cheche.gif (3823 バイト)斎藤君のパリダカ参戦日記

ある日1通のMailが届いた。そこには「パリダカに出るでぇー!」と書かれてあった。
浪速のラリーリスト斎藤君が「DAKAR2000」に参戦する様子を本人のMailにて紹介しよーと思っています。

DAKAR 2000

今回は2000年に行われる記念すべき大会である。毎年パリからのスタートだが今回は1月6日にダカールからスタートし1月23日カイロへゴールする。総走行距離は10000kmに及ぶハードなラリーになりそうだ。「DAKAR 2000」のTSO公式ホームページは日本語で見ることが出来るので是非チェックしてね。

斎藤君のプロフィール

本名:斎藤正彦 出身地:大阪 

TBIなどの国内ラリー参戦はもちろんのこと3rdRallyRaidMONGOL1997では総合10位で完走する。
また、SSER ORAGANISATIONのオフィシャルも勤める期待のラリーストだ!?

 


1999年11月12日15日19日21日  12月15日17日31日 

DAKAR 2000     Stage 1(1/6)Stage 2 (1/7)Stage 3 (1/8)Stage 4 (1/9)  
          ・ Stage 5 (1/10)
RaceResults   ・ Stage 6 (1/11)ラリー中断!Stage 11 (1/17)Stage 12 (1/18)  
          ・ Stage 13 (1/19)Stage 14 (1/20)Stage 15 (1/21)Stage 16 (1/22)
           ・ Stage 17 (1/23)

DAKAR完走のご挨拶    Part 1 (1/27)Part 2 (1/28)  


1999年11月12日

ボンジュール みんな元気!! 斉藤 正彦です。

パリダカ行くぞ!!!! 2000年1月6日スタート!!!!! 
応援よろしく!!!
ダカールの海岸線を気持ち良くスタートし、エジプトのスフィンクス君の前で盛大にゴール(予定)!!!!10000km走りまくるぞ!!!

TSO(主催者)のホームページにきっと速報が出るのでお楽しみに!!

日本を出発するまで約一ヶ月。さて急いで準備をはじめなければ。

レギュレーションに書いてある予防接種を打ちに行くぞ!!!っと思ったら、
日本では認可されていない???!!!どうすんねん!!

海外旅行すらほとんどしたことないのに、1ヶ月も日本を離れるのだからレトルトに、缶詰に、ラーメンに、シャンプーに、歯ブラシに、虫除けに…。百円ショップで必要そうなものをまとめ買い。
その足でジャパンで品定め。吉野家で牛丼くって続いてコーナン。
パンツとシャツと靴下はユニクロでまとめ買い。
あれっ、バイクの部品とか、ジャケットとかモトパンとか肝心な物がないやん!!

ところで飛行機のチケットってどう買うねん?

さすがパリダカ!!レギュレーションは見知らぬ言語でかかれているではないか。
うそつけ!英語やんけ!!!

てな感じです。

ほな、サハラ行ってきます。
きっと、すごいで。きっと、おもろいで。

1999年11月15日その1

ども、斉藤です。  だんだん、ぜんぜん準備が間に合いそうにない現実が見えてきました。
送信は自分の首をしめそうなのであんまり出来そうにありません。
ほんとに寝る時間もないくらい仕事が忙しくて、それどころじゃなくなりそうです。

1999年11月15日その2

ボンジュール 斉藤 正彦です。

げっ 明日までにビーコン代を振り込まないといけない!!!(ビーコンって非常用の発信機のこと。死にかけの時に使う)ちんたら訳してたら期限切れてしまうやんけ!!!
なになに振込みはカードか電信送金でフランスへ。
うっ カードなら番号書いてFAXするだけでよさそうであるがカードなんかもってないやん!!!
だって海外旅行とかしたこと無いもん!!送金ゆうても銀行開いてる時間は仕事やっちゅうねん。
もっとはよう書類送ってこんかい!訳すのどんなけ大変やおもてんねん!!!
純和風育ちやねんぞ!!!暗号で書いた書類なんか、すぐ返送できるか!!!
(暗号ちゃうやん。英語やん。)

装備品に発煙筒が3本必要?あんなリレーのバトンみたいなもん3本も持って走れるか!!
谷口さんに聞いてみると最近のビッツ(トヨタ車)とかのは小さいらしい。誰か他に小さい発煙筒売ってるとこしらへんか?ビッツのは直径が25mm長さが120mmぐらいだそうです。

それから外務省!!リビアへは行ったらあかんとかお役所みたいな硬いこと言うなや。危険指定地帯かなんか知らんけど。そや、リビア、しっかりせんか。ビザとられへんやんけ!!!!

ところで薬を手に入れなければ。あの鼻から吸う気持ち良いやつ。その薬ちゃうやろ!!

マラリヤの薬は日本では手に入らんらしい。ナンでも副作用があるんで、認可されてないらしい。
なんか医者が言うには、平衡感覚がおかしくなるらしく、パイロットとかは飲まないらしい。
副作用が出たら1週間では抜けんらしい。バイク乗りはどうなんやろか? 飲むべきか、飲まざるべきか。

みんな、小さい時にどんな予防接収受けたかしってる?

