another face 〜電網の恋人〜
第十七話・対面
摩耶さん…目を覚まさないけど…大丈夫なのか?
骨折や外傷はない…息もしてる…脈もある…。
なのに摩耶さんは目覚めない…。
診断した医者によると、睡眠薬を大量に飲んだ状態に似ているそうだ…。
犯人は医者、または薬剤師か?
病室で眠りつづける摩耶さんを見守りながら、俺はすぐに乃絵美を探しに行きたい気持ちを抑えながら、翔兄の到着を待っている。
病院内で携帯を使う訳にいかず電源を切ってあるので、こちらから病院内の電話でかけるか、誰かが直接伝えに来てもらうかしないと、連絡が付かない。
乃絵美の居場所はもう分かったのか…。
乃絵美を誘拐したのは誰なんだ…。
翔兄が、来てくれるまで俺はここを動け無い。
勿論、摩耶さんをほったらかしていくわけにもいかない。
ただ乃絵美を探しに行けない苛立ちだけが降り積もってゆき、俺は動物園にいるトラのように、病室内をウロウロしていた。
いっそ摩耶さんを置いて、乃絵美を探しに行こうという考えが何度も頭を掠(かす)めたが、その度に自分の頬を叩いて、気を落ち着かせる。
翔兄…早く来てくれ!
コンコン…
「はい?」
救急車を呼んで、摩耶さんを病院に収容してから、三十分ほど翔兄を待っていると、不意にドアがノックされた。
翔兄?!
カチャ…
俺が急いでドアを開けると、そこには紺色のスーツに包まれた翔兄の背中がある。
「……。」
「翔兄!待ってましたよ。早く中に…。」
「いや…ここでいい…。」
安堵と焦りの入り交じった声で言う俺。
しかし、翔兄は部屋の方に背を向けてまま入ろうとせず、静かな声で言葉を続けた。
「乃絵美ちゃんの居場所が分かった…。」
「えっ!どっ何処です!?」
「静かにしろ!ここは病院だ…付いてこい。」
そして、静かだが良く通る声でそう言うと、翔兄は時間外出口の方へ歩き出す。
「待って下さいよ。摩耶さんに会わないんですか?」
「……。」
俺の言葉を背中に受けても、無言で歩き続ける翔兄。
「翔兄!摩耶さんの事、心配じゃないんですか!?」
「五月蝿(うるさ)いぞ…患者の迷惑だ。」
そのあまりに冷たい態度に、俺は大声で翔兄を非難した。
しかし、翔兄は相変わらず俺に静かな声で答えると、さらに歩き続ける。
「あの…病院内では静か…。」
「翔兄ィ!!」
「乃絵美ちゃんの事が心配なら、黙って付いて来いっ!!」
先程の俺の声にナースステーションから飛び出した来た看護婦を無視して、俺が大声で翔兄を呼び止めると、ようやく翔兄は振り返り、俺を一喝した。
「……。」
「……。」
「……フゥ。」
病院内に再び訪れた静寂の中で、翔兄は静かに息を吐き出すと、また出口へ歩き始める。
「翔兄…。」
もう俺は、乃絵美の事だけを考えて付いて行くしかなかった。
振り返った翔兄の目に光るものを見たとき、すぐにでも摩耶さんの…愛する人の側に行きたいという翔兄の思いが、痛いほど解ったから…。
「時間が無い…飛ばすぞ。」
「はい。」
素早く助手席に乗り込んだ俺に翔さんが声を掛けた。
『時間が無い』…そう、俺にとっても、翔兄にとっても愛する人以外の為に使う時間は、一秒も無い。
乃絵美…待っていてくれ…。
目的地までの車の中で、翔さんは、柴崎が意識を取り戻した事と、気を失う寸前、『奴』と乃絵美の行き先を見ていた事を教えてくれた。
「ここだ…。」
キュイイィィィ!
