第17回 いらかぐみオフ会
岐阜県美濃市

令和元年5月25日(土)〜5月26日(日)

 オフ会も今回で17回目。改めて長く続く伝統あるWEB集団「いらかぐみ」と思います。
メンバーの入れ替わりは多少ありますが、大きく変化すること無く、毎年一回の定例のオフ会が開かれています。

岡専旅館←クリックしてください

美濃市の町並み←クリックしてください

動画ダイジェスト版(万訪さん)

さて、今回の場所となった美濃市の岡専旅館に決まるまでの経緯を少し記載すると。
前回の群馬県伊香保温泉横手館での16回オフ会時に、来年は5月25日、場所は奈良県五條市と大体は決まっていた。
所が、9月下旬頃と思うが、フェース・ブックのトピックで、中日新聞の記事として、閉鎖されていた「卯建」の旅館 岡専旅館が再開される見通しと報じられた。早速電話してみたが通じないのが10月中旬まで続いた。
やっぱりダメかと諦めかけていた頃、電話が通じた。電話の言葉が中々通じない、どうも閉鎖された大女将が電話口の相手のようだ。今度、嫁が旅館を継ぐとのことを言っておられる様だった。
その後、電話も割に通じるようになり、秋口からボチボチと宿泊客を取っているとのこと。
いらかぐみの掲示板でもそのことは時々報告していましたが、殆どの方は来年のオフ会を美濃市の岡専旅館で開催しようとの話になってきた。そして最終的には1月中旬頃に、岡専旅館で開催することに決定した。
私(七ちょめ)は古い旅館を泊まり歩いていますので、古い旅館の一つとして泊まろうと、下見を兼ねて2月初旬に岡専旅館に泊まりに。玄関入口を入って土間を奥に進む。両側は土蔵でその奥が庭、その横に離座敷のような感じの建物の部屋が旅館の客室。卯建が揚がり旅館岡専の看板のイメージとは全くかけ離れている感じ。
オフ会の会場には相応しいが、夕食が問題と思った。調理場を整備されるのか、人手をどうするのかの問題が残り、外で食べても良いが、夕食の提供が出来るかどうかの返事は4月末までに欲しいと伝える。
そんな中の2月中旬ころ万訪さんから苦労した博士号が貰えたとの情報が入る。今度のオフ会はその祝賀会も兼ねることとなり、それじゃちょっと家庭料理の夕食では不釣り合いと思うようになった。
岡専旅館の調理場も未改修のままのようだし、夕食は八幡屋という老舗の料理屋でと内心思っていた。
そして4月中旬に岡専旅館から、夕食は八幡屋でお願いしますと連絡があった。
岡専旅館へ料理を運んでもらうという手もあるが、八幡屋の伝統的な建物も素晴らしいので、八幡屋さんまで出向くことにした。

そして開催日となるのだが参加者は6名であった。二日ほど前から出発された辰巳屋さんは東農から西濃、前日に出発した七ちょめは揖斐川町を、当日に自宅を出られたKさんは美濃市をスケッチ・孫右衛門さんは名古屋周辺・URANOさん羽岐阜市内を、勤務の都合で前日近くに泊まられた万訪さんは揖斐川町の「上ヶ流」(天界の茶畑)など、各人各様の行動後の岡専旅館集合となった。

午後6時岡専旅館集合と云うことであったが、午後5時過ぎには全員が集合し、女将が用意してくれた特別風呂を済ませても、まだ、食事の午後7時まで時間があるので、一階の予備の部屋で軽く食前酒と云うことになった。お酒は地元の小坂酒造の冷酒。「百春」大吟醸生酒という銘柄の酒、全く贅沢なオフ会になる。

それにしてもこの宿の部屋を幾つ使っているのだろう。到着時に休憩する2階の特別室という二間続きの部屋(懇親会・朝食会場兼用)と二人づつの寝室が3部屋だが、食前酒を飲んで寛いだのは、一階の別の部屋。何とも贅沢な部屋の使い方だった。