なんか、小さい時に3種混合とか何を受けたかわかってたら、うたんでいい予防接収もあるらしいで。おれは破傷風とB型肝炎とポリオって言うやつをこないだ打ってんけど、もう一回行かなあかんねん。なんや、いろんなワクチンあるらしいで。なんやおっさんが言うには、生ワクチンとか言うのはきついらしいで。それもうったがな、黄熱病。大阪では2箇所でしかうてんらしい。なんか南港の税関みたいなところで打ったけど、ぜんぜん病院みたいなとことは違うかった。ざっと、予防接種4種類で1万円は越えそうやね。

でもレースとかちゃうかっても、海外行くときは前もって予防接収は受けとった方がいいらしいで。
先生がゆうとった。犬にかまれて、狂犬病のウイルスとか入ったら最悪やし。死亡率高いらしいで。

それにしても純和風なno外国語でほんまにペテランセルと友達なれるんやろか?

そんなことより車検とかちゃんと通るんやろか?

まぁ、どうにかなるやろ。そんなとこでやめられへんし。
はよ、こないだTSOからきた書類訳さな…。

てな感じです。  ではでは。

サハラはスゴイらしいで。きっとスゴイで。きっとおもろいで。

1999年11月19日

ボンソワール!!
斉藤 正彦です。

激励のメールをありがとう!!
個別に返事が書けなくてごめんね。

出発日決定
12/12(日)の夕方関空より、往復8.5万円のチケットで!!
このチケットとるのがまた大変!
何せ海外なんかほとんどいったことないから、OPENチケットやFIXチケットや言われても何の事か
ちんぷんかんぷん??
あっちこっち電話掛けまくって、親切なおねーちやんに教えてもらいました。
飛行機のチケットて、ほんまに値段色々やねんねぇ。

もう後1ヶ月後には日本を出発するというのに、ジャケットもモトパンもまだ買えてない。
1ヶ月言うても、日曜日は3回しかあれへんし、準備もこの3日でしなくてはならない。うーん。
ほんとに大丈夫なんか?若干心配である。

少なくても次の日曜日には何を持っていくかと、何を買いたさなあかんかをきっちり考えなくては。着替えも適当にユニクロでまとめ買いしたけど、50日近くも帰ってこないことを考えるとパンツ10枚ではやっぱりたらん。キャンプついたらはき替えたいやろし、ラリー中は洗濯できるとも思えんし、うーん20枚はいるか?こんなけあったら当分の間、パンツ買うこともなさそうやな。

ここで、みんなから質問の多かった事についていくつか。

>同じバイクのりの素朴な疑問、パリダカってモンゴルよりもお金かかるんでしょ?

かかります。いくらかかるのかは僕にもまだわかりません。400万?500万?600万!!!!

>斎藤さんは、どうやって工面したの?

労働と節約あるべし。僕は毎日、朝8時にはデスクに座り、夜は10:00でもまだ仕事をしているサラリーマンです。土日も休まない人が多い会社です。つまり自分の時間は月に数日しかありません。平日は仕事以外のことはまったく出来ません。
そのかわりお金は用意できました。スポンサーはありません。

>それ以上に斎藤さんの会社って連休取るのものすごくキツイんでしょ? 
会社は大丈夫だったの?

休職(無給)になりそうです。クビは避けれそう???!!!

>バイクは?

XR400です。バイクの選択は少し迷いましたが、ぼくには良いのではないかと思っています。
実は400にはほとんど乗ったことがない!!のですが、つい先日、すばらしい友人より400を丸々貸してもらっています。数時間しかのることは出来そうにないスケジュールですが非常に乗りやすくて良い感じです。行けそうな気がします。

ではでは、また。

1999年11月21日

ぼんそわーる!!!みんな元気!!斉藤 正彦です。

やったー!!ついに念願のバックスキンのラリーシートが届いた!!

前から野口シートが欲しかった。(野口壮美というバイクのシートのすごく良いのを作ってくれる所)あのバックスキンのシートが”高級”、”ラリー”と言う雰囲気がして使ってみたかった。
なぜなぜしてから単車に乗せてみた。うんうんなかなかかっちょいい!!。
では、早速またがるとするか。

がっーん!!ぜんぜん足が届かない。
片足の先を思いっきりの伸ばしてつま先を地面につけると反対の足はステップの遥か上の方でぶらぶら状態。ひざの内側でやっとシートという感じ。風が吹いたら倒れそう!!??。
もともと僕は163cmしかなく、足もそれなりしかない。
しかも、XR400と言うやつは、もともと僕のサイズにはで来ていない。つまりシートが高い。
そこに、幅広加工や、固めのウレタン、若干のあんこ盛りにより、すーぱーHIGHなシートになった。

うーん。ある程度は予想していたとはいえ不安がよぎる。
スタンドの出し入れどころか、またがってはエンジンをかけることさえ不可能。

野口君にとりあえずTEL。野口君の話では、ヌブーもライエもそんなもんらしい。
野口君も海外ラリーに出ているがシートが高すぎて困った事はないらしい。
野口君は確か185ぐらいあったような気がする。あまり参考にはならない??

