another face 〜電網の恋人〜
第十九話・相愛
「……くん!」
…真奈美ちゃんの声がする。
「…えみぃ!」
…これは、菜織の声かな?
「ど……のぉ!」
「はや……ろぉ!」
ははっ…ミャーコちゃんや冴子の声まで聞こえてきた。
そろそろ、俺…死ぬのかな?
ガシャンッ!
「何やってんのぉ!さっさと出て来なさぁい!」
何処かの窓ガラスが割れる音と共に、今度ははっきりと聞こえた。
菜織の声!外にいる!
みんなが呼んでる!
みんなが待ってる!
パンッ!
みんなの声に俺は立ち上がり、自分の頬を思いっきり張る。
俺は馬鹿だ!
まだ、俺も乃絵美も生きてるのに…。
まだ、ちゃんと動けるのに…。
こんなところで、諦らめようとしてた。
最後まで、足掻かなくてどうする?
命尽きるまで…
俺は…
俺は、諦らめる訳にいかないんだ!
「乃絵美…ゴメンな…。」
既に気を失っている乃絵美に謝ると、俺は灰を被った乃絵美の長い髪が燃え移る事の無い様に服の中に押し込んだ。
「約束だ。必ず、みんなの所へ…。」
そして、先程よりも更に冷たくなった乃絵美の唇に約束の口付けをして、そのぐったりとした身体を抱かかえる。
グォォォ………
パチッ!パチッ!パチ!
ゴトン!ゴン!
炎が校舎を…俺達の周りを燃やす音の中、一旦目を瞑って精神集中する俺。
炎を退けるくらい…
最速の走りを…
菜織…
真奈美ちゃん…
ミャーコちゃん…
冴子…
みんな…
今、乃絵美と一緒に…
「帰る!!」
そう叫ぶと、俺は両目をカッと見開いた。
一瞬、東階段までの廊下にトラックの錯覚が見える。
「スッ!」
と同時に俺は右足を蹴って、スタートした。
ダダダ……………。
いくら乃絵美が軽いと言っても、人を抱えて走るのだ。
当然、スピードは落ちる。
「くっ!」
しかし俺は、諦らめずに走った。
乃絵美の為に…。
待っているみんなの為に…。
もっと速く…。
風のように…。
そう胸の中で唱え続けながら…。
ダダダ……………。
あと…教室二つ分!
俺か乃絵美か、髪の毛が焦げる匂いが鼻に付く。
だが、不思議と熱さは感じない。
神経がおかしくなっているのか…。
それとも…。
ダダダ……………。
あと、一つ!
もう俺は限界以上の力を出していた。
今止まったら、もう二度と走れない。
そう自覚できるほど、俺の足は疲労と痛みを訴えている。
肺が焼けそうなほど苦しい。
頭もボーッとしてきた。
しかし、乃絵美から伝わる微かな温もりだけが、切れそうになる俺の意識を、かろうじて繋ぎ止めていた。
ダダダ……………。
「ぬくっ!」
勘…と言っても良いかもしれない。
東階段の手前で、俺は跳んだ。
空中で、チラリと下を見る。
「っ!」
やはり下には階段が無かった。
既に2〜3階の階段は焼け落ちていたのだ。
そのまま俺は、2〜3階の踊り場に着地する。
ドサッ!
膝のクッションをフルに使って着地の衝撃を和らげると、俺は二階への階段に向かう為に反転した。
が…
ピシッ…メリメリ…バキッ!
次の瞬間、踊り場が崩壊した。
崩壊は、下の踊り場をも巻き込み、俺達は瓦礫と一緒に地面へと落下する。
その僅かな時間に俺に出来た事は、胸に抱いた乃絵美を守るように丸くなる事だけだった。
グアシャァァァン!
俺達は地面に叩き付けられ、さらに上から落ちてきた瓦礫によって生き埋めにされる。
乃絵美の微かな温もりを感じながら、そのまま俺の意識は、暗い深淵へと沈んでいった。
…………………。
……………。
…お兄ちゃん。
乃絵美の声がする…。
…おにいちゃん。
でも姿は見えない…。
…オニイチャン。
助けられなかったのか…。
……
ゴメンな…。
俺がもっと速く行動すれば…。
…
いや…
もっと速く、俺の気持ちをハッキリさせておけば…。
こんな事には…。
…お兄ちゃん。
乃絵美…。
……………。
…………………。
「……ッ!」
目を開けると、見知らぬ天井が見えた。
白い天井に、蛍光燈が点灯しており、左の方には点滴のパックが吊るされてる。
何処だ?
病院?
