一路一会>第6回いらかぐみオフ会in飛騨高山

   第6回
   いらかぐみオフ会 in 飛騨高山
   2008年6月7日・8日

 

いらかぐみ6回目のオフ会は、昨年この会に加わり、今年で2回目の参加となる私大泉旅団が幹事役を務めることとなりました。
過去のオフ会の開催地は西日本では山口県祝島・京都府伊根町、中部東海で長野県奈良井、東日本では山形県銀山温泉と静岡県松崎で行われました。いらかぐみオフは伝統的建造物の宿に泊まるという不文律があります。しかし高級旅館ではなくごく一般的な価格帯から民宿レベルの宿泊料である事も条件。遠方から参加される方の往復交通費を含めると相当な金額になるからです。

いらかぐみは西日本在住のメンバーが多く、私の参加で東日本も2名になりました。開催場所の選定は毎回悩みどころです。
古い町並みにリンクしなくてはいけない上に、大型連休ならともかく、普通の週末の土日に、どこの地方まで遠征できるか。オフ会未踏の地として九州・四国・北海道がありますが、四国はまだしも九州と北海道は、現実的に実施は困難である。
そんなわけで、今回は中部東海北陸地方に絞られました。候補地は合掌造りの白川郷五箇山伊勢古市の旧遊郭旅館そして飛騨高山です。中でも飛騨高山は未知数な部分がありました。というのも、飛騨高山の伝統的な町並みは国内有数の規模を誇り、訪れる観光客も多い。しかし、伝建保存地区及びそこに隣接した地域に町家や料亭形式の宿があるかといえば、そうではないのである。やはり一大観光地ゆえに大型旅館・ホテルが主体なのである。もっとも古い町並みが観光資源として見出されたのは、つい最近の事なのだから。

全てのメンバーが最低一度以上は訪れ、かつ宿泊経験者も多い五箇山・白川郷の合掌造り。伊勢古市の「麻吉旅館」は、そこをベースとして組み合わせられる行動範囲が限定されることなどからランキングが下がり、意外にも古い町並みの「入門コース」ともいえながら、なぜかメンバーの全員が忌避もしくは深く歩いた事のなかった飛騨高山に決定した。
しかし、問題は先にも書いたとおり伝統的建築の旅館があるかどうかなのである。もちろん中心部にである。郊外や奥飛騨温泉地域には知られた古民家旅館が数あるのだが、今回は飛騨高山の夕暮れの町並み撮影がメインイベントでもあるので、なんとか伝統的保存地区にほど近い場所に宿を取りたかったのだ。

いろいろ調べて見ると、なんとか古民家風の民宿や旅館をいくつか発見した。が、本物か「模造」かの判断が難しい。そんな中、野村万坊さんの紹介で、寿美吉旅館が内定しました。

寿美吉旅館は伝統的建造物保存地区に近い、宮川沿いに建つ大正期建築の純高山造りの料理旅館。
裏通りにあった為に奇跡的に残った土蔵併設の町家である。伝統的な古民家旅館は、設備の面でリゾートホテルには及ばないが、毛頭そんなものを求める気は無い。HPには英語サイトもあり、おおよそ日本人よりは外国人のほうが多いことが伺えましたが、はたしてそのとおりでした。

 
※写真:富山伏木の北前船資料館(高岡市)

今回、7名で3部屋、夜遅くまでミーティングが盛り上がる事が予想される為、角部屋を予約しました。
ところが、野村万訪さんがご家族の都合により参加を見合わされ、さらに前日になって、七ちょめさんが急な自治会の都合により不参加となる事態に。大御所2人の欠員の衝撃は大きかった。宿泊金額に関しては宿の厚い配慮により据え置きという事であったが、懇談会の盛り上がりに不安が残る。しかし、今回は岐阜在住のSatopyさん夫妻が、揖斐川町の地酒を持参で懇親会と翌日の飛騨古川の町並み散策に参加される事となったのです。

当日の各自の足取りは、Kさんが早朝ご自宅の大坂を出て、自家用車で直接高山入り、Yasukoさんは岡山から高速夜行バスで名古屋入りし、名古屋の遊郭を廻って高山本線で高山入り。西山遊野さんは金曜日に五箇山・白川郷を廻り、立山の山岳に分け入られ雷鳥を撮影あと高山入り。孫右衛門さんは金曜の夜に広島から新幹線、大阪で寝台急行「きたぐに」に乗り換え、北陸入りし、富山を廻って高山入り。
ちなみに私も富山エリアの開拓を行った後に高山入りする予定であったので、孫右衛門さんと合流して、富山の水先案内人を行いつつ、自分の町並み開拓も行うスケジュールを立てました。

この時期、朝の4:30には明るくなっているので5:00には行動を開始できる。孫右衛門さんの乗った「きたぐに」は4:42に滑川駅に着くという事で、5:30に同駅で待ち合わせることに。
私は金曜の夜に自宅を出て夜の高速をひた走り、滑川IC直前の有磯海SAで車中泊。朝5:00に起床して滑川駅へ向かった。しかし孫さんはすでに徒歩で北国街道・滑川宿入りされていたので、後を追っかけ、宿場の終点で拾うことに。
その後、加島水橋東岩瀬を廻り、ここで分かれて私は未開拓の町並みをめぐり、孫さんは「富山ライトレール」と北陸本線を乗り継いで、高岡市近郊の福岡町で再び合流。そして北国街道の旧道を辿りながら、高岡市街を抜けて、新湊市(現・射水市)の放生津と本町を散策、伏木の町並みと北前船資料館を見学。時間が無いのでコンビニで軽食を取り、高岡市南近郊の戸出(といで)を訪問して終了となる。

