黒い!速い!気持ち悪い!

illustrated by Mamoru Oshii今日、仕事中ノビをしようと思って立ち上がった時、なにげに廊下の方へ目をやると、何やら黒い物がある。初めはゴミでも落ちているのかと思ったが、ベージュの絨毯の上に形容しがたい色彩を放つその5センチ程の黒い物体は、驚くべきことにゆっくりと動いているのだ!
「まさか…」

一瞬、ある恐ろしい予感が脳裏をよぎるものの、私はそれを現実として認めたくなかった。どうせカナブンとか何処かから逃げてきたカブト虫であろうと信じたかったのだ。しかし恐る恐る近づくと残念ながらツノは無いし、妙に平べったく油ぎっている。もう己をごまかすのも限界であった。つまり、もはやゴキブリである。

だいたい私は世界中で嫌いな物3つ挙げろと言われたら、間違いなくゴキブリを入れる。いや、嫌いなだけであったら踏み潰せば良いのだが、どう考えても"くしゃ"という音と共に中の汁みたいなのが出るに違いないし、一応生きている物を「嫌いだから」という理由だけで殺すのも気が引ける。以前、トイレのスリッパを履いた時、中にゴキがいてモロに潰してしまったという壮絶な体験がある私は、その時の足の裏の感触が今でも忘れられないためなのかもしれないが、何れにせよそんなこと死んでもできっこない。まあこの際だからハッキリ言うが、要するに私はゴキブリが猛烈に怖いのだ。

それはともかく、先ほどのゴキは相変わらずゆっくりと廊下を歩いている。この先廊下は左に折れ曲がって寝室へと続くのだが、一体どこへ行くつもりなのだろうか。どっちにしても怖くて手は出せないため、私はただこの凄じい恐怖に耐え、だらだら汗をかきながらゴキの後をついていくしかなかった。一体私は今、何をするべきなのか。ガムテープ?いや、うまくくっつく筈はない。何かで蓋をして動きを止めるか?いや、その後どう処理するのだ。殺虫剤?いや、死ぬまで時間がかかりすぎるし、どこで死ぬかもわからないからダメだ……。様々な考えがグルグルと頭を駆け巡り、パニック寸前になりかけた頃、そんな私を嘲笑うかのようにゴキは悠然と寝室のドアの下を潜っていった。私はそのドアを開けるかどうかで気が変になりそうだったら、今開けないと一生この部屋に入れないと考え、わああ、と叫びながら思い切ってドアを開けた。すると、ゴキは進路を大きく変え、風呂場に入って行ったのである。もう、後先を考える余裕などない。とにかく私は慌てて掃除機を取りに行った。ところが、そんな私の動きを察知した彼は今までにないスピードで風呂場のドアの隙間に身を隠したのだ。こうなったら覚悟を決めて挑むしかあるまい。掃除機のコンセントを差込み、スイッチを入れた。うなるモーター音が嫌が上にも緊張感を盛り上げる。そして、勇気を出して怖々ドアの隙間を覗くと、やはりドアの下方にへばりついていた。

「今しかない……!」私は吸い込み口を風呂場のドアの下に固定し、震える手でそっとドアを動かした。何センチ動かしただろうか、滝のような汗が床に何滴か落ちたその時であった。スポッ、と掃除機は見事にゴキを吸ったのである!後は半狂乱となってキンチョールを吸い込み口に缶の半分位噴射し、さらにゴキが戻ってこないよう、吸い込み口をサランラップとセロテープで蓋をしたのだ。もう、戦いは終わったのだ−−。

しかし……その掃除機はどうするのか……。
▲HOME▲