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         同 士



「なぁ、僕、迷子か?」
 さっきから気にはなっていた。
 火村との待ち合わせでここに立っている自分の前を、行ったり来たりしている子供。誰かを捜しているのだろう必死な目が、だんだんと途方に暮れたものになってきて、たまらずにアリスは声を掛けた。
「迷子とちゃうよ。待ち合わせやねんけど…… もう30分も遅刻してんねん、あんのクソオヤジ」
 心細そうだった瞳に、負けん気の光が灯る。小さくてもしっかりしたところを見せたがる子供のプライドを思い、アリスは笑みを噛み殺した。
「そっかー。お父さん忙しいんかな?」
「うん。せっかく久しぶりにデートしてやろと思ったのに…… ナンパの仕方、教えてくれるて約束してん。オレのとーちゃん、名人やねんて」
「ナン……」
 セリフの内容はともかく、しょんぼりと肩を落とす子供の姿に、アリスは内心おろおろした。
 子供は可愛くて大好きだが、自分が火村ほど子供あしらいが上手くないと知っている。火村が子供を1人の人間として自然体で接することができるのに対し、自分はどうしても構えてしまう。
 泣かれたらどうしようとか、なんとかして好かれたいとかいう思いが先に立って(嫌われたが最後、無邪気で理不尽な悪口雑言が待っているし)、機嫌を伺うような形になってしまうのだ。懐いてきてくれる子はいいが、物怖じしてしまう子に対してはどう接していいか解らない。
「よっ、と」
 とりあえず、できるだけ高く抱き上げてみる。
「どや? お父さん見えへんか?」
(これが火村だったら、カッコよく肩車とかするとこやろなぁ……)
 体力不足を自覚しているアリスとしては、これが精一杯のところだ。
「……アカン。おらんわ。サンキューおっちゃん。降ろしてぇな」
「もうええの? もっとよう捜してみ?」
「ええって。……小さい子ぉやないねんから、恥かしいやんか」
「あ。すまん」
 どこまでが小さい子に該当するのか解らないが、子供は子供なりのラインがあるのだろう。みんな自分の基準の中では、『もう大きい』のだ。
「もう学校上がってんの?」
「2年生や!」
「あ。すんません」
 大きめに見積もったつもりだったが、足りなかったようだ。思わず謝りながら、人見知りする子ではなさそうだと、アリスはひとまず胸を撫で下ろした。
「おっちゃんも人、待ってんねや。一緒にここでお父さん待つか?」
「……うん」
 かくして人待ち顔が2つ、街角に並ぶこととなった。




 アリスが寝過ごすことはしばしばあるけれども、火村の方が待ち合わせに遅れることは珍しい。携帯も繋がらないということは移動中だろうか。連絡がないということは、予定変更するほどのこともないのだろうと思うのだが…… なんにせよ、暇な時間の話し相手ができたことは大歓迎だ。
 普段は寒がりなのに、自分よりも弱い者と一緒にいると平気に感じられるのはなぜだろう? などと思いながら、アリスは彼に自分のマフラーを巻いてやった。
「おっちゃんそれ過保護や。おかんなんか子供は風の子やって、冬でも半ズボン履かせようとすんねんで? 断るけど」
「いいからおとなしく巻いてなさい。風邪引いたらお父さんとのデートもパーやで」
「……うん。ありがとう」
 素直な返事が返ってきて、アリスは妙にくすぐったいような気分で火村のことを思う。火村が自分にあれこれと世話を焼いているときは、きっとこういう気分なのに違いない。子供扱いされる自分は情けないけれど、火村にこんな気分を味わわせているのであれば、ちょっとは役に立っているのかも。
 だって今、嬉しかったから。

