福島ラガーの歴史


創設
・1962年 福島大学卒業の鹿島清氏など有志が集まり社会人チーム(教員チーム)を結成。
 しかし、一時休部状態に陥る。

再生

1980年 鹿島清先生を中心に、福島高校OBをメインにして再発足した。以下敬称略。




1980年福島第1小学校グラウンドにて  
 雪のグラウンドであります。
後列左から、田村、宍戸、斎藤(阿部)、武藤、村山、不明、不明、不明、小川
前列左から、黒澤、不明、河野、不明、鹿島、不明、不明

再結成当時のメンバー

鹿島清  桑野廣治  小川徹(宇都宮大卒)  宍戸修一(宇都宮大卒) 田村常晃 (事務局) 
大橋徹 (次の事務局)  堀江寛 (次の事務局) 河野正俊  増田達也  武藤進 齋藤ゆうじ、村山、など

隆盛

・1985年頃から、佐久間、坂本などが中心となり、練習の体系化を図るのと同時にメンバーの補強に乗り出す。
・1989年主将坂本のとき、外国人プレーヤーも参加。バックス佐久間、宇田川、山本、吾妻。フォワード、金子、ワトソン、佐々木、荒井、小口など。県内随一のチームとなっていく。

 1989年 左から坂本、小荒井マネ、山本 磐梯熱海グラウンド。

 1990年ころ福島市市民体育祭マラソン大会に福島ラガーで出場。信夫ヶ丘陸上競技場。
後列左から、佐久間、河野、黒澤、斉藤、小林、坂本
前列左から、不明、斎藤、小荒井マネ

 1990年頃、佐久間氏の結婚式。場所失念。

 左から、斉藤、増田、村山、河野、坂本、佐久間、奥様、堀江、鹿島、荒井。多分ラグビー賛歌を歌っている。

・1990年1991年の2年連続、県総合体育大会。クラブ大会など連戦無敗。2年間各大会連続優勝を果たす。

 1988か1989年頃 
 後列左から、不明、伊藤政、小口、坂本、千田、小荒井、増田、不明。
 中列左から、堀江奥様、安部、斎藤、小林、遠藤徳、斎藤佳、
 前列左から、堀江、戸嶋、佐久間、不明、不明、宍戸隊長、羽田、紺野。

 1990年県総体優勝写真。二本松霞が城グラウンド。
 坂本右まぶた上裂傷。クリップして出場継続。
 後列左から 怜子マネ、不明、小口奥様、吾妻、阿部俊、山本理、宇田川、女性、不明、不明、小口、斎藤真、小林、安部、馬上、遠藤、黒澤、多分学生助っ人2名、千田マネ、堀江奥様。
 前列左から、坂本奥様、家田、紺野、小川、堀江、坂本、宍戸、増田、不明、斎藤、佐久間、金子(吊っている)、荒井、小荒井、河野。

 1991年ころ。後列左から斎藤、坂本、宇田川、荒井、羽田。
前列、左不明、安部、ワトソン、堀江。飲み過ぎで出入り禁止になったビアホール(ラーツケラー、福島市大町)にて。

 二本松試合終了後。
 左から、斎藤、不明、宇田川、吾妻(顔上部のみ)、金子、不明、遠藤徳、小口、増田、山本。

 二本松試合中。
 こちらは日が違い、相手日大東北か?黒系のジャージは?
 
 二本松試合中。相手、郡山クラブか?
 左端、宇田川、フランカー6は宍戸、ナンバー8坂本。プロップは、小口、荒井のはず。右後方金子。

 1988頃。酒田遠征。左から小荒井、坂本、黒澤、河野、達林、斎藤、堀江、荒井。月山手前の湖で。

 1988年頃か。場所不明。遠征先であろう。
 後列左から、鹿島、不明2名、小林、坂本、山本、安部、千田マネ、吾妻、堀江(中腰)、増田、不明。
 前列左から、小荒井マネ、紺野、佐久間、斎藤、荒井、家田、不明。

近年

・2003年春。19歳の新人が5名加入し、若返りを図る。マネージャーも2名新人加入。
現在クラブ選手権6戦6連敗。

・2005年新日鉄釜石の泉、ミネベアの秋山、国民金融公庫の稲垣、など新戦力が加入。
保健センターの清水、フォセコJの足立が転勤のため異動退会。

・2006年福島県総体にてAリーグチームに久しぶりの勝利。

・2007年秋クラブ選手権大会で、準優勝。
 日ピス山田、キヤノン三島が転勤で退部。

・2008年クラブ選手権
 準決勝 10:5   
 決勝   12:14  で惜しく準優勝

・2008年 渡辺(秋田出身)加入

・2009年 児玉(ロック)加入  佐々木、加藤加入

・2010年 クラブ選手権 優勝

・2011年福島県総体優勝 ・クラブ選手権優勝

・2012年 児玉退部

・2014年 職場の関係で、4月から10月末まで上垣入部。

・2015年 渡辺転勤。

・2016年 阿久津転勤。こうだい加入。