ああっ、なんという 数奇な運命
illustrated by Mamoru Oshii  「間が悪い」とか「よりによって」ということが世の中には結構多く存在する。これはたいていの場合、不可抗力的な次元で起る事故のようなもので、本人に責任のない場合が殆どである。例えば、電話をすると50%の確立で私がトイレに入っている時に当る、といった不幸なディレクターが存在する。黙っていれば判らない、と思うだろうが、意外にトイレ特有のエコー感などでバレてしまうことが多い。そこで、トイレに持って行ったコードレスホンでその旨を告げる訳だが「どうして僕が電話するとうんこしてるんですか?」と、そのディレクター氏はいつも不満そうに宣うのだ。
 しかし、この場合の不幸はむしろ私の方であった。おかげで、彼の隣の席に座っている女性には「川井さんって、いつもうんこしてる」と思われているようで、不名誉な事この上ない。これは冗談じゃないと、私がトイレに行くタイミングをわざわざ限界まで我慢してずらしてみたところで結果は同じであった。もともと私の場合、トイレに行く時間など全く確定できないフレキシブルうんこのため、たまにかかってくる彼の電話とバッティングする確立は1兆分の1以下であると確信する。それなのに約2分の1の確立で当たるのだから、不思議と言うより気味が悪い。
 そして今年の夏、ついに歴史に残る極めつけの事件が起った。ある事情により、2つのスタジオを使って同時にレコーディングを行なっていた時のことである。つまり上のスタジオでは例のディレクターが唄録りをし、下のスタジオでは私がシンセダビングという、いわゆる「パラまわし」と呼ばれるやり方で、相互の干渉は全くない状態で仕事は進んでいた。そしていつもの如く私は急に便意をもよおし、トイレに入って一投めを終えたその瞬間であった。トイレの外で「川井さん!」というディレクター氏のあわただしい声が聞こえた。「あ、今トイレです」と誰かが答えた。「ええ!いつ入ったの!」とひどく慌てた様子で、私はただならぬ気配を感じた。そしてまた誰かが「たった今」と答えると、暫くの沈黙があり、意を決したのか、やがて凄じい勢いでトイレのドアが開いた。「川井さん!…ひえ〜!」
 覚悟していたとはいえ、恐らくとてつもない臭気に見舞われたのだろう、彼は暫く絶句し、猛烈に気まずい雰囲気がトイレに充満した。私だってうんこの匂いを嗅がれるのは不本意だったが「一体どうしたのですか?」と、やけに落ち着いて答えた。すると、「あの…M-7のサビのですね…」と驚くべき事に打ち合せが始まるではないか!これには私も仰天し、今出るから待ってて下さいね、と頼んだが「急いでるんです!今、譜面を…」と言いながら、おおっ、ドアの隙間からスルスルと譜面が挿入されてくるではないか!こっちはまだお尻すら拭いてないというのにだ。その後、有無を言わさず約2分間にわたり綿密な打ち合せが行なわれ、彼は「こんなことするの、僕等だけですね、世界初だ」と喜んでトイレを後にしたが、あたりまえである。うんこしているところに譜面を挿入された作曲家なんて普通いる訳ないじゃないか!
 しかし、前代未聞の打ち合せが終了して先程の静寂が戻ると、私は不思議な感慨で胸が一杯になった。なんという数奇な巡りあわせであろうか。ついにトイレの中でなんて…。私は「ああっこれが宿命、いや宿便かな」と、己の下らないギャグにほくそ笑み、愛用の100円ライターでタバコに火を点けようとしたが、ガスがなかった。
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