「ええと、名前教えてくれるかな?」
「あきやま……」
 苗字の後に、不自然な間があった。アリスは急かさずに待つ。
「―――?」
「……なつみ
「ん?」
「なつみ!!」
 ヤケクソのように怒鳴ってそっぽを向く子供。そこで『女の子か?』などと訊くような愚行を、アリスはさすがに経験上犯さなかったが、彼が拗ねたように口を尖らせている理由はよく理解できた。
「ははぁ、なつみくんか」
「―――どうせ、女の子みたい、とか言う気やろ?」
「言わんて、そないなこと。それを言うたら俺なんか、もっとすごい名前やねんで」
「なんて?」
「聞いて驚け。おっちゃんの名前はなぁ…… なんと、『ありす』っていうんや!」
「げ」
「おまけに苗字が『ありすがわ』……」
「……マジ?」
「ホンマジや。おかんの趣味やねん。街中で大声で『アリス!』とか呼ばれる身になってみろ、っちゅーねん。なぁ?」
「……おっちゃんも、苦労してんねんなぁ」
 すっかり同情されてしまった。気分はすっかり戦友である。

「少しは子供の苦労も考えたらええねん。おっちゃんもそう思うやろ?」
「全くや。想像力がちっとばかし足りひんかったんやな」
 同じ悩みを持つ者同士ということで打ち解けたのか、グチのこぼし合いのような様相を呈してきた。ここにいない親に向かって、2人とも言いたい放題である。
「秋か夏か、山か海かはっきりせえ、ても言われるし……」
「海?」
「夏の海って書くねん」
 あきやまなつみ――秋山夏海。ははぁ、女の子みたい、というだけではないのか。
 音で聞く分にはそうでもないが、この子は思ったより本格的に名前苦労人同盟の一員かもしれない。必然的に、アリスは2つ年上の先輩作家を思い出した。将来この子も、名乗るたびにあの枕言葉を添えるようになるのだろうか。
「夏の海なんて、いかにもナンパ臭いやろ? そのまんまで、何のひねりもないねん。そこでおかんをナンパしたんやて」
「出会いの場所かぁ。ええ話やないか」
「ええことあるかい。ナンパなんて軽いことして、軽く名前つけて、せやから軽く離婚なんてすんねん」
「そ、それは―――」
 それこそ軽く子供の口から飛び出した重い現実にアリスは思わず絶句し、ここにいない相手に助けを求めたくなった。そんな複雑な話は、自分の手に余るかもしれん……
「あ、別に傷ついてるわけやないから。おっちゃんも気にせんといてな? おとんともちょくちょくデートしてるさかいに」
「そ、そぉか……」
 逆に気を遣われてしまった。
「オレもナンパの名人になるねん。けどオレは軽くやなくて、真剣にナンパする」
「…………」
「けど名前がなー。おかんの苗字に変わるってとき、『ええ名前やんか〜』って笑いこけてんで? そーゆー親やねん」
「……ぷっ」
 アリスは反論しようとしたが、できなくて結局笑ってしまった。自分の母親を思い出してしまったので。
 『有栖』という名前を付けるにあたって、別に軽く考えたわけではないだろうが、面白がったことだけは間違いないだろう。それに自分がそうであるように、それだからといってこの子が両親を嫌っているわけではないことは、ちゃんと伝わってきたから。
「ナンパするときに、ええ話のネタになるんとちゃうか?」
「そっか?」
「それに、『秋山秋海』よりはなんぼかええ思うで」
 全国の吉川吉男さん、春川春子さんゴメンナサイ。アリスは心の中で手を合わせた。有栖川有栖に免じて許してやってください。
「まあな。秋に海に行くほど、あの人らはロマンチストやなかったってこと。海は夏に遊びに行くトコなんや」
「夏海くんも、苦労人やなぁ……」
 2人揃ってため息を1つ。

 けれどもアリスは大事なことを思い出して、慌てて付け加えた。
「あ、けどな。俺は自分の名前、嫌いやないねん」
 そう今は。この名前はけっこう気に入っている。
「なんで? いっつもからかわれてイヤやったって言うてたやん」
「うーん。……けどな、いつか君に大切な人ができて、その人に大切に名前を呼んでもらえるようになったら、きっと君も好きになれると思うよ」
 火村が呼んでくれるから、こんな名前でも、まぁいいかと思うようになった。火村が大切に呼んでくれるから、好きになった。
「ふーん。その人おっちゃんの好きな人?」
「え。まぁ、なんちゅーか、その。はは……」
 子供相手に何を照れているのかと自分にツッコミつつ、アリスは顔が赤くなるのを止められなかった。