TVで良くやるような横滑りで急停車すると、翔兄は俺を目的の場所に降ろす。
専用のシートベルトを締めていなければ、体中ボロボロになっているだろう。
何故、翔兄がそんな車を持っているのかは、今、関係無い。
「俺が時間を削れるのはここまでだ。必ず乃絵美ちゃんを連れて帰れ!」
「はいっ!翔兄も早く摩耶さんの側に行ってあげて下さい。」
それ以上は何も言わずに車を急発進させると、翔兄は来たとき以上のスピードを想像させる爆音を巻き上げながら帰っていった。
街灯と排ガスの向こうへ消えて行く翔兄の車を、俺と乃絵美の為に大切な時間を割いてくれた事を感謝しながら、見送る俺。
そして…
「早かったね…。」
「えっ?」
不意に後ろ暗がりから声を掛けられた。
「まなみ…ちゃん?」
驚きと共に俺は、急いで振り返る。
その五歩ほど前に胸のペンダントを握り締めたまま、潤んだ瞳で俺を見つめている真奈美ちゃんがいた。
「菜織ちゃんから聞いて…急いで来たの…。」
「そう…。」
目的の場所は真奈美ちゃんを挟んで俺と反対側にある。
つまり、乃絵美を助けに行くには、真奈美ちゃんの横を擦り抜けて行くしかない…。
まるで、真奈美ちゃんと乃絵美を両天秤に掛けている俺の立場が、現実化したかのような状況だった。
「……。」
「……。」
俺も真奈美ちゃんも暫らく動かなかった。
周りは暗く、音も無い。
時が止まっているのか、早送りになっているのかさえ分からない感覚が、俺達を包む。
「行くよ。」
「これを…」
動いたのは二人同時だった。
俺が門の方に走り出そうと一歩目を踏み出すと、真奈美ちゃんは手早くペンダントを外して俺に差し出した。
「チャムナ達が、乃絵美ちゃんとの…絆…を辿ってくれるよ。」
「真奈美ちゃん…。」
チャムナ達は恋人の絆を守護する精霊…真奈美ちゃんはその事を解った上で、ペンダントを俺に預けようとしている。
真奈美ちゃん…
俺と乃絵美がお互いに『恋人』として意識しあっている事に気付いてて…
「レナンさん…チャムナ…二人とも力を貸してあげて!」
「……ありがとう。」
しかし、俺がペンダントを受け取ろうと手を伸ばすと、
バジィ!!
「ぐっ!つあ…。」
「キャッ…だっ大丈夫!?」
突然、ペンダントから電撃が走った。
右手を抑えて蹲(うずくま)る俺に、真奈美ちゃんが慌てて駆け寄ってくる。
「チャムナ…彼を拒絶するの……。」
困惑した顔の真奈美ちゃんがペンダントを拾いながら呟(つぶや)くと、ペンダントが淡く光り、朱・蒼・碧と様々な輝きを発した。
「えっ!?そんな…お願いだから……どうして?」
真奈美ちゃんがペンダントに向かって話し掛けている。
多分、真奈美ちゃんにしか聞こえないのだろう。
「……そう。」
そして暫くすると、残念そうに真奈美ちゃんが項垂(うなだ)れた。
「真奈美ちゃん?」
「…チャムナは、私とアナタの絆を守護しているから、私達の絆を壊す可能性のある乃絵美ちゃんを助ける事は…。」
まだ痺れの残る右手を振りながら近付く俺に、真奈美ちゃんは俺を見上げ目に涙を溜めながら、そう伝える。
「解った…。」
「グシュッ…ごめんなさい…力になれなくて…。」
「真奈美ちゃんは悪くないよ…それにチャムナは、チャムナにとって正しい事をしているんだから…。」
悪いのは俺だ。
真奈美ちゃんが泣いているのも…
柴崎と摩耶さんが襲われたのも…
そして、乃絵美が誘拐されたのも…
全部、俺が自分の気持ちをハッキリさせないからなんだ。
「それじゃ、今度こそ行くよ。」
