〜 朧 〜
悲鳴。
自分の悲鳴で目が覚める。幾度となく繰り返される悪夢。
身体の細かい顫えを、無駄だと知りつつ自分の両手で抑えつける。
(アリス……)
隣に眠るアリスが目を覚ましてしまったかどうか、思わず確認してしまうのも、もう慣れた作業だ。
初めの数年間、コイツは眠った振りを通してきた。背中をぴんと硬直させた、下手クソな狸寝入りで、必死に 『何も気づいてない、聞いてない』 とアピールしていた。
一緒に眠るような関係になってからは、さすがに毎回はお互い隠し切れなくて。眠った振りを通せなくなったときのアリスは、哀しげな顔で俺の背中に手を廻す。
紅い悪夢。辺りが真っ赤に染まる。
身近な人の命が知らない誰かに奪われて行くのを、俺はじっと見ている。
ただ呆然と立ち尽くして、見ていることしかできなかった。
それから。
血塗れのコートを脱いだ犯人は、ゆっくりと振り返り、こちらに近づいて……
俺を抱きしめた。
そして、この上なく哀しげな口調で、何かを―――
事件のあと、俺は一時的な記憶障害を起こしていたらしい。あまりにもショッキングな光景を目の当たりにしたための、自己防衛本能。
思い出した後も、なんだか夢の中のできごとのようで。
犯人の顔も見たし、確かに自分に向けて言われた言葉もあったはずなのに、白く霞んであまりよく覚えていない。
覚えているのは、ただ一言だけ―――
愛してると言われたような気がした。でもそれは誰にも言わなかった。だって、それこそ理屈に合わないおかしなことだと、子供なりにも解っていたので。
見知らぬ大人。残忍な殺人犯。そんな人間が口にするべき言葉ではない。
そのあと、俺は夢に魘されるようになった。
この夢が本当にあったことなのかどうか、それは俺には判断し難い。だからこれは思い出した訳ではなく、後から夢によって覚えさせられたようなものだ。
何度も何度も夢に現れる、血に染まった恐ろしい光景。
それなのに、なぜだか切ないような。
犯人の顔までは覚えていないが、何があったかはなんとなくわかる。
あのときの犯人の行動が不可解で、なにより言われた言葉が理解不能で。いったいあの犯人はどんな状況にあったのか、どんな心理に陥るとああいった行動に出るのか、それが知りたかった。知らなければいけないと思った。
だから、犯罪学者の道を選んだ。
隣に眠るのはアリス。この上なく大切な存在。それなのに。
夢に魘される。
あのときからずっと続いてきた夢に、いつしか変化が顕れた。このところの夢に比べたら、以前のそれはただ紅くて恐ろしいというだけで、今よりはずっとましだった。
悪夢だ。
どうしても思い出せなかった犯人の顔。夢の中でも、白く霞みがかかってほとんど判らない。ずっと何年もの間、それは変わらなかった。
それなのに。
アリス。どうしてお前なんだ。
ずっと白く霞んでいた犯人の顔。それが、どうしてか今になって鮮明に見える。
振り返って近づいてくるその姿も。
俺の視界からその光景を遮るように抱きしめる、その腕の温かさも。
愛してると囁く、その顫える声も。
アリス以外の、何者でもなかった。
そんな夢を見てしまう自分が信じられない。なぜ犯人の顔がアリスと重なったりするのか。
俺はどうしてこんな夢を見る? あの時の犯人がコイツだなんてありえないのに。
アリスは俺と同い年だ。犯人は大人だったはずだ。アリスのわけはない。
でも……
アリスには言えない。俺をずっと苦しめている夢の中の犯人が、お前の顔だなんて。
こんな夢を見続けたら、俺はどうにかなってしまう。
ふと視線を上げると、アリスが目を開けてこちらを見ていた。いつもと違う反応。
「ゴメンな……」
意味不明な謝罪と、一筋の涙。
「何が」
「な…にも、ならんかっ……」
「アリス?」
目を閉じても流れ続ける涙。この夢は、コイツをもこんなに苦しめている。
それが解っていながら、俺にはどうすることもできなかった。
H14.4.21
アリス無駄骨だったバージョン。後味悪くてゴメンナサイ。
なんだかんだ言って、全部救われない話になってしまいました。
人殺しなんてしちゃったら、幸せになんかなれないってことですね。