「アリス!」
 見計らったようなタイミングで響く、聞き慣れたバリトン。
 それほど大きな声ではなかったが、その張りのある声はいつものように街ゆく人々のかなりの人数を振り返らせ、呼ばれた本人を跳び上がらせた。
(な、なんちゅうタイミングで声を掛けてくるんや、コイツは……)
 小走りに駆け寄ってくる火村の姿に、なおさらアリスの頬に血が昇る。いつも見慣れている相手のはずなのに、急いだためだろう、少し息を切らせているのもなんだか珍しくて。
「だ、だから街中で大声で呼ぶなとあれほど……」
 ばくばく言う心臓を押さえ、小声で抗議しつつアリスは夏海の顔をちらりと盗み見た。こんなに顔が赤いのは人々の目に晒されて恥かしいからだと、ちゃんと勘違いしてくれているだろうか?
「悪い。遅くなった。―――この子は?」
「あー、えっとな、お父さんが迷子……」
「なつみ!!」
 説明しようとしたアリスを遮るかのような大声が響いた。
「遅なってスマン!」
「だから街ん中で大声で呼ぶな、ってゆってんのに……」
 駆け寄ってきた父親に抱きしめられながら抗議する夏海は、アリスと目が合うと照れくさそうに笑った。




(突然ですが、ここから別の話に続きます)



 その晩。アリスは火村に、後日好物を作らせる約束を取りつけた。
 曰く、『街中で名前を呼んで、恥かしい思いをさせたから』
「俺のせいだってか?」
「……そうや」
 先ほどのように街中で火村に呼ばれた時、人々がわざわざ振り返って自分を確認して行くのは、なにもこの名前のせいばかりではない。なまじっかいい声なものだから人の耳をひき、振り返った人(特に女性)はその見た目の良さに惹かれ、呼ばれた相手はどんなヤツなのかと興味をひかれるのだ。『珍しい名前』への興味本位の視線より、『火村に呼び捨てにされる女(ではないのだが)』への羨望混じりの視線の方がきっと多い…… と、アリスは嫉妬だか惚気だかよく判らないことを思う。
 ただ、本当はそれほど嫌なわけではないということは、火村には言わない。
 火村に呼ばれるのは大好きだから。ごく自然にそう呼ばれていることが嬉しいから。振り返る女性たちに対して、密かな優越感を感じているなんてことは内緒。


「なぁ、君は自分の名前、好き?」
「あぁ? ……別に」
 自分が大切に呼んだら、火村も今よりもっと名前を好きになれるだろうか?
「今度俺も名前で呼んだろか? 英生、って」
「……やめてくれ。寒気がする」
「いや、スマン。俺も鳥肌立ったわ。今さらどんな顔して言うていいのかわからん」
 冗談にしてケラケラと笑い飛ばすつもりだったのに、口にした途端に居たたまれないほどの恥かしさが襲ってきて、言うんじゃなかったとアリスは激しく後悔した。
 けど、大切に思ってるのは本当だから。
「すまん。やっぱよう言わんわ。けど―――」
(俺にとっては世界で1番大事な名前やから。覚えとってな?)
 照れくさくて言えない言葉の代わりに、アリスは火村の肩口に額を押し付ける。
 解っていると言いたげな火村の手が、ぽんぽんとあやすような動作で髪に触れていくのが心地良い。頭の上で火村が笑っている気配がするけれども、それはちょっと悔しいけれども、もう少しこのままでいよう。
「アリス……」
 その響きのせいなのか、混じる吐息のせいなのか―――
 ちょうど耳たぶに触れる位置で確信犯的に囁かれる名前に、背筋を震わせるアリスだった。



H13.1.14


この話はキリバンの話を考えていたときにポロッと出てきたもので、前フリというか、オマケなのです。
話の途中からリンクしてあります。変な所からですみません〜〜

アリスに「英生」と呼ばせるのは、私の方が恥かしくて居たたまれません(笑)