back


「ラーメンの食べ歩き」の私感について
ラーメンの食べ歩きで店の寸評をを掲載しているHP、最近ではブログなるものが多数ある。ま〜ぁよくも食べ歩いたものと感心します。私もそうですが情報の発信と言うものはとても面白いもので病み付きになります。HP・ブログ程度なら公でもないから店側としては出版物と比べてたいして気分を害するものではないが、最近ではPCで検索する方が増えてきたので軽視するわけにいかなくなってきた。HPと違ってブロブはとにかく読みずらいですね、無料でしかもソフト・ノウハウがいらないからか異常なくらいのスピードで増え続けている。

情報をHP・ブログ等手段は問わず発信するのは個人の自由なので規制は出来ないが・・1枚の写真と数行の寸評で片付けられてしまうのはいかがな事と思います。情報を発信する方は、お店の後ろに家庭・家族がいらっしゃることをお忘れにならないで欲しいのです。責任がある訳ではないのですが、いくら独断と偏見と断っていても良い寸評を書かれなかったら良い気持ちにはならないでしょう。わざわざ世に出すまでの事でもなく自分の胸に収めて置けば良いのではないかと常々思っています
裏を返せばこれだけラーメンのことを発信する人が増えそれにアクセスする人が多いのは、それだけ身近で愛されているということの証です。やっぱりラーメンていいですね。
 30年以上ラーメンを作ってきましたが、毎日味が違うのです。自分でもこれはおいしいと思うのは、つまりスープ・麺のバランスがきまるのは月に2,3度しかないのです。そのときは作っていても食べたくなります。毎日味見する訳ですから間違いありません。ということで一度で決め付けられても・・・ご理解下さい。豚骨もチャーシューもネギも毎回違う素材なのです。プロはなるべく味の波を小さくくしなければなりません。スープの出来が良くないから今日は営業しませんなんてご丁寧に貼紙をしていたお店もありましたが、お客様はそういうのが好きですね。でもそれはプロらしからぬ仕業なのです、プロは多少の波はぐっとこらえて暖簾を出すのです。私は今日スープ作りに失敗したので営業しませんじゃ素人ではありませんか?

 かなり以前のことで恐縮ですが小樽のお寿司屋さんを北 杜夫氏が雑誌で、接客が悪い事を非難しお店は閉店に追い込まれてしまった。確かにお店の接客は悪かったのだろう、しかしそれは彼が直接店に対して抗議するなり批判する事ができたはず、素手の相手に、武器(報道)を持って臨んでしまったのである。商売はお客様だけが偉いと言う事ではないと思うのです。何も提供しないで代金を頂戴しているわけではないのです、お客様にも随分と失礼な方も大勢いらっしゃいます。別の機会にどんなお客様がいらしたかを書かせて頂きます。
 数年前に街のあるグループが旭川ラーメンをもっと全国に向けて発信するのでお話を伺いたいと訪問を受けた事があった。「貴方たちは本当に旭川ラーメンが全国に誇れるという根拠を示してくれれば協力しますが、面白半分としか思えません」・・・・皆さんいかがでしょうか?旭川ラーメンというものは際立った個性があるとはいえないのです。最近、評判になっているお店は旭川ラーメンとはいえないようなラーメンではないでしょうか?ラーメン誕生の経緯からすると中国発祥で日本で変化し、変化し続けてきたのですから堅いことは抜きにしたいのですが、やはり現在よく名前を挙げられるお店のラーメンが旭川ラーメンの本物と信じ込まないでほしいのです。偽物ということではなく枝分かれしてきたと言う事です。焦点は多少ぼやけてはいますが旭川ラーメンにも歴史があり変化して現在の多種多様なラーメンが存在しているのです。
 昔は味を継承し守ることが重んじられていましたが、よりおいしく・より楽しく・差別化を考えた末に進化してきたともいえると思います。別の見方をすれば奇抜なアイディアで一儲け・・・・とも受けめられることではあります、ラーメンに限らず全ての業種・業態で差別化を日夜努力していることは尊重したいと考えております。ラーメン店を経営していた時にはこういう意見は発信しずらかったのです。