ここから飛騨高山までは100km近くある。もし高速道路一本で結ばれていたならば、1時間弱で着けるので、そうなればもう数箇所廻る事も可能だった。当初は東海北陸道で直接高山入りを目論んでいましたが、とっくに開通していたと思われた長大トンネル白川郷―庄川間がいまだ未開通であり、白川郷まで高速道を使ったとしてもそこから大きく迂回する形で高山までは2時間近くを有する。そうなると富山から国道41号線を南下したほうが早いといった結論に達した。


 

戸出から旧中田往還(主要地方道9号線)を通り、小杉ICから富山ICまで北陸道でショートカット。そこから国道41号線をひた走る、越中と飛騨を分ける数河高原超え付近から猛烈な睡魔に襲われながらも、なんとか無事高山にたどり着いた。

旅館近くの宮川に架かる弥生橋にさっそくYasukoさんの姿を発見。駐車場の場所を聞くために宿へ向かうと、細い路地でKさんがすでにスケッチ中である。駐車場に車を止めて戻ると、西山遊野さんも到着。ジャストタイムで集合率の高さ。

宿では、仲居頭さんが抹茶をいれてくださった。ティーパックの緑茶が多いなかで、まさか入れたての抹茶が出てくるとは、この旅館あなどれない。
高山の薄暮の町並みを撮影するために、無理をいって早めの17:30の夕食開始。その前に「高山の地酒」の買出しに走る。
せっかく酒蔵ひしめく町なので、町の酒屋で酒を購入するのではなく、やはり酒蔵で直接購入したい。
高山には8軒の酒蔵があるが、今回は買うべき酒蔵を絞っていたので、そこを目指した。虎の子の折りたたみ自転車を車から降ろして、2軒の酒蔵を回り高山の地酒をゲット。
高山の酒蔵は試飲に熱心で、全てのラインナップを試すことができる。しかも「買わなくてもいいか」らと勧められる。日本酒の良さを知ってもらおうという、必至な営業であろうと思いつつも、なんとも太っ腹な、さすが「旦那衆」の町だと感心した。
試飲といってもトータル一合くらいは飲んだので、結構なほろ酔い気分で宿にもどる。

夕食は特別コースではなかったものの、ちょうど良い量で、料理旅館らしい、素朴ながらで手の込んだ郷土料理の数々。インターネット予約サービスのビール5本で乾杯。このあと撮影があるため、それ以上のアルコールは控えて、各自普段の夕食のように黙々と食べていたら、1時間30は見ていた食事時間が、30分もたたないうちにほぼ食べ終わる状況。



19:00前には、撮影のために宿を出ました。各自三脚を手に高山の夜の町へ繰り出します。しかし高山の町家は無住な為か、期待していた窓や千本格子からの明かりは無く、軒先にともされた常夜灯のみ。暗すぎる。ただでさえ、漆黒の町並みなのに。三脚でシャッタースピードを1秒以上開けて撮影すれば、明るくディティールのはっきりとした写真が取れるが、イメージが違うし、画が平坦であるのは変わりない。空は朝の様に明るく映る。バランスがうまくいかない。
しかも、にわか雨にみまわれる。カメラを必死でかばいながら宿にもどる。

各自風呂に入り、ぼちぼち懇親会の準備を始めているとsatopyご夫妻の登場。持ち寄った5本の酒を利きながら、町並みの話にとどまらず、車や鉄道の話、カメラや撮影の話などで盛り上がりました。
あっという間に時間が経ち、satopyさん夫妻が帰られたあとも、話題は尽きず話しは盛り上がっていきましたが、私は知らないうちに熟睡していました。スミマセン。
 

翌朝、5時には部屋に日が差し込み、Kさんなどは早速動き始めていたようです。6時にはさすがに皆起きて、7:30の朝食前に朝の高山を散策することとなった。高山の朝市は宮川沿いで6:00に始まる。朝市のある観光地ゆえに早朝から人でごった返している。おみやげ屋や酒屋など商店も早朝から店を開けている。他のメンバーは早朝の三之町を歩かれたようだが、私は単独おみやげと言うよりも自宅で使う食材を買い求め、いままで町並み歩きでは足を向けなかった神社や寺町を散策しました。

朝食は、旅館にしては品数が少なく思えたが、みそ汁と<朴葉みそ>があればご飯が何杯でもすすむすすむ。みなご飯を3杯4杯とお代わりして、十二分に満足した様子でした。


 

Kさんはスケッチを描くために先に出発して飛騨古川で合流する事に。我々も途中でsatopy夫妻と合流して飛騨古川へ。町並みからは少し離れたJR古川駅の東側にある無料駐車場に車を止め古川の定番である瀬戸川を中心とした町並みを散策した。古川は高山に比べると規模は小さいものの、2軒の酒蔵を中心として見応えにのある町です。
この通りの一画に建つ「味処 古川」で昼食会を行い、その後自由解散となりました。
またまたKさんは一足先に白川郷へ。Yasukoさんと孫右衛門さんは西山遊野さんの車で開田高原を経由して木曽路の宿場町を散策されたようです。

私は、再び富山へもどり、昨日消化しきれなかった残りの町並みを探索して、帰路に着きました。
今回の懇談会で、次回のオフ会の候補地として「東京」が上がりました。東京での宿さがしはかなり難問ですが、下町の商人宿か奥多摩の兜造り茅葺き民家旅館か、まあ追々考えましょう。

大泉旅団 記



一路一会<第6回いらかぐみオフ会in飛騨高山