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原料の麻竹がシナチクになるまで

 麻竹の産地は限定されて、台湾、福建、広東が主産地という。つまり亜熱帯性気候の中で育つ竹なのである。日本人が食べる筍といえば孟宗竹である。この孟宗竹は地上にちょっとでも顔をのぞかせたら価値は半減してしまう。土の盛り上がり具合で見当をつけ、顔を出す前、おてんとうさまがあがる前の早朝に掘る。「朝掘」と称して珍重する。麻竹は正反対で、株単位で地上に伸びる。太さは10cmから20cmと孟宗竹に比べるとスリム。シナチクにするにはせの高さが1m位に伸びたところで刈り取る。刈り取った麻竹は節のいいところだけ日本に運ばれてシナチクになる。節の部分は硬いので釜で3時間茹でて、桶に一つ一つていねいに広げてならべられる。いっぱいになったところで覆いをしてしっかり括る。そして約1ヶ月の発酵を待つ。この間に麻竹は乳酸発酵してあめ色に変わる。その後天日干しに3日から1週間、そして裁断機にかけ再度天日で干す。
 乾燥するのは輸送費が安くつくこともあるが、乾物にすることによって、干しあわび。つばめの巣、ふかひれ同様、風味とこくを出すためでもある。シナチクの産地が台湾から中国の広州に移りつつある、人件費の高騰からである。麻竹の刈り取りの時期は残暑厳しい9月である。竹林にはやぶ蚊の大群が待ち受けている。その後の処理のどれを取っても重労働のわりに手間賃が安い。そんなことから台湾では生産農家が減少したということである。

ラーメンとシナチクの同居

異国の味であるシナチクを日本人の大好物にしてしまったのは南京街の一品料理屋であった。昔台湾では、どこの家庭でも麻竹を乾燥して笋干(スンカン)にして保存しておき、必要に応じて水でもどして使った。貧しかったから豚一頭を潰すとそれを一週間の十日かけて煮込んで毎日食べるものだったそうである。味は醤油味で豚の脂がシナチクに染み込んでおいしくなるのです。正月とか、おめでたい時に作るそうです。おふくろの味なのである。
南京街の食堂というところは、店の仕事が一段落すると客がいても気にすることなく、店のテーブルがそのまま家族の茶の間に早代わりする。いまも変わらぬ光景ということは昔はもっと日常茶飯事であっただろう。だから店にいれば、彼らが普段どんな食事をしているか一目瞭然である。そんなある日のこと、客の一人が彼らのおかずの中に豚肉とシナチクの煮込みがあることを発見した。興味深く、それでも遠慮しいしい見ると、まことにおいしそうなのである。あれはなんだろう!その客は馴染み客であった。だがそれを聞くだけの勇気はなかった。しかしそれからもずっと気になっていた。
その日も南京街のその店にいた馴染み客は「今日こそは!」とついに一大決心をする。なにを決心したかというと、「おじさん!ちょっと聞きたいんだけど、おじさんたちがよく食べているあのおかず、あれはなんていうのかなぁー。ホラ、豚肉となにかと煮たの。そうそう、それそれ!それちょっとそばの上にのせて食べさせてくれないかなぁー。前から一度食べてみたいと思っていたんだ」びっくりしたのはみせの主である。しかしそこは郷に入ったら郷に従いながら世界各地で財を築いてきた華僑である。あるじは客のいうままラーメンの上にシナチクを山盛りにして、「お待ちどお!」(どんぶりを目の前にした客、しばし無言、黙々と箸を運ぶ。突然その客が感激したように叫ぶ)-「おじさん、こりゃあうまいよ」ここにおいてラーメンとシナチクの出会いが成立したのである。以来必ずこの取り合わせをリクエストする。友人とくれば人にも勧める。こうしたことが度重なれば、これは商売になる!値段も高く取れる。筍なら日本人にも馴染みの味だしこれはいけるに違いない。とにかく上にのせて試してみよう。あるじはその日からというもの、カウンターの中から日本人の客の反応を見る。するとこれが大成功!なのである。そうか、豚肉の旨味の染み込んだ、それでいて歯切れの良い笋干はきっと日本人好みなのだろう。よし、この手でいこう!そう決心したのである。「ラーメン」に「シナチク」という今日に伝わるラーメンの基本形の半分はここに成功をみたのである。
この情報が南京街を駆け巡るのに時間はかからなかった。南京街の一品料理屋は一致団結してそばの上にシナチクをのせるようになる。客の発想というのはなかなかユニークなもので、カツカレー、天津丼。親子丼。味噌ラーメン・・・・いずれも客の注文をヒントに生まれたものなのである。
来々軒では水で戻した笋干(スンカン)を豚のバラ肉と一緒に粗目と醤油で3,4時間かけて煮て、更に豆炭とか練炭の上に乗せておいたそうだ、つまり来々軒では回転した段階から、シナチクを豚の三枚肉でにてそばの上にのせるという基本スタイルは完成していた。


メンマは和製造語

シナチク、そしてシナソバという言葉が社会的配慮から名を消して久しい。そこで変わって登場したのが「中華そば」であり「メンマ」なのである。。その由来はどこからきたのだろう。中国語の「ツアイマアル」「ミエン」からきたという説がある。「ツアイマアル」とは料理を飾る添えもの。料理の上にさっと散らす。パセリやその他のやさい、薬味などとある。では「ミエン」は?ゆでたうどんにいろいろなぐや調味料を合わせて食べる具のこと。千切りのきゅうりやぶんどう豆のもやしをゆでたもの、だいこんなど。[中日大辞典]はこのように説明している。麺に限らず上にのせるものはすべて「ミエン」、だからメンマなのである。これに異論を唱える人がいる、丸松物産の松村会長と言う方である。「麺の上にのせる麻竹だから"麺麻(メンマ)”英語でもないし、中国語でもない私の和製造語であると。これまたユニークでおもしろく、それなりに説得力がある。早速意匠登録すべく手続きをしたのだが、この名案も、当時有名だったメヌマポマードに類似している名称であるからとすげなく却下されてしまった。昭和27年のことだという。どちらが正解かはさておき、話としては面白い。以来メンマはラーメンとともに日本人の食卓の友として日本中を駆け巡り、親しまれ、全国制覇を成し遂げたのである。