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        当日のひと仕事

16000番 連隊の娘さま   VD火村フォロー編 
(のべるずの、「明日になったら」から続いてます)
 



 

 チョコレートの山にはうんざりするが、時々つまむ分には別に嫌いではない。ただでもらえるなら、本来なら歓迎したいところだ。
 ―――余計な想いさえ込められていなければ。

 今年もまた鬱陶しい行事が巡ってきた。何だってこんな国民的バカ騒ぎになってしまったのか知らないが、バレンタインである。
 小遣いとバイトで生きる学生にとって、不況もあまり関係がないようだ。彼女らの全てが楽しいと思っている訳ではないだろうが、くだらないと思ったら参加しない意思が欲しいものだ。本命以外は誠に無駄なエネルギーだと思うが、本命でも好意の押し付けは、時に迷惑になるのではないかとたまには想像してみるのもいいと思うぞ。
 ……余計なお世話だろうが。
 もう必要もないのに、この為だけに登校して来るご苦労なヤツもいたりして、すっかりお祭り騒ぎになっている大学のバレンタイン。それは、誰からとも判らない物を人に食べさせる、絶好の機会でもある。

 ああ、また部屋の前に置いてったヤツがいる。ゴミ箱行きだって言っているのに……
 かと言って、『置くな』と張り紙するほど嫌味な人間――なんだってバレンタインごときのせいで、俺が他から反感を買わなくちゃならねえんだ――になる気もないしな。
 食べ物を粗末にすることには抵抗があるが、こっそり置いてあった物なんか食う訳には行かない。ちょっと前に流行った毒物事件じゃないが、ただでさえ恨みを買ってもおかしくない商売をしているのだ。用心する、というより当然のことだろう。
 昔は自分の命なんぞ惜しいとは思わなかったが(それでも毒入りチョコで殺られるなんてマヌケな死に方はゴメンだが)、数年前からはそうも言っていられなくなった。

 アリスが、泣くから。

 受け取ってしまったチョコの中から無記名のものは除く。申し訳ないが手作りの物も除く。店で買ったままの包装紙のものだけに限ると、それほど多くは残らない。これなら婆ちゃんにお裾分けしても大丈夫だろう、というものだけを別にして持って帰る。
 ――捨てたくなんかないんだけどな。
 本当はアリスに届くチョコレートも、そうやって選別させたい。『まさか俺んとこまで』と笑って、聞き入れてはもらえなかったが、『せめて差出し人不明のものは食うな』とだけは約束させた。しかしあっちはいくらでも偽名が使えるから、あまり意味がないんだよな……
 まあアイツが恨まれることはまずないだろうが、俺に対する恨みを晴らすにはアリスを狙うのが1番効果的だということは、調べる気になればすぐに気づかれてしまうだろう。解っているのに切り離せないのは俺の弱さだ。だからせめて、少しでも危険からは遠ざけておきたい。
 ……とまぁ、こんな風にいろいろと煩わしさがあるワケだ、このイベントには。





 更に気に掛かることに、アリスはこの時期、鬱に入る。年々酷くなっているような気がする。
 イジケてんじゃねえぞ、てめえの方がたくさん貰うくせして。……と言ってやりたいのは山々なのだが、いかんせんこの時期は忙しくて、会いに行っている暇がない。電話するのがやっとだ。
 電話越しに聞こえる声にカラ元気が混じると、飛んで行ってやれない宮仕えの我が身が恨めしくなる。最も勤め人のほとんどはそうだろうが。せっかくのカラ元気を無駄にしないように、気づかぬふりをしていつものように軽口を叩いて終わらせ、早くこの時期が過ぎ去ることを願うのがここ数年の常だ。
 待ちかねたのだろう。その日が終わらないうちに、アリスから街へ行こうという誘いの電話があった。生憎と忙しくて買い物に付き合ってやる暇はなかったが、翌日こちらに来ることを約束させた。




「さっすが、今年もいっぱい貰とるなぁ」
 何気なさそうに言うアリスの表情は少ししか保たなくて、時折切なげに歪む。部屋の隅にあるチョコの入った紙袋を見たくないのを覚られまいとするように、見ているふりをして微妙に視線を外している。
「食い過ぎて糖尿病なるんやないで」
「お前じゃあるまいし。加減くらいできるっての」
 できるだけ軽く流そうとするアリスに付き合って軽口で返す。だけどな、本当に気づかれたくないなら、その泣きそうな目をなんとかしろ。
「これやったら例え俺が買うてきたとしたって、入る余地あらへんよなー。うんうん、買わんで正解や」
「正解正解。解ってるじゃねえか。余計な気を起こすんじゃねえぞ」
「う、ん………」
 俺も解っているつもりだ。アリスがこの時期部屋にこもる理由、息せき切って会いに来る理由。

