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「……まさか、読むわけにゃいかねえよな」

 いくら恋人同士とはいえ、日記を読む、などというのはマナー違反だろう。
 ―――こんなところに放っておくなんて、よっぽど疲れてたんだな……
 枕もとのスタンドを点け、久しぶりに見るアリスを観察する。
 おそらく締め切り明けなのだろう。バタンと倒れてそのまま寝入ってしまったのか、アリスはうつ伏せになったままの格好で布団も掛けずに眠っていた。伸びてきた髪をかき上げるとようやく、枕でひしゃげた横顔が見えた。そのまま髪を梳き続けても、一向に目覚める気配がない。
 ちゃんと食ってたのか? 顔色もあまり良くない。
 ―――やっぱり、気になるな。
 こんな昔の3日坊主の日記に何の用があったのか知らないが、締め切り前の疲れている時にわざわざひっぱり出して読み返すような、何かが書いてあるのだろうか……?
 起きて、これが俺の手にあるのを見たら、きっと真っ赤になって怒るだろうな。

 やってみるか……? ふとイタズラ心が頭をもたげた。



「アリス、アリス起きろ」
「……ん」
「起きろってば」
「うーーーー?」
 眠くてたまらない、といった長い返事をして、背を丸めて両手でゴシゴシと目をこすって、ようやく薄目が開く。
「なんやー? ……ひむら? 来てたん?」
 俺を認めて、ほわぁ、とほころんだ顔に一瞬止めようかと思ったが、仕掛けるより早くアリスの方が気づいた。

「あー、それ。君、何持ってんねん」
 わたわたと俺の手からノートを取り戻して、じーっとこちらを伺っている。
「……まさか、読んでへんやろな?」
「読んだ、って言ったら?」
 アリスは予想通りぐっと詰まって赤くなったが、怒り出す代わりにじっと俺の目を覗き込んできた。
 ぼさぼさの髪、起き抜けの顔ではあるが、こんな風に見詰められるのは悪くない。さて、どんな判断を下してくれるのかな?


「……ウソ」
 暫しのにらめっこの後、裁判官は穏やかに宣言した。
「あん?」
「君、読んだってウソやろ?」
「なんでそう思う?」
「……思うんやなくてわかるんや。当たってるやろ?」
「大当たり」
 そう言ってやると、アリスは本当に嬉しそうに笑った。
「やっぱりなー。俺の観察眼も捨てたモンやないなー」
 うんうんと満足そうに肯いている。
「どうしてわかった?」
「ん? 何となく……」
 どこが観察眼だ、という返事だな。迷探偵め。
「んー、よう解らんけどな。ホンマに読んだんやったら、もっと違う反応が返ってくるような気ィする」
「どんな?」
「さぁ? けどここにあんのは有栖川有栖の波乱万丈の人生の感動巨編やから。読んだら君かてそんな冷静ではいられんはずやもん。君も大きく関わってるんやから」
「嘘吐け。感動巨編がそんなたった数ページで終わるか」
「え、ええっ? 読んでないって言うたやん!」
 大げさに仰け反って、アリスは目に見えて動揺した。
 おいおい、さっきの自信はどうした? さっと紅潮した頬とうろたえて泳がせた目が気の毒なほどだ。
「まあ、読んじゃいないけどな」
「……ほ、ホンマやろな?」
「ああ、手には取ったけど。パラパラとめくってみただけだ」
「……何か思った?」
「3日坊主」
 そう言うと、アリスははぁぁ〜っと大きく息を吐いた。
「よっしゃ、読んでへん! ……この日記な、実は1日分しかあらへんねや」
 1日坊主はあっという間に元気を取り戻して、へらっと笑う。
「何だよ。読んでないってわかってたんじゃねえのかよ」
「へへっ、恋人には何でもお見通しや! って、俺かてたまにはそういう気分を味わってみたかってん。いっつも火村にばっかり見抜かれてんの、なんや悔しいやんか。でも当たってるかドキドキやった。……なぁ、火村もこんな風にドキドキしとるん?」
 さぁ、どうだろう。ほとんど当たってると確信してはいるが、結構ハッタリも効かせてるからな。そんなこともあるかな。
 けどそんなことは言ってやらない。
「お前と違うよ」
 軽く頭を小突くと、アリスは少し不満そうに、でも幸せそうに笑った。



「なぁ、本っ当に読んでへんよな?」
「しつこいぞ。……なんだよ、信用できねえのか」
 よっぽど心配なのか、にらめっこ再び。今度は反対にこちらから目を逸らさずに近づいてやると、キスの距離まで近づいたところで、わたわたと身体ごと逸らされた。……惜しい。
「よ、よしゃ、信用したる。……せやな、読んだとしたら、もっと嬉しそうなはずや」
「―――そんなにいいことが書いてあるのか?」
「ふふー、企業秘密や。さ、どっかメシでも食いに行こうや」

 わざとのようにノートを枕の上に置き、部屋を出ようと急かすアリス。きっと頭の中では、どこに隠そうかと一生懸命に知恵を絞っているに違いない。
 ……くそう、気になるじゃねえか。遠慮なんかするんじゃなかった。いつか絶対読んでやる!
 でもまぁ、今日のところはおとなしく部屋から連れ出されてやることにしよう。隠しているものを無理に探し出すような、無粋な真似はしたくない。

 いつか絶対、アリスの方から読ませてくれるように仕向けて見せるからな! そう決意した夕暮れだった。



12.3.4


火村ちょっと情けない…… いや、ウチではいつものことか(爆)


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