「グスッ…うん、必ず…グシュッ…必ず乃絵美ちゃんと一緒に戻ってきて!」
胸の中で自分を責めながら、星も見えぬ曇りの夜空を仰ぐ俺。
その背中から真奈美ちゃんは力一杯俺を抱き締めると、名残惜しそうにゆっくりと体を離した。
「約束するよ。」
俺は振り返らずにそう言い残し、門を越えて乃絵美の元へと走り出す。
『St.エルシア学園旧校舎』へ…。
「乃絵美…今、行くからな…。」
「くおらー!待たんかー!」
校門を乗り越え、旧校舎へ向けて全速力で走っていると、後ろから、怒鳴り声が聞こえた。
「ヤバイッ!見付かったのか!?」
とっさに俺が素早く物陰に身を隠すと、二つの足音がだんだんと近づいて来る。
タタタ……
ドタドタドタ……
「いい加減に待たんか!」
「ハア…ハア…。」
声の様子から察すると、どうやら俺を追いかけている訳ではないらしい。
顔をソーっと出して、周りを伺ってみる。
すると…
「…チクショウ…ハア…アイツ、ナニやってんだ。」
「旧ゼイ…校舎のゼイ…鍵返さんか!」
懐中電灯を持った用務員のオッサンが、冴子を追いかけていた。
どれくらい『鬼ごっこ』を続けているのか知らないが、両者ともかなり息があがっている。
それにしても、何で冴子がここに?
不思議に思いながら、俺は飛び出そうとすると…
ガシッ
今度は誰かに腰に後ろからしがみ付かれた。
驚いた俺は、とっさに身体を回転させて、それを振り払おうとする。
ブンブン…ゴチンッ!
「ふみゃ!」
「へっ!?ミャーコちゃん?」
「うぅぅ…星が回るぅぅぅ…。」
なんと、腰にしがみ付いてきたのはミャーコちゃんだった。
振り払ったとき、ざらざらとしたコンクリートの壁に頭をぶつけたらしく、痛そうに蹲(うずくま)っている。
「何でミャーコちゃんまで?」
「もう!せっかく君を待ってたのに、ヒドイよ!」
頭のタンコブを押さえながら、涙目で抗議するミャーコちゃん。
でも、この状況で後ろを取られたら、普通は自衛行動を執ると思うのだが…
「俺を!?乃絵美がいたのか?」
「痛ッ!手短に話すから放して!」
「あっ!ゴメン」
俺を待っていたと言う言葉に、思わず俺はミャーコちゃんの肩を思い切り掴んでしまい、その痛みにミャーコちゃんが悲鳴を上げた。
慌てて手を放して、ミャーコちゃんに謝る。
…もっと冷静にならないと…。
「乃絵美ちゃんが学園内にいるのは聞いたでしょ。でも、どう考えても怪しいのは旧校舎なのよね。でも、この前から鍵が代わっちゃって、私とサエで旧校舎の鍵を用務員室に取りに行く事にしたの。」
やっぱりミャーコちゃんもそう考えたか…
新校舎やクラブハウスは夏休み中でも人の出入りがある。隠れ家にするなら、旧校舎の方が向いているだろう…。
「でも見付かっちゃって、今はサエが鍵を持って逃走中ってワケ。」
「じゃあ、冴子と合流すれば!」
そう言って、また飛び出そうとする俺を、ミャーコちゃんが腕を掴んで、また止める。
「まって!まって!君まで見付かっちゃうと後々ややこしいし、ここは私とサエに任して!その代わり、絶対乃絵美ちゃんを助けるんだよ。…約束…だからね。」
そして、俺にウィンクを一つ寄越した後、普段のミャーコちゃんからは想像も付かない程、弱々しく悲しそうな微笑みを浮かべると、ミャーコちゃんは、サエ達の方へ走って行った。
「…ミャーコちゃん…ありがとう…。」
「ニャハハハ☆サエ!こっちこっち!」
「くおらー!ゼイ…。」
「ミャーコ!……よし!」
……ダダダダダダ
ミャーコちゃんたちの声が聞こえたかと思うと、足音が近づいて来る。
どうやら冴子が来たらしい。