「なぁ、アリス。お前、俺の毎年のチョコレートの扱い方は知ってるだろう? もちろんアリスからのものなら別格だが、特別嬉しいワケじゃないってのは想像つくよな。せっかく意を決して買ってきたのにそんな扱いされていいのか?」
「……イヤや」
「だろ? 俺がお前にチョコなんか買わないのは、別に『バレンタインはアリスの方から』なんて考えているからじゃない。こんなお仕着せのイベントになんか乗せられる必要がないと思っているからだ。解るよな?」
 そう言ってやると、アリスはハッと顔を上げた。
「気ィついてたん……?」
「バーカ。隠し事なんか100年早えんだよ」
 10年じゃ無理だったもんな?
「俺、君にバレンタインのプレゼントしたことない。いっつも迷ってて、それで、けど……」
 解ってる。全く、バレンタインなんか俺に取っては煩わしいだけのものだった。アリスが哀しい思いをしてるのが判っているのに、何もしてやれないから尚更だ。でも、これからは。
「アリスがどうしてもチョコを買いたいってんなら買えばいい。その日に渡すことに意味があると思うのなら、そうすればいい。ただ俺はこの時期はこれ以上のチョコを食いたくねえし、アリスに無駄遣いもさせたくないし、悩んでも欲しくない。全く俺の希望どおりなんだから、アリスは胸を張ってていいんだ。参加できないんじゃない。しないんだから、堂々としてりゃいい。特別な日の力なんか借りなくても安心していられる、その方がよっぽど自慢できることだと思うけどな」
 俺が記念日を気にするとしたら、アリスが喜ぶからに他ならない。俺自身は、会いたい時に会いに行けばいいと思っているから、特別な日というのはあまり意識していない。
「……ただ、いつも会うのとは別にアリスに会える日が増える、っていうのなら歓迎するけどな。物なんかいらない。1人で閉じ籠っていないで会いに来いよ」
「――オマエ、偉そうやな……」
 アリスは嬉しそうな悔しそうな、なんとも複雑な目を俺に向ける。
「別に、女扱いしてアリスの方から来いって言ってる訳じゃねえぞ。ただ単に俺が忙しくて行けない時期だからさ。飲みに行く暇はねえけど、泊まりに来い。アリスが家で待っていてくれたら、俺は、嬉しい」
「…………」

 アリスは暫く黙り込んで考えていたが、やがて顔を上げると吹っ切れたように笑った。
「……しゃーない、次からはそうしたるわ。……なんやったら、ホワイトデーも俺から来たってもええよ」
「おう、まだ暇だったらそうしてくれ」
「締め切りがあったら、多少は前後するかもしれんけどな」
 関係ない。アリスに会えることが重要で、日付なんて無意味だ。
「うん、せやな。あんな辛気臭いんはもうやめや。性に合わん。チョコの選別も俺がやったるから、全部持ってその分早う帰って来い」
「お前がか? 基準が甘くなりそうな気がするな」
「そんなんするかい。火村の命が掛かってんねやろ? 容赦はせん。毒見も俺がする」
「アリス……」
 今までは、俺宛てのチョコには触ろうともしなかったアリスだった。
「君に向けられた想いからも、もう逃げへん。何も持って来ん代わりに、それを俺のバレンタインの仕事にする。アヤシげなチョコは極力排除するし、真剣な想いはちゃんと伝わるように、手紙やカード類は責任持って読ませたるから」
「おいおい、読んでどうするんだよ」
「せやかて、ちゃんと受け止めたげな、かわいそうやん。火村を好きな想いが、読んでもらわれへんかったら宙に浮いてまう。読んでもらって初めて、カードもお役目を果たしたことになるやろ」
 俺にはよく解らないが。応えてやる気もないものを読んでどうしろと言うのだろう。
「火村に受け取って欲しい気持ちは、よう解るもん。けど、君がそれにほだされたら嫌やから、見張らせてもらうわ。どんな想いにも負けへん自信あるけど、火村がうっかり忘れんように、隣にいて思い出させたる」
「バーカ。忘れるかよ」
 頭を抱え込んでグリグリと掻き回すと、アリスは笑って抱き付いてきた。
「俺が1番火村のこと想ってるから。自信あるから。せやから読ませても平気……」
 ぎゅうぎゅうとしがみ付いてくる。だからアリス、平気というならその目はなんなんだ。
「しっかり見張っとけよ」
「任せとき。絶対見逃してやらん」



 来年からは、鬱陶しいこの時期を笑って乗り切れるだろうか。
 1つずつ、世間の常識と折り合いを付けていこう。お互いを選んだ時点で覚悟はしていたはずだが、まだまだ圧し掛かってくるものはたくさんあるから。こんなことで揺らいでたまるか。
「今まで嫌やったからバレンタインさんも不本意だったやろなー。これでやっと安心してもらえるやろ」
 もう大丈夫、と。無意識ではないのだろう、誰よりも俺を安心させることを言ってニッと笑う。
 また少し剛くなったアリスに、どうしようもなく惹かれる自分がいる。もともとは強いくせに、俺とのことに関してだけはなぜだか臆病なアリス。こうして1つ1つ強さを取り戻して、そのうちに手が届かなくなりそうなアリスをこの手に封じ込める。
 一緒に強くならなければ。ずっと一緒にいられるように。

 バレンタインなんかどうだっていい。アリスに会ってこの想いを確認する。大切さを実感する。
 それが俺にとっての日常であり、かけがえのない特別でもあるのだ。



H12.3.29


軽い気持ちで書いた暗ーいバレンタインアリスを、よもやここまで引きずることになろうとは (-_-;)
フォローになっているのかどうか、よく判りません……