手直しにも時間がかかるのでこのまま行く決心をした。
実のところ、2cm削っても大差はない。何せつま先立ちの反対側の足の先から、ステップまでは20cm近いのだから。5cm削っても怪しい。つまりウレタンほとんどとらないとあんまり変わらない。

走り出すときは、シートの高いママチャリに乗るおばちゃんのようにケンケンしながら飛び乗り、素直にとまるときは飛び降りることにする。パリのパレード中にもし信号があったらTHE ENDだ。

”みなさん安全のため車間距離をとりましょう”

パレードやCPで足がとどかずこけていたら笑って下さい。
アフリカツイン乗りの佐々木さんは5cm以上シート高あげても足がべったりだったもんな。
うらやましい!!

ほなまた。

P.S.だれかノートパソコンかして!!!旧式OK!!

1999年12月15日

ボンジュール。斉藤です。

12/4、忙しい中やっと、荷物をフランスに送りました。郵便局より国際速達小包にて。
なんと 15 万円ナリ。これでも黒猫とかよりは安い。
ちなみに荷物の量は5個口で合計約100kg。
帰りは船便でもいいのでもう少しは安くなると思うけど。。。
だれか、安い送り方あったらおしえてね。
ちなみに人間さまはタイ航空の安売りチケットで往復なんと8.5万円。
荷物(手荷物+あづけ入れ)約30kg付。となっています。

それからシートはやっぱり少し角をけづってもらいました。
なぜなら心配症?の僕は、そのことが気になって気になってほかの準備が進まなかったからです。全体的に低くするのは時間が無いということもあり前方の角を落としてもらいました。
効果のほどは未確認やけど、気分的にはすっきりした。

続けてボンジュール。
実はもうフランスにいます。まず関空にて、いきなりレザーマンツール没収!!!
コンパクトな折りたたみの百得工具やねんけど、ナイフがの見つかってしまった。
うっアメリカから通販で買ったばかりの新品なのに。どこで返してくれるかきいてはみるが、
飛行機の乗り換えの時に誰かにきいて、もし無ければその次についた空港で誰かに聞いてくれ、といいかげんな返事。(空港警察がハイジャック防止のためにやっている)
ほんとに戻ってくるんやろうか?

その後搭乗窓口に行くとどう見てもJALがとまっている。
やったぜJALだぜ。チケットはタイ航空だったけど合併便?でJALだぜ。なにかいい前兆かも。
(ところでJALはいいとか聞いたことあるけど、なにがいいんだろうか。)
約5時間かけてバンコク到着。さてどうすればいいのだろうか?
空港のモニターとにらめっこしながら、なんとか乗り換えに成功!!
後はフランス一直線。まわりはみんな外国人だらけ。”PORK OR FISH ?”
ときかれて、”BEEF”と真剣な顔して答えてみたりして、どうも会話になっていない。
約11時間後無事到着。ナイフを捜すのに一苦労し、空港ではフランスの警官?に片っ端から
もちものチェックされたり、なんか怪しいく見えるのやろか、めっちゃ疲れてるのに。
でもこれでフランス生活がスタートや。

さて、なにはともあれ、リビアのビザをとらなくては。
そー言えば、まだFIM競技者ライセンスも取れてないし、大丈夫かいな。
なんてじつは、あんまり気にしていなかったりしているのでした。
ただただ、仕事から解放された喜びのほうがでかいのでした。
つぎはバイクを確認して。。。。。

時差ぼけの斉藤でした。

1999年12月17日

ボンジュール。
斉藤です。

マラリアの薬は副作用がよく出るらしく、どうしようか迷っていました。
日本の医者は飲むべきだと3人が3人ともいっていました。
しかし、平行感覚がおかしくなったり、視力が落ちたり、競技者にとってはやばい副作用があるみたいです。
実際、視力障害の話しもききました。しほかにも障害がでた話しを聞きました。
で、一応買ってみました。処方箋も何も無くても、簡単に買えました。でのんでみました。
さてどうなるでしょうか?

話しは違いますが、いまフランス人にぼんち揚げを日本のスナックだといってあげました。
フランス人が言うには、これはティータイムに食べるのではなく、食事の前にくうものだ(フランスでは)といっています。ティータイムにくうのは、甘いもので、食事の前のが塩っぽいものだと。
多分そんなことをいっています。おいしいと言ってぱくぱく食っています。

でマシンはまだのってません。ですが見た目はとてもいい感じです。
ジャン!!!かうるつき!!!!です。

今はまだカウルステーとワイヤーがいろいろ干渉していますが、どうにかなるでしょう。
ステダンを取り付けるとかなりOIL交換がしにくそうなので、前方にステーを伸ばそうかと相談しています。
しかし、さらに干渉物が増えそう。ICOのことはこっちでは”イコー”というみたいです。
それがわからずにICOを手に”イコー イコー”というので”2個ほしい、僕は2個だ”とわけのわからない会話をしたりしています。

うー寒い!!
ではまた。



1999年12月31日  その1

ボンジュール&2000年突破おめでとう!!!斉藤@フランス です。
こっちはまだ1999年だけどそろそろそっちは2000年でしょう。
なにも起こっていませんか?

