第2回 いらかぐみオフ会
奈良井宿
 2月中旬から第2回目のオフ会の準備にとりかかった。
開催場所は奈良井宿と暗黙の了解のような雰囲気だったので、日時を5月29日〜30日と決めるだけで簡単に決定。宿泊場所は「いらかぐみ」の皆様にあわせて、旧旅籠の「伊勢屋さんの街道筋の部屋」と決める。
集合時間と集合場所はいろいろと、オフ会専用の掲示板でやり取りを繰り返し決めたのであるが、各人自分の当日の行動を考慮に入れて、時間を決めるのも楽しみの一つ。最終的にはJR奈良井駅に午後4時30分と決まる。


開催日が近づくにつれ、オフ会専用掲示板は書き込みで賑やかになり、他の方のオフ会前後の行動を聞くのも楽しみの一つになり、行動を共にできる方々も出てきた。

そして当日。天気予報で当地の雨の降水確率は29日午後50パーセント。30日は70パーセントとなっていて、雨中での奈良井宿探訪も仕方ないか??と諦めていた。
それなら「いっそ」雨具を徹底的に用意しようと、靴2足、長靴1足、雨カッパ1セット(ゴルフ用)、傘大小2本(ゴルフ用)、タオル4枚、ズボン2本等とカメラレンズにかかる水滴防止用にレンズフードといろんなものを用意した。もっとも車だから、積み込むだけで済むが。

完全に雨の用意をしたためか、オフ会前後を含めて殆ど雨が降らず、30日の午前中なんか快晴の雲一つない天気だった。

本題のオフ会に戻ろう。29日JR奈良井駅に孫右衛門さん以外が集合でき、4時26分が近づいた。孫右衛門さんが乗った電車が到着する。プラットホームまで出て、万歳で出迎えようなどと云っていたが、チョト照れくさく、盛大な万歳の出迎えは出来なかった。

考えてみると、皆様方とは互いに数回しか逢っていない。でも旧知の友達のように心打ち解けて話ができる。掲示板をとおしてお互いに心内が判っているためだろう。そう思うと、インターネットの掲示板書き込みの威力はすごい。

宿泊した伊勢屋さんの夜景

櫛問屋で資料館として公開されていた中村家

宿泊場所の旧旅籠の伊勢屋さんまで車で移動。荷物を上がり口に放り出して、すぐさま町並探訪に飛び出した。夕方の奈良井宿、中町から上町を探訪する。見事な古い町並が出現する。残っているのか、復元されているのかは兎も角、妻籠と共に古い町並の日本代表格だ。それも修復されたが過疎のため無住になって、人通りも絶えたような町並は多くあるが、奈良井は今も生活されている生きた町並であるのが凄いところ。出梁造りの前の道に2階部分が飛び出した独特の構造を持つ町並。写真には不利な条件の夕方の散策であったが、十分に町並を堪能できた。

伊勢屋さんまで戻ると、隣室に外国人女性、いやな予感。予約時に酒を飲んで歓談するので、他のお客さんに迷惑を掛けるかもしてないと云うと、街道に面した三室は貴方がたで使ってもらうので、他の方は奥の別室になり、いくら騒いでもらっても関係ないですよと云われたいたのだが。

そして食事がすんで部屋に戻ると、予感的中、途端にうるさいと文句が来た。部屋を一つとばした部屋での歓談だったのだが。

夕方の伊勢屋さん

早朝(AM5:30頃)の中町の風景

早朝の下町の風景

伊勢屋さんの屋根裏

建物は江戸時代そのままで、部屋を出たところの廊下の横は続き棟の屋根裏になっていて、太い柱や梁が露出していた。勿論隣部屋とは襖に仕切りのみ、表側は格子になっていたが、内側には障子様のガラス戸がはめられていた。

翌朝5時半ころから、早朝の散歩をはじめた。快晴の雲一つない天気。天気予報が全くはづれたいい天気。nomnomさん、孫右衛門さん、七ちょめと三人連れだっての散策、眠りから覚めたところの町並、ツバメが喧しく飛びかっている以外は音なしの静寂な町並。家から出てきたおば様方が、おはようございますと声をかけてくれる。Kさんと西山さんはスケッチされているだろうなと思っていると、西山さんのスケッチ場所に到達。

奈良井宿での失策に櫛問屋で資料館として公開されている中村家か、同じく公開されている上問屋の手塚家の資料館のどちらかを見るべきであったと後悔している。夕方着いて朝出発だから、つい、公開されている伝統的な家屋を見るのを忘れてしまった。

平沢の町並

旧贄川宿の町並

朝食後再び町並散策をして、午前9時に奈良井宿を出発、平沢の漆器集落に向かう。かっては奈良井村に含まれていて、宿場じゃないが檜物と漆器を扱う集落であったが、今では楢川村の中心地として栄えている。この平沢は中山道筋の宿場町と異なり。民芸調の店構えの店舗住宅が軒を並べていた。
同じ漆器の町、和歌山県の海南市黒江と同様に、家の前にノコギリの刃形の空地があり、昔リヤカーを置いた場所であろうか、今は車の駐車場になっていた。

そして予定していた贄川宿を訪ねた。しかし私の予想に反して殆ど町並が残っておらず、行こうといった手前、皆様に申し訳なく小さくなってしまった。
江戸時代には奈良井などと同じように、白木(檜)の割り当てを貰い、檜物や曲げ物・漆器の生産を行っていたのだが、殆ど町並らしいものが残っていない。どうして奈良井には古い町並が残り、贄川には残らなかったのか。

午前11時頃贄川で一応「いらかぐみ」は解散する。
外人女性問題で少しはトラブルもあったが、奈良井宿の見事な町並を見ただけでも、満足すべきオフ会であったと思う。
                                      記  七ちょめ