助かったのか?
混濁した意識の中で、自問してみる。
無論、答えなど出ない…。
乃絵美は!?
乃絵美は助かったのか!?
「の…え…み…。」
俺は愛する人をを呼んだ。
しかし、喉をやられているらしく、老人の様に掠れた声しか出ない。
「ああっ!気が付いた!私が分かる!?」
その声に右の方から、乃絵美ではない誰かの応答があった。
この声は…菜織か?
「ねえ!?何とか言ってよ!気が付いたんでしょ!?」
必死な様子で話し掛けてくる菜織に、俺も賢明に声を絞り出して応じる。
「な…おり。」
「良かった!…心配スン…したんだから…グシュ…。」
俺が名前を呼んでやると、珍しく菜織が涙を見せた。
俺は、流れる菜織の涙を拭いてやりながら乃絵美の事を訪ねようとしたが、右腕がさっぱり動かない。
どうやら折れているらしく、冷たくて窮屈なギブスの感触があった。
「のえみ…どこ?」
仕方が無いので、頭に圧迫感(包帯だろう)のある顔だけを菜織の方に向け、今一番知りたい事を菜織に訪ねようとする。
「あっ!看護婦さん!意識が戻ったんです!」
しかし、俺の声が聞こえなかったのか、ナースコールで呼ばれた看護婦に俺の事を任せて、何処かに行ってしまった。
おそらく、みんなに俺の意識が戻った事を知らせに行ったのだろう。
「あれっ?」
菜織と入れ違いに病室へと入って来た看護婦に乃絵美の事を訪ねようとしたが、強烈な眠気に襲われ、俺はまた深い眠りへと落ちていった。
「……真奈美ちゃん?」
再び目覚めると、同じ部屋だった。
どうやら本当に生きているようだ。今日はちゃんと声も出る。
俺はとりあえず、俺の脇腹当たりに突っ伏して眠る真奈美ちゃんを起こす事にした。
夏とはいえ、このままでは風邪をひいてしまうだろう。
「んっ…。あっ!気が付いたの!?」
「うん。体中痛いけど…なんとか声は出るようになったみたいだ。」
「グス…ヒック…良かった…。」
俺と少し言葉を交わしただけで、アッという間に真奈美ちゃんの瞳から大粒の涙が溢れ出す。
菜織といい、真奈美ちゃんといい、俺の事を凄く心配していたんだな…。
相変わらずギブスに包まれたままの腕を煩(わずら)わしく思いながら、俺は一番知りたい事を訊ねた。
「乃絵美は?」
「えっ!?」
真奈美ちゃんは一瞬俺の方を見ると、俯いて何も言わなくなる。
そして、流れる沈黙。
どうして…答えてくれないんだ?
やっぱり、俺は乃絵美を守れなかったのか?
それとも、何か理由があるのか?
「真奈美ちゃん!」
「はっはい!」
「頼むから教えてくれ!乃絵美は、今どうしているんだ!?」
「……。」
少し強めに言ってみたが、真奈美ちゃんは反射的に返事をしただけで、答えてくれない。
そんなに言いにくい事なのか?
「真奈美ちゃん、どうして答え…。」
「あなたは…乃絵美ちゃんが大切なんだね。」
「えっ!?」
ポツリとそう言った後、真奈美ちゃんは俯いたまま言葉を続けた。
「私、心配したんだよ!凄く心配したんだよ!もし、あなたが戻ってこなかったらって思ったら、心が張り裂けそうだった。」
「真奈美ちゃん?」
「旧校舎が燃え始めたとき、私、飛び込もうと思った!でも、サエちゃんに止められて、あなたを信じて待つ事しか出来なくて…。」
涙を流しながら話し続ける真奈美ちゃん。
ただそれを見ている事しか出来ない俺。
「あなたと乃絵美ちゃんが瓦礫の中から発見されて、病院に収容されるときも、私はずっとあなたの側に付いてた。」
「……。」
「菜織ちゃんからあなたの意識が戻った事を聞いたとき、凄く嬉しかった。それで私、飛んで来て、ずっとあなたの側にいて…グシュッ。」
「……。」
「なのに、あなたは!」
そうだった…真奈美ちゃんはまだ俺の…『恋人』だったんだ…。
そして、真奈美ちゃんにとって乃絵美は……『恋敵』なんだ。
やっぱり、俺は……大馬鹿野郎だな…。
「ゴメン…何だか眠くなった…。」
「……おやすみなさい…。」
涙と共に訴える真奈美ちゃんを前に、結局俺は逃げる事しか出来なかった。
……
俺は…
俺は、真奈美ちゃんの事を恋人として好きでいられるのか?
