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札幌ラーメン発祥の店

札幌ラーメンのルーツは大正11年にさかのぼる。北海道大学正門前に一軒の食堂が出来た。店の名前は「竹家食堂」丼ものとカレーライスの店である。創業者は大久 昌治さん、永年巡査を勤めてきたが思うところがあり職を転じ、紆余曲折の末の開店であった。
 開店から1ヶ月余り経ったある日、この食堂にロシアの革命で追われた、山東省出身で腕が良いコックの王文彩を北大の留学生が連れてきた。大久夫妻はこの男を気の毒に思い、店に雇う事にする。翌年には「シナ料理・竹家」の看板を掲げる。そのメニューの中に「肉絲麺」があった。当時、北大には150人ほど中国留学生がおり王文彩の作るこの肉絲麺は、たちまち評判になる。当時の留学生は裕福な家庭の子息達でしたからよく食事にきて客の絶え間がありませんでした。竹家は繁盛し、はじめは平屋だったのが、店が忙しくなってきて2階が出来、下は食堂、2階は宴会の出来る日本間が十以上ありました。
開店当時の麺は手で引っ張る「拉麺」の製法だったが忙しくなれば手打ちというわけにいかなくなる。製麺機を買い、麺を作ったが動力はまだ人力であった。竹家は昭和18年に店を閉じた。
 終戦の翌年昭和21年にラーメンの屋台が出現する。天津から引き揚げてきた松田勘七さんの店である。昭和22年には西山仙治さんの「だるま屋」が開店し、麺つくりに力を注いだ西山は、「西山製麺」を発足させる。続いて昭和23年には満州から引き揚げてきた大宮守人さんは松田の薦めで「味の三平」を開店した。竹家が札幌ラーメンのルーツであり、その知名度を高めたのは麺へのあくなき情熱を注いだ「西山製麺」、ラーメンと相性のいい味噌を全国行脚して作り上げた「味噌ラーメン」である。

参照 にっぽんラーメン物語 小菅桂子著
ラーメンの誕生  岡田 哲著