音からタイミングを計って、俺が物陰から半身を出すと、冴子はほぼ目の前、前方10mまで接近していた。
「…必ず助けろ!」
時間にして2〜3秒間
一言そう言って、冴子は俺に旧校舎の鍵を押し付けると、再び走り去って行った。
その後、冴子を追って用務員のオッサンが、俺の目の前を通り過ぎて行く。
「冴子…スマン…。」
カチャ…ギィィ…。
何年も手入れされずに錆付いた扉が嫌な音を立て開き、中に踏み込んだ俺を、カビと埃の匂いが包み込んだ。
旧校舎は三階建てで、東西に伸びる校舎の両端にのみ階段がある。
この中に、乃絵美が…。
ガタッゴトッ
「……。」
扉の音に気付いたのか、上階で物音がした。
どうやら『当たり』らしい…。
俺は素早く東側の階段へ向う。
階段は途中に踊り場があって折り返すという一般的なタイプのものだ。
タンタンタンッ……。
階段に積もった埃を舞い上げながら、三階まで上ると、再び静寂が校舎内を包んだ。
どうやら息を潜(ひそ)めて、不意打ちするつもりらしい。
柴崎や摩耶さんもこの手でやられたのだろうか?
「…落ち着け…。」
そう自分に言い聞かせて深呼吸した俺は、いつでも身を躱(かわ)せるように踵(かかと)を上げてゆっくりと歩き出した。
西側階段まで伸びる廊下の右側、つまり北側に教室が一つ、二つ…七つある。
このどれかに乃絵美、そして『奴』がいる…。
「……。」
まずは西側の階段まで行きながら、各教室の様子に耳を澄ましてみるか…。
もし乃絵美がいるなら、何らかの反応があるはず……。
トッ…トッ…トッ…。
片っ端から部屋に飛び込みたい衝動を押さえつつ、一歩一歩ゆっくり歩を進める。
いつ奴が襲ってくるか分からない状況だ。
感情に任せた行動は、俺だけではなく、乃絵美にまで危険が及ぶ可能性があるだろう。
トッ…トッ…トッ…。
五つ目の教室まで来た。今迄のところ、俺の足音以外は何の物音もしない。
……やはり二階だったのか…。
……今から二階に変更するか…。
だが…
「ンンンー!」
そんな事を考えて周りへの注意が散漫になった時、突然部屋の中から声が聞こえて、俺は我に返った。
それと同時に、視界の隅に鈍い光が煌(きらめ)く…。
「しまっ!!」
フォンッ!
光は、とっさに避けた俺の右肩をかすめた。
あと少し反応が遅ければ、右腕が無くなっていたかもしれない。
とはいえ傷は浅くない様だ。右肩が次第にジンジンと痛み出す。
「クッ!」
俺は、二撃目を受けない様に、急いで教室の扉から離れた。
どうやらドアの隙間から刃だけ出して、切り付けてきたらしい。
「チッ……。」
タタタ……
舌打ちと同時に、部屋の中で足音がドアから遠ざかる音がした。。
まさか!乃絵美に!?
「待ちやがれっ!」
俺は急いで駆け寄り、ドアを開け放つ。
「……どうして、お前がここにいるんだよ!」
そこにいたのは椅子に縛られ、猿轡を噛まされた乃絵美と、乃絵美の喉元に刀を押し当てているアイツがいた。
翔さんから柴崎を襲った奴の名を聞いたときは、半信半疑だった。
アイツはそんな事をする奴じゃないし、する動機も無いと思っていた。
しかし、今、俺の目の前に立っているのは…
To Be Continued...
第十八話予告
「話はやりながらしましょう。時間が無いんですっ!」
俺と乃絵美の前に立ちはだかる『友人』
「さて、決着をつけましょうか?…。」
刻一刻と迫る破滅の『時』
「さようなら…。」
そして、戦いの『終焉』
悲しみに彩られた心が求めるものは…
次回『another face 〜電網の恋人〜』