…お兄ちゃん。
乃絵美…。
…お兄ちゃん?
今、何処に?
…お兄ちゃん!
俺は、守れなかったのか?
…おにいちゃん。
もしそうなら許してくれ…。
…オニイチャン。
でも…
もう一度会いたい…。
乃絵美に…。
「乃絵美ッ!」
ガバッ!
「キャッ!ビックリするでしょうが!」
「……菜織?」
「私以外の誰に見えるの?」
目覚めた俺の枕元で、見舞い用の林檎を剥きながら、菜織が答える。
どうやら真奈美ちゃんと交代で、付き添いに来ているらしい。
…今日こそは乃絵美の事を教えてもらわなくては!
「あのさ、菜織…。」
「んっ?乃絵美の事?」
あっさりと俺の考えを読んでしまう。幼なじみだからこそ出来る芸当だろうか?
とにかく今はそんな事を気にしていられないので、本題へと移る。
「ああ…教えてくれ。」
「…頭はスッキリしてる?何を聞いても驚かないわね?」
神妙な顔でそう言いながら、他のベットとの間を仕切る白いカーテンを引く菜織。
どうやら驚くような事を聞かされるらしい。
しかし、二日(俺の自覚している範囲だが)も待たされているのだ。
どんな事であろうと、一刻も早く聞きたい。
「ああ…大丈夫だ。覚悟は出来てる。」
「そう…じゃあ、どっちを選ぶの?」
「…はぁ?」
『どっち』って何と何だ?
「あっ!言っとくけど、『両方』とか、今更になって第三者の名前を挙げるのは無しよ。」
「…だから、何の事言ってるんだ?」
顔全体に『?』を浮かべる俺に、菜織がいらついた声をあげる。
「もう!いい加減にしなさいよ!これ以上いい加減な態度を取るなら、アンタとの縁を切るわよ!」
「…もしかして、お前…乃絵美と真奈美ちゃんの事を言ってるのか?」
「当然でしょ!…まさかアンタ、私が気付いてないと思ってたの?ミャーコでも知ってるわよ。」
どうやらバレているらしく、この場で乃絵美と真奈美ちゃん、どちらかを選ばなければならない様だ。
……?
ちょっと待て!
と、言う事は乃絵美は無事なのか?
「菜織!乃絵美は無事なのか?そうだなんだな!」
「それは……教えられないわ。それよりどっちなの?」
声を荒げて訊く俺に、菜織は視線を外して答える。
どうやら俺の腹が決まるまで、何も教えないつもりのようだ。
しかし…どちらかを選ぶって事は…。
「選ばれなかった方の事を心配してるんなら止めなさい。時間が無いんだから。」
天井を見上げながら考える俺の思考を見透かしたらしく、間髪入れずに菜織が言う。
『時間が無い』ってどういう事だ?
まさか!?
「まだ、決まらないの!?」
「……。」
「ハア…アンタとの仲もこれまでってワケ…。」
黙ったままの俺を見て、呆れ返った様に深い溜息を吐くと、軽蔑した視線を寄越して腰を上げる菜織。
その姿をぼうっと見上げながら、俺は自分の一番奥に在る…
純粋で…
正直で…
残酷な心を掴む。
俺が……。
「じゃ、さよなら…明日からは赤の他人ね…。」
「……ちょっと待て!」
「んっ!?」
俺が本当に好きなのは……。
「乃絵美だ。」
そう…乃絵美だ。
俺は、乃絵美を愛している。
たとえ、真奈美ちゃんを失っても……乃絵美を失いたくない!
「…後悔しないわね?」
「勿論だ。俺は乃絵美を愛している。」
「…だ、そうよ。」
俺の想いを聞いた菜織が、カーテンの向こう側に話し掛けた。
「…お兄ちゃん。」
「乃絵美!いるのか!?」
菜織の声に、カーテンの向うから今一番会いたい人の声が聞こえて来て、俺は慌てて体を起こし、カーテンを開けようとする。
「うぐがぁっ!」
「もう、何やってんの!?」
しかし、全身に鋭い激痛が縦横無尽に走り、菜織にベッドへと押し戻されてしまった。
仕方なく、そのまま菜織がカーテンを開けるのを待つ。
シャーッ
「みんな、入っていいわよ。」
「…お兄ちゃん。」
開かれた白いカーテンの向うには…
カメラとマイクを持ったミャーコちゃんが…
大きな旅行かばんを提げた冴子が…
そして…
真奈美ちゃんと、彼女に支えられているピンクのパジャマ姿の乃絵美がいた。
「乃絵美…真奈美ちゃん…。」
俺の呼びかけに、真奈美ちゃんに支えられながらガラガラと点滴も一緒に引き連れて、髪を下ろした乃絵美が椅子に座る。
そして俺の手に、ギブスの上から自分の手を重ねて首を傾げた。
「お兄ちゃん…本当に…いいの?」
「ああ…。」
「……。」
真奈美ちゃんは無言で俺達を見ているが、その目から責め立てている印象は受けない。
むしろ、俺達を祝福している様に見えた。
「真奈美ちゃん、俺は…。」
「私達…また幼なじみに戻ったんだよね。」
真奈美ちゃんが微笑みながらそう言う。
周りを見ると、他のみんなも微笑んでいた。
菜織も、ミャーコちゃんも、いつもはムスッとしている冴子でさえ…。
俺は…夢でも見てるのか?