こっちはすごい暴風雨がありパリも木がたくさん倒れていました。看板もいっぱい飛んでいます。

ではパリダカ情報!!

どたばたして、なかなかならし運転ができなかった。天気が毎日悪い。雨ばかり。しかも寒い。
日本の北陸の天気にも似ているらしいが、曇りか雨か雪っていうかんじ。
単車もほとんど形はできていて、後少しなのに作業が進まない。
今日は乗りたいから、いったん組もうとフランス人に言うと、じゃアフタヌーンにね、と返事がくる。
で、午後になると、天気も悪いし、先にここを溶接しよう、だから、ツゥモウロウねとなる。
で次の日も同じような会話が続く。そんな中、みぞれ交じりの天気を押し切って、ならし運転。
シートはノーマルをつけてはしった。
何せ、なれない右側通行だし、街中はどうしても足つかなあかん事もあるし。
しかし、実際にはほとんど信号がない。あるにはあるが少ない。
フランスではほとんどの交差点がロータリー式になっており、まっすぐ直進するときも、いったんロータリーを半周することになる。説明しにくいが、ほとんどとまらなくても田舎道は問題がなかった。で、150kほど離れた、お城を目指して走った。海に浮かぶそのお城は非常にきれいで、かんげき!!ちょうど晴れ間も見えたので、ピザを食った。日本人の観光客もバスで乗り付けていた。いろいろ走って約400KMのならしをして時間切れとなった。距離はともかく、単車のチェックはできた。
フロントフォークに30mm近いカラーを入れたこともあり、さらにシートがあがっていた。うっ。

地元DIANではパリダカ出場発表会みたいなパーティが行われた。
うちのバイク屋からはMOTO7台が出場する。カミオンも1台走る予定。
フレンチ、カナディアン、ベルギー、チェコ、ジャポネと言うかんじの構成。言葉もぐちゃぐちゃだが、楽しい。
300人ほどが公民館みたいなところに集い、11:00から18:00ぐらいまでダンスパーティのようなものがつづいた。テレビや新聞にものり、買い物したら、店の主人がチョコをおまけしてくれたりした。
それまで、変な東洋人がうろついていると言う感じの目がガンバレの目に変わった。
言葉がまだいまいちだが、町には少しなじんだ感じ。

では次は車検だ!!


1999年12月31日  その2

ボンジュール!!斉藤@フランスです。

車検!!!!

小雨のなか、パリ郊外のバンセンヌ車検場に到着。ごろごろと排気音を立てた4輪が走っている。
トレーラーも綺麗に塗られている。一見変な何かわからないバイクもいっぱいある。

しかし、どのバイクも見た目の仕上げがかっこいい。色も形も、仕上げがすこぶるいい。
ウエアもかっこいい。ヨーロピアンは見た目がすごくかっこいい。中身はよくわからんが、かっこいい。

バイク自体はKTMが目立つ。あとはWR400、XR400、XR600が多い。
アルミタンクも多い。KTM用のタンクカウル一式をつけているのも多く、なかなかかっこいい。
比較的タンクはみんな大きい。うちのバイクは小さい方。(約35Lぐらい)
以外にシートをけづっているバイクが多い。ハイシートももちろんいるが、でかい外人もシートは低め。
疲れてくると、やっぱりこれだとかいていた。で、ハンドルはみんなかなり高い。エンデューロ HI よりもぜんぜん高い。池町君のも結構高かった。


で受け付け。僕は指定時刻を書いた黄色い厚紙のカードが無かった。日本を出た後に日本についたので、すぐフランスに送ってもらったのだが、間に合わなかった。
でも、以外に何の問題も無く、時間より数時間早めに済ませたがノープロブレムだった。
書類関係支払い関係、チケットの受け取り関係、保険関係などのやり取りも、山村礼子さんに教えてもらえたこともあり、スムーズに終わった。

で車検。礼子さんのマシンを僕と谷口さんで代わりに急遽通すことになった。
誰か、英語のできるフランス人がいっしょにいてくれると助かるのだが、時間が無いので2人で会場に持っていく。で、まず最初のところでいきなりエンジンがかからない。けりまくるがかからない。?????
かなり寒いからか??プラグをはずすと濡れている。でプラグ交換。でもかからない。??
結局、前の日にスタンドまわりの溶接をするときに、はずしたCDIのコネクタが刺さっていなかった。
等といろいろやっている間も、TSOの人たちは、親切でした。

車検と装備品検査はマシンの改造範囲を超えていて、クラス変更になったが、それ以外は比較的スムーズだった。「やっこ」や「ユーロマスター」のステッカーもはられて、ゼッケンもつき、カッコよくなってきた。

