〜 忘 〜
気がつくと私は元のテントの中に立っていた。
「お、戻ったか。大成功! どうだっ…… んん、泣いておるのか? どうした」
「…………」
私は何も答えることができず、ただ俯いて立ち尽くしていた。
そのうちに訳のわからない不快感が込み上げてきて、私はその場にしゃがみ込んだ。貧血とは違うが、なんだかクラクラする。頭の中で何かが起こっている。
それはたぶん、記憶の再構築。
私がしでかしたことによって歴史が変わった。火村が、私のよく知っている火村ではなくなってしまったはずだ。当然私の持っている火村との思い出にも、修正が施される。
(嫌だ……)
2人っきりで過ごしたほとんどが、消えてなくなるはずだ。絶対になくしたくない、大切な想い出。
嫌だと言ってもそれは仕方のないこと。始めから判っていたことだ。
(でも、嫌や。忘れたくない……!)
酷い眩暈のような嫌な感覚がようやく治まる。私は恐る恐る記憶を探った。
つい先程の記憶。……ちゃんと覚えている。あの真っ赤な光景。まだ幼い彼。
火村についての記憶。大学の2回生の春に出会って、親友になって。
ああ…… 違う。
そして、違うということをちゃんと認識できる――?
本来の火村と、私が干渉したことによって修正された火村。どういう理屈かは解らないが、私はどちらの記憶も持っているようだ。
私が愛していた、どうにも癒せない闇を抱えた火村。その彼はもうどこにもいない。
でも、私は覚えている。絶対に忘れたりしない。
よかった……
火村が苦しんでいたことを忘れてしまっていたらどうしようと思っていたが、それは杞憂だったようだ。パラドックスが発生しないよう、そこは調整されているのかもしれないな。私がそれを知らなかったら、そもそも私が過去へ行くこと自体がなかったはずだから。
2人の大切な想い出も――火村は忘れてしまったはずだけれど――私は失わずにすんだ。
私と過ごした時間は、彼にとっても大切なもののはずだったと自負している。それを勝手に取り上げた。始めから存在しないことにした。
ごめんな、火村。勝手にこんなことして。2人のことは、君の分まで俺が大切に持っとくから。
「兄ちゃん、大丈夫か? ちと休んでいくか?」
「平気や。……おっちゃん、ありがとう」
「ふむ。礼を言うか」
うん。ありがとう。
私は、ずっとこうしたかったんだから。
私抜きでも、火村の人生に何ら支障はない。むしろ順風満帆に思えた。
私と親友ではあっても、他に友達はいっぱいいて。
母校の助教授であることは変わっていなかった。就いた職業は同じ犯罪学者であったが、探求したいものは違っている。自分の内面に迫るものではない。犯罪者の心理を追究しているのは同じだが、それは昔起こった事件で、人生に少なからぬ影響があったから。あくまでも、被害者になったことがある者としてのスタンスだ。
惨劇を目の当たりにしたことは、まだ幼かったからか、それとも自己防衛本能が働いたからか、彼の記憶に残ることはなかったらしくて。
……よかった。
不幸な事件に巻き込まれたが、強く乗り越えた。それだけのこと。
ルックスと頭がいいのは変わらない。性格はあんなに複雑に屈折していない。それから人当たりがいい。20歳で出会ったときには別人かと思うような好青年になっていたから、当然友人も多くて。
ちゃんと、婚約者もいて。
男とあんな関係に陥るより、優しい女性と結婚して温かい家庭を持つ方がずっと幸せなはず。
よかったな、火村。どうか幸せに…… これが、私の望んだハッピーエンドだ。
でも―――
火村が、私のものじゃない。
こうなることは判っていたはずなのに、こんなにも苦しい。
はっきりと別人ならばこんなに辛くはないだろうに、火村本人であることには変わりがなくて。
明らかに自分より秀でているのに全力で護ってやりたいような、そんな危うさはなくなったけれども、今まで私が独占していた優しさや気遣いを誰にでも示すことのできる、誰から見てもいい奴になっていた。
そして、私を必要とするような、そんな弱さも持ち合わせていなくて。
人に頼らなくても生きて行ける。
人と協調することも自然にできる。
学生時代はそんなわけで結構な人気者だったから、かろうじて親友と呼べる間柄でいられたらしいことだけでも、私は幸運なのだろうが……
できればずっと親友でいたい。我慢できるところまで。
新しい関係に私が適応できれば、ずっとこのままでいられる。
でもできなかったときは―――
ごめんな。いつか音信不通になっても、心配せんといてな。
君の幸せを私は祈ってるから。いつでも。どこにいても―――
自分の悲鳴で目が覚める。
我慢できない紅く濡れた感触。切り裂いたおぞましい手応え。洗っても洗っても拭いきれない。
誰にも罰してもらえない代わりに、これから一生付き合って行く、悪夢。
ようやく私のものになった。ずっと長い間、アイツを縛り続けていた悪夢。
私は、ずっとそれが欲しかったんだ。どんなに頑張っても、火村の心を私だけに向けることができなかった。その夢から引き離すことはできなかったから。
それを、ようやく火村から奪い取ってやった。
これからは、私がこの夢を引き継ぐんだ。誰にも分けてなんかやらない。
だって火村と2人で過ごした日々には、もう2度と戻れないのだから。
これが、私と火村を繋いでいた唯一の証になるのだから―――
H14.4.21
あーーーーーーー。却下。
自分で書いときながらナンですが、いくらアリスが望んだとしても、これじゃああんまりでしょう。
しかし、爽やか青年火村……(笑、ってる場合か!)