俺は、『恋人』を…真奈美ちゃんを振った上に、『妹』を…乃絵美を愛しているを言ったんだ。
散々罵倒された挙げ句、見捨てられても仕方ないのに…。
「アンタは、約束通り帰ってきたじゃない。」
菜織…
「二人とも大怪我を負ってたけど、こうやって生きてるしな。」
冴子…
「ニャハ☆自分の気持ちにやっと素直になったし。」
ミャーコちゃん…
「あなたが眠っている間、乃絵美ちゃんと喧嘩したの…。」
真奈美ちゃん?
「『喧嘩』?乃絵美と真奈美ちゃんが?」
「うん。お互いあなたの事がどれくらい好きなのか言い合ったわ。」
首を回して乃絵美の方を見ると、少し赤い顔をしながら頷く。
どうやら本当に喧嘩したらしい。
「でも決着が付かなくて、私にはもう時間が無いから、あなたに決めてもらう事にしたの。」
「それで菜織に…。」
「うん。…菜織ちゃん本当にゴメンね。辛い役やらせちゃって…。」
謝る真奈美ちゃんに、菜織は笑顔で「いいのよ。」と答える。
つまり全て終わった後、俺の決断だけが残った状態だったらしい。
「でも、『時間が無い』ってどういう事なんだ?」
「お兄ちゃん、真奈美ちゃんは今夜ミャンマーに戻るんだって…。」
なるほど、それで『時間が無い』のか…。
乃絵美の説明に納得すると、俺は真奈美ちゃんに視線を戻した。
「…戻っちゃうんだ…。」
「うん。でも、また日本に帰って来るよ。」
そう言って微笑みながら首を傾げて、真奈美ちゃんは続ける。
「そしてまた、恋人にさせてもらうね。」
「えっ!?」
「ふふっ…待ってるよ。真奈美ちゃん。」
宣戦布告をする真奈美ちゃんに乃絵美が笑い掛けながら応えた。
どうやら、二人の間でそういう風に話が決まっているらしい。
「ハニャ☆まだ三角関係のままだったの?」
「オイオイ、コイツの気持ちはどうなるんだよ。」
「まぁ、今までハッキリしなかったコイツにも非は有るんだし…仕方ないんじゃないの。」
菜織達もこの事は知らなかったらしく、驚きの声を上げる。
でも…これで良いかな?
乃絵美が(暫定的だけど)恋人になって、みんなもそれを認めてくれて、誰も俺の側からいなくならなくて…。
…誰も?
……
…
宗一郎!
「菜織!宗一郎は!?アイツはどうなったんだ!?」
「……。」
「……。」
宗一郎の名を聞いたとたん、今迄笑顔だったみんなの表情が凍り付き、楽しかった場に沈黙が降りた。
「…宗一郎君は…。」
「生きてるよ。」
言いにくそうな菜織の後を継いで、乃絵美が話し出す。
生きてる?
助かったのか?
「でも…凄い火傷を負ってて…。」
「そうか…。」
目を伏せながら話す乃絵美の頭を撫でようとしたが、ギブスで固められた腕は動かなかった。
「もう一度…話をしたいな。」
「お兄ちゃん?」
大きく息を吐き、天井を見ながら言う俺に乃絵美が驚きの声を上げる。
みんなの視線を感じながら、俺は目を閉じて続けた。
「ゆっくりと話をして…アイツに教えてやりたいな…『信頼』と『愛情』を…。」
「アンタ、何考えてるの!?アンタ達を殺そうとした奴なのよ!」
怒りを露にした菜織が耳元で怒鳴ってきたが、俺は目を閉じたまま、静かに答える
「だからこそ…もう二度々あんな