この後僕たち(多国籍チーム)はパリを大暴走することになった。
車検後、バンセンヌからエッフェル塔のパルクフェルメまでに到着指定時間があった。
普通に行けばつけるのであろうが、僕らはなんと道に迷った。どう考えても、エッフェル塔が遠くなっていく。
先頭を走るフランス人がそこいらへんのクルマに道を聞いては、バンバンパリの高速みたいなところをすり抜けしていく。僕は最後尾で雨のなか必死でついていく。少しバイクのふけが悪く、100kmですり抜けされるとついて行けない。ちなみに礼子さんはカッパも着ずにがんがんついていってました。すごい。
礼子さんはいつも私はすごくゆっくりだからといっているが、パリダカ完走者である。
街中のすり抜けもめちゃくちゃはやい。

そしてポディウムといって、エッフェルのしたで台に上り順番にスタートした。
もちろん僕もオリオールと握手した。オリオールとは車検場についた朝にも一番に握手した。
なんか笑顔で声をかけてくれたがアナウンスと歓声で聞こえなかった。

実は、この後もパリを大暴走することになった。4車線道路の車を無理やり止めてみんなでUターンしり・・・。
ルアーブルまでの指定時間がかなり厳しかったらしく待ち合わせ場所をさがして走り回った。
それにしても、パリの石畳はぬれていてよくすべった。よく誰もこけなかったもんだ。

やっとアフリカだ。

P.S.
アホウドリのステッカー受け取りました。
どっかにはっておきます。


Stage 1 

Thursday, January 6, 2000  DAKAR / TAMBACOUNDA
Liaison 204 km > Special 284 km > Liaison 106 km > Total 594km 

斎藤君#152  180位
Start 10:22:30 >CP01 12:43:32>Finish? Total−9h 30' 00" Penalty−3h

夜中の1時くらいに帰ってきたらしい。転倒して、どうもその時かなりの記憶喪失になってしまったらしい。 

(池町選手#077は25位、山村夫妻#92・#93は153位・154位。)

Stage 2 

Friday, January 7, 2000   TAMBACOUNDA / KAYES 
Liaison 7 km > Special 212 km > Liaison 140 km > Total 359km 

斎藤君#152  175位−総合177位
Start 08:06:00> CP01 10:52:39> CP02 12:25:27> Finish 12:51:09   Total−4h 45' 09"


(池町選手#077は総合24位、山村夫妻#92・#93は総合149位・151位 )

Stage 3

Saturday, January 8, 2000    KAYES / BAMAKO 
Liaison 6 km > Special 245 km > Liaison 460 km > Total 711km

斎藤君#152  149位−総合166位
Start 08:39:00> CP01 09:34:37> CP02 11:09:35> Finish 13:16:12

転倒したらしく右手の指を骨折しているかもしれないとのこと。痛くて握れないそうです。
記憶は少しづつ直ってきているみたいで、今の記憶はある、あの日の記憶はない、というカンジで、
元気よく走ってるみたいです。

(池町選手#077は総合21位、山村礼子選手#93は総合148位、旦那の山村氏#92は未到着?)

#92山村氏からのお知らせ

悲しい知らせがあります。今日は第2エタップをちゃんと走ったんですが…。(リタイヤの)経緯を説明します。きのう第1エタップで転倒しまして、ちょっと初っぱなから(勝負を)意識した走りをしていたんで、調子に乗って走ってたら「そんなに甘くねーぞ」というカンジで転んでしまいました。背中を強打しまして、その時はすぐリカバーしてそのままゴールまで着きました。オーガナイザーのドクターに診てもらったら、そんなに心配ないんじゃないか、という診断。今日1日は距離が短いから(骨折してるかもしれないけど)走ってみてごらん、というカンジだったのです。 
で、今日走ってみて、も〜ぉ痛くてどうしようもないんですよ。肩胛骨にヒビが入ってるんじゃないかと思われます。これからパリへ行って病院に行く予定です。2日間でおしまいになってしまいました。これもパリ・ダカールだと思います。                                    
                                           礼子さんの日記より拝借

Stage 4

Sunday, January 9, 2000    BAMAKO / BOBO DIOULASSO 
Liaison 69 km > Special 286 km > Liaison 253 km > Total 608km

斎藤君#152  134位−総合149位
Start 08:07:30> CP01 09:08:47> Finish 12:16:17

今日は無転倒で元気に走っていたようです。

(池町選手#077は総合19位、山村礼子選手#93は総合130位、旦那の山村氏#92は残念ながらリタイア。)

Stage 5

Monday, January 10, 2000   BOBO DIOULASSO / OUAGADOUGOU 
Liaison 86 km > Special 485 km > Liaison 191 km > Total 762km 

斎藤君#152  125位−総合142位
Start 08:33:00> CP01 10:05:48 > CP02 12:24:03> CP03 13:17:46> Finish 15:07:32 

(池町選手#077は総合16位、山村礼子選手#93は総合122位)

Stage 6

Tuesday, January 11, 2000   OUAGADOUGOU / NIAMEY 
Liaison 107 km > Special 526 km > Liaison 100 km > Total 733km

