になったし、これまでの自分の立っていた場所を外から見ることができて、自分の本当にやりたいことというか、やるべきことが以前よりはっきりしたかなって感じてるのよね。「満月の夕」がレコード大賞企画賞を受賞したことも驚きでしたが、そのおかげで今まで私を知らなかった人にも歌を聴いて頂ける機会が生まれたわけで、本当に良い経験をさせて頂いて。

 

          2003年 「満月の夕」が第45回日本レコード大賞企画賞を受賞する

「四丁目の犬」を作った頃にNHKの「スタパでライブ」に出演したり、「公園通りで会いましょう」では井上順さんとの共演もあったりして、それがきっかけで小椋佳さんのミュージカル「ぶんざ」に出演することにもなりました。そんな風に新たな出会いも経験して、それに、しばらく中断していた人達とのディープな付き合いが再会されたりもしていて、全体を見回してみると、ちょっとどうなっていくのかと非常に怖かったりもするわけ。でも、この3回目か4回目の人生を生きている中で、歌うときの情熱は生活のどの場面よりも激しく思えるし、日常でも結構心騒ぐ日もあったりしてね、もっともっと私の歌を知らない方にも、子供からお年寄りまでどんな方にも、一人でも多くの方々に聴いて頂きたいと強く感じているのね。これからも全国の、多くの方々のもとへ飛んでいくわ。待っててください、もうすぐですから・・・。

 

 

 

 

 

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