 さて、八幡屋さんは岡専旅館にも劣らぬ老舗の料理屋さんで門構えも凄いです。一見では敷居が高そうで入り難い。有名な政治家(説明を聞いたが忘れた)の額が揚がった大広間もあった。八幡屋さんでの食事は最初に万訪さんの博士号取得の苦労話と、当日聞いてびっくりしたURANOさんの結婚のことの話は最初だからそこそこ覚えてはいますが。万訪さんが「上ヶ流」で許可を取ってないのでドローンを飛ばせなかったことと、Uranoさんが埼玉県寄居町の山崎屋旅館に泊まりに行ったこと、来年のオフ会を山陽で開催しようと云うこと以外はさっぱり思い出せない
以下は孫右衛門さんから教えて貰ったこと。個人のホームページより、いらかぐみの掲示板は良くヒットするこ。西山遊野さんが急死されたとき、オフ会の幹事記の継承に苦労した話などは言って貰えて思いだした。どんな話で盛り上がっていたのか良く思い出せないのに、自宅に帰ってくると声がガラガラ。オフ会での食事会や懇親会で大声で喋りまっくっていたことは想像できますが、何を喋っていたかは全く覚えていない。

八幡屋さんの夕景

八幡屋さんでの食事風景

八幡屋さんの入口門の飾り

八幡屋さんの広間の欄間の書

さて、翌朝は午前6時半頃、車で上有知の川湊に向かい、上有知(美濃)発展も元となった川湊を見て後、美濃市の目の字状になった卯建の町並を探索する。やはり「本卯建」の連なる町並は凄いです。観光客のいない早朝の町並は素晴らしいと思う。宿に帰っの朝食は、女将さん・ご主人の懸命の奮闘で、急勾配の階段を運んでこられた有難い食事だった。それも家庭料理と思えぬ多くのメニューを揃えた食事で、女将の奮闘が伺えるものだった。

ここでチョット裏話をすると、女将との連絡・やり取りは全てEメールで行ったのですが、朝食や懇親会を2階の先代が使っていなかった特別室でしようと思う。只、夕食や懇親会でお酒が入っているので、急階段は大丈夫でしょうか??と言ってこられた。それよりも私は急階段を料理を持って運ぶのは無理だから1階の角部屋にして、奥の棟の3室を寝室にすればと提案したのです。まあ,決めるのは旅館側ですので、そちらの負担のないやり易いようにと言ってこの話は終わったのです。
当日、旅館を訪ねて2階の特別室がオフ会の会場になっていたのにはビックリしました。女将の精一杯の持て成しと感じ、大丈夫
!!と声を掛けると頑張りますとの返事が。普段は女将一人で切り盛りされています。ご主人は現役のサラリーマンのようで、旅館の宿泊には一切係わっておられないようですが、当日は急階段を料理を運び上げ並べるという慣れないことをされていたのが印象に残っています。

岡専旅館の卯建

出発前の集合写真
朝食後、全員車で岐阜市内の川原地域に向かう。岐阜公園駐車場の第2駐車場に留める予定が一杯で、第3駐車場になってしまった。無料だから文句も言えないか??。鵜飼で有名な鵜飼観覧船乗り場から始まる川原地区の古い町並。素晴らしい古い町並が目の前に展開するのですが、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されていない地域。岐阜県や岐阜市の古い町並として保存地域に指定されているのだろうか。何れにしても素晴らしい古い町並が展開する。

玉井町の町並

玉井町の町並
オフ会はこの川原地域の散策をもって、流れ解散のような状態で解散した。Kさんは川原地区でスケッチ、辰巳屋さんは続きの材木町から岐阜市内を探訪され、帰宅されたのは3日後だそうです。万訪さんは帰途に、孫右衛門さん・Uranoさん・七ちょめはその後長良川を渡り、長良北町を探訪、ここでUranoさんは帰途に、孫右衛門さんと七ちょめは岐阜市黒野の町並探訪した後、孫右衛門さんを加納宿まで送って、七ちょめも帰途に。

今度のオフ会は開催場所変更という異例の展開になりましたが、それ以上に再開された岡専旅館の女将の持て成しぶりに気を良くし、伝統ある八幡屋さんという料理屋さんでの夕食など、今までとはチョット異なる印象のオフ会だったと思います。

只、食事会や懇親会で盛り上がっていましたが、内容は何だったか殆ど思い出せないのは 七ちょめの高齢ゆえとご勘弁願いたく存じます。
 
今回のオフ会に参加できなかった、太泉八雲さん・Yasukoさん大変残念だったと思います。
来年のオフ会には是非参加してもらえるようお願いして、この幹事雑記を締めくくりたいと思います。

                                             七ちょめ記