斎藤君#152   122位−総合132位
Start 07:53:30> CP01 11:08:49> CP02 13:02:35

(池町選手#077は総合13位、山村礼子選手#93は総合112位)

ラリーはどうなる?結局中断へ。 

●山村雅康氏よりパリから電話 
(日本時間1/12朝6:30、滞在中のパリより国際電話) 
 ラリーは中断ですね。ニジェールのテネレ砂漠の東側の治安に問題があり(反政府勢力がいるとされています)、TSOは今日(1/11)、ニアメイまでのレースを前半戦として終了させたようです。6日後の1/17、おそらく第11エタップのアルウィグから後半戦が再開される予定。アルウィグまでは飛行機でのピストン輸送(リビアのサバまで)と、地上移動(サバからアルウィグまで)になるでしょう。 
 このことは、ジンダー〜アガデス〜ディルクーといった、かなりの距離、ロケーションと大きな魅力を秘めた、今回のレースの目玉ステージを失ったことになります。 
 ここで勝負!と思っていたライダー達は「アリャリャ」と拍子抜けし、ここまでだましだましの走りをせざるを得なかった人は「助かった」と思っていることでしょう。 
 いずれにしても、スポーツ的興味は少なくなった、とは言えますが、ワハ〜コフラ〜ダッカラという非常に興味深く面白いルートが残されています。第13,14エタップには注目です。

Stage 11

 Monday, January 17, 2000       SABHA / WAW EL KEBIR 
Liaison 300 km > Special 146 km > Liaison 23 km > Total 469km 

斎藤君#152   118位−総合130位

(池町選手#077は総合13位、山村礼子選手#93は総合111位、谷口選手#133は128位)

Stage 12

Tuesday, January 18, 2000     WAW EL KEBIR / WAHA 
Liaison 4 km > Special 657 km > Total 661km 

斎藤君#152  109位
Start 06:25:00> CP01 07:54:49> CP02 10:29:48

Stage 13

Wednesday, January 19, 2000    WAHA / KHOFRA 
Liaison 4 km > Special 610 km > Liaison 33 km > Total 647km

斎藤君#152   66位−総合103位
Start 06:29:00> CP01 08:01:53> CP02 09:47:29> CP03 11:22:29> Finish 13:08:15 

(池町選手#077は総合10位、山村礼子選手#93は総合95位、谷口選手#133はStage 12でリタイア)

Stage 14

Thursday, January 20, 2000     KHOFRA / DAKHLA 
Liaison 2 km > Special 789 km > Liaison 61 km > Total 852km

斎藤君#152   71位−総合93位
記憶喪失がうそのように元気に走ってるみたいです。

(池町選手#077は総合10位、山村礼子選手#93は総合92位)

Stage 15 

Friday, January 21 2000     DAKHLA / DAKHLA 
Liaison 214 km > Special 352 km > Liaison 40 km > Total 606km

斎藤君#152   74位−総合84位
Start 08:42:00> CP01 10:07:10> CP02 10:49:38> CP03 12:30:08> Finish 13:33:55 
石の回廊でこけまくった模様。

(池町選手#077は総合10位、山村礼子選手#93は総合89位)

Stage 16

Saturday, January 22, 2000    DAKHLA / WADI-RAYAN 
Liaison 306 km > Special 416 km > Total 722km

斎藤君#152   78位−92位
Start 08:42:30> CP01 11:13:31> CP02 12:08:18> Finish 15:54:29

(池町選手#077は総合10位、山村礼子選手#93は総合89位) 

Stage 17

第22回大会の最終エタップ。短いリエゾン終了後、SSスタート地点に選手は再び集合する。10kmのSSはVictory Run。フィニッシュラインはピラミッドの横だ。19時からスフィンクス前で表彰式が行われる。

Sunday, January 23, 2000     WADI-RAYAN / LE CAIRE 
Liaison 135 km > Special 10 km > Total 145km 

斎藤君#152   97位−92位

(池町選手#077は総合10位、山村礼子選手#93は総合87位) 

斎藤君完走おめでとう!

 


2000年1月27日  完走のご挨拶 Part 1

ボンジュール!!
斉藤です。

パリダカ行ってきました。走ってきました。ちゃんと最後まで。ダカールの海からカイロのピラミッド前まで!!。
途中、テロ予告などがありちょっと飛行機にも乗ったけど。

砂漠。
あのテレビの中継や写真で見るデューンを走ってきました。かなり、いいです。おもしろいです。感動もします。
砂は重かったり、軽かったり、深かったり、しまっていたり、いろいろです。
気持ちよく次々超えていくときは100km/hぐらい出てます。
そんな中、風紋が波のようにできているときがあります。大きいものは高さ50cmを超えます。
柔らかければ、たいした問題ではないのですが、硬いと、吹っ飛びます。実際、吹っ飛んでるのをみたし。
これが結構やばかったりします。平らな直線の砂漠では横一列に無数のわだちができてます。
人のわだちをクロスするときに大きくハンドルが振られます。カミオンが作ったわだちは最悪だったりします。

逆にミスコースしてGPSで突っ切っているときは誰も知らない砂丘を新雪の上をすべるかのように、自分のわだちだけを残してデューンを超えていきます。これがなかなか気持ちいい!!。
尾根を超えていくときはジェットコースターのような感じです。
でもスタックすると、誰も来ないので、急にあせったりするのですが・・・。

前半、主に初日に大きなクラッシュをしてしまい、つらい状態からのスタートになったけど、日に日に走れるようになり、リビアに入ってからはデューンも始まり、後半はかなり面白かった。

とにかく、やっぱり面白かった。
パスポートもはんこでいっぱいになった。
病み付きになっている人がいるのも、わかる気がする。

バイクにのっていて、パリダカへのあこがれを抱いているのなら、すぐに行動しよう。
きっとオリオールも笑顔で歓迎してくれるだろう。

昔テレビで砂漠の中を駆けるバイクにあこがれて、そして実際にそのままの風景の中を走り抜けた瞬間の感動は、バイクのりだけが味わえる特別なもののような気がする。

ラリーは人それぞれの状況により、感じ方は大きく違うと思う。
遅いライダーは遅いライダーなりに限界ぎりぎりで走っている。4輪にも抜かれる。
この砂煙は本当にピロットの命をけずる。僕も4輪の砂煙の中で何回か吹っ飛んだ。接触した人もいる。
早いライダーは4輪に抜かれることはほぼ無い。また、さらに遅いライダーはレーシングカミオンのえじきになる。
カミオンは深いわだちを作ったり、ものすごい砂埃を延々あげ続けたりする。
たとえば僕が100km/hで走っているところを130km/hで抜いていく。
跳ね上げた石が弾丸となって砂煙の中から飛んでくる。そして、予期せぬギャップで空中遊泳することになる。

常に油断はできない。いつ誰がどこで吹っ飛んでリタイヤしても不思議はない。
ちゃんとはまだ見てないけど、SSの平均速度が100km/h近かったりする。
アクセルは開けっ放し。ちょっとよそみしているときにギャップがあれば、さようならって感じ。

デューンはいい。気持ちいい。
風紋や岩やわだちには注意が必要だが、スピードさえ出ていれば、かなりきもちいい。砂煙も少ない。

パリダカはなかなか面白い。おすすめです。

パリダカ配信はこの辺で止めときます。付き合っていただいてありがとう。いまはまだフランスです。
日本へは2月1日に帰国よていです。

ではでは。さようなら。

ではでは。

2000年1月28日  完走のご挨拶 Part 2

ボンジュール斉藤です。
メール配信は昨日で終わりと思ったのですが、暇だったので独り言メールを書きました。
良かったら読んでください。

とにかくパリダカは面白い。砂丘はすばらしく、本当に楽しい。ジェットコースターやアルペンスキーのように尾根を超えていく。いろんな国のやつとも友達になるし、面白いことだらけだ。

今日は一日、日の当たるカフェですごしました。実は飛行機の都合で2〜3日パリに滞在してます。
観光でもしようかと話していた谷口さんは負傷のため先に帰国してしまい一人になってしまいました。
同じく負傷したベルギーのチームメイトを見舞いに行きたいと思っていたのですが、深刻な状況が続いているらしく、連絡がうまく取れません。ということで、カフェで行き交う人を眺めながら、物思いにふけって見ました。

あくまでも僕の主観です。

パリダカはモータースポーツである以上、命がかかっている。またMOTOはAUTOのそれとは度合いが異なる。

MOTOの選手はほぼ全員が高い緊張(集中)の中走りつ続けている。
池町君が冗談で言ってた。「もしやっちゃったとしても何も覚えてへんから大丈夫!!」
何を隠そう、僕自身も初日付近の記憶は非常にあやしい。マシンの損傷を見る限りかなり激しくやっている。
スタートして10kmも行かないところですでに木にフロントホイールをぶつけてゆがみを取っていたという目撃情報もある。本人の記憶にはまったく無いが…。

100km/hで走っている。いやもっと出ているところも多い。
高速道路に時々穴や岩が落ちていると言った感じだろうか。

たとえば300kmの距離をピストへの高い集中の中イッキに走る。
15分の給油を済ませ、再び300kmをイッキに走る。6時間とか10時間近い間、集中して走る。
この集中力が途切れれば、いつでも簡単にレースを終えることになる。
まっすぐな高速道路のような綺麗な道でも、突然4輪に抜かれれば、視界2〜3mの中を十数秒走ることになる。突然襲い掛かる小石と砂煙にパニックになれば、そこで終わってしまうかもしれない。
ちょうど、夜の電灯の無い高速道路で自分の電気が切れたような感じだろうか。
ちなみに早いライダーはAUTOに追いつかれることはめったに無い。

スタート前にDIANの町でチーム発表会のパーティが行われた。
実費にもかかわらず300人近い町の人が集まった。
フランス人はパリダカへのチャレンジスピリットをたたえていた。町で買い物したら、おまけしてくれたりした。
そして、走りきった者はちょっとした英雄のような感じになるらしいとも聞いた。どの程度かはわからないけど。
日本のそれとは違うのは事実。まるで、街の人たちは、その中に隠れている、リスクの大きさや必要とされる精神力を知っているかのようにおもえた。フランス人の多くは、もし彼の身に何かが合っても、非難するどころか、そのチャレンジスピリットをたたえるだろう。フランス人を見ているとそう思う。
人生を楽しむ、それは誇り高く生きることなのかもしれないと。

「なにかあったらどうするんだ。」日本ではよく聞く言葉だ。実際にその何かは起こる。
帰らぬところにいった人、意識は戻ったが、半身が動かないチームメイト。
ちょっとした骨折と脳しんとうなら僕もいただいた。谷口さんはヘルメットが割れていた。
礼子さんだって太ももを縫い縫いしていた。
半分ちかいMOTOがリタイヤしたが、ほとんどは人間が壊れてのリタイヤだと思う。
人間はぴんぴんでマシントラブルのみでのリタイヤは少ない感じ。
谷口さんや礼子さんのHPを見ても怪我人が多いのがわかる。
どんなに良いマシンにまたがっていても、防ぐことはできない。
ただピロット本人がすべてを決める。
また集中することで痛みを忘れ、アクセルを全開で固定する。

数百キロにわたり、集中していると、こんな妄想も浮かぶ。
僕は別に信じ深いわけではないのだが。

100km/hで走っている。
ギャップで空中に飛ばされる。
発見が遅かったか、大きさを見誤ったか、ボディアクションが遅れたか、あるいは全く気づかづにつっこんだか。
そして着地地点にまたギャップがあり再び空中に飛ばされる。
今度はリヤがはじかれて、視界に入りそうなほどマシンが横を向く。
そして着地のショックをマシンと全身で受け止める。
で次の瞬間何もなかったのごとく全開で走っている。
そんなときに、ふとラリーの神様が僕を走らせてくれていると思うのです。
着地に失敗し、そこですべてが終わっていても不思議ではないから。
運も実力のうちなどとも言いますが、どんなもんでしょか。
ほかのピロットもこんなことを感じていないか聞いてみたいものです。
昔、漫画でレーサーは神と対話すると言うのがあったけど、そんな妄想が浮かぶのもわかるような気がした。
そのギャップで終わった人と耐えた人の差はどれだけあるもんなのだろうか?
こんなことを考えるのも、心配していた病院にいるチームメイトの状況が良くないと
今朝電話があり、そのことが頭から離れないからです。

パリダカールは偉大だ。僕は、パリダカールを非難しない。
あれは冒険で無いとか、ただ完走するだけなら簡単だ、とも言わない。
十分なリスクを持った、チャレンジスピリットを必要とする冒険であり、レースだ。
MOTOに乗り、100km/hオーバーで走り続け、時にはGPSを頼りに、まっさらな砂丘につっこんで行く。
僕にとっては偉大な冒険だ。楽しい冒険旅行だ。
リタイヤしたチームメイトにとっても簡単なレースではなかったはずだ。

「ラリーは遊びだ。遊びだからこそ命がけ」そんな言葉を思い出す。

パリダカ行ってみたいですか?いつかは行ってみたいと思いますか?ではいつ行きますか?
何が整ったら行くんですか?お金?言葉?体力?技術?それはいつ整うのですか?
パリダカ行きを決める前、こんなことを自分で問いかけてました。
行かない理由を見つけるのは本当にかんたんです。
いろいろな話しは聞くけど、実際のところを行って実際に見てやろう。そう思いました。

「すべては面白そうから始まる。」僕もそう思う。

パリダカールに来たのも、はじめはテレビで砂漠の中を突っ走るバイクをみて、かっこいい!!、面白そう!!
と漠然と思ったところから始まっている。まだバイクに乗っていない頃の話しだけど。中学生くらいの頃だろうか。
今から思うと、小さな頃の隣町までの自転車での冒険にはじまり、バンドやったり、ロボットコンテストに出たりいろいろ面白そうな物に手を出してきた。特にバイクに乗り出してからの10年は、獣道へ突っ込んでみたり、地元のエンデューロに出てみたり、GROUP-Nで初めて林道をつっぱしり、続けてSSERも突っ走り、TBIを走り、モンゴルを走り、で、パリダカを走った。まさに「夢が現実に」なった。
面白そうなものに手を出してきたら、知らないうち?にパリダカまできていた。

「志すところに道はある」

憧れが志に代わった瞬間に実はその道は開かれているのかも知れない。振り返るとそんな言葉にもうなずける。
夢はかなう。だからできるだけ大きいほうがいい。なんて事にもなんとなくうなずける。

等と物思いにふけっているとアッという間に7時間が過ぎた。
日の当たるカフェはいつのまにか日が当たらなくなってしまった。
カフェオレ3杯、オムレツとパン、でかめのピザトースト1個で144FFR(2800円)
朝飯と昼飯とお茶を同じところで飲んだ感じだ。パリのカフェは物思いにふけるにはいいところです。
そろそろ夜飯の時間なので中華でも食って寝ようっと。お付き合いいただきましてありがとうございました。

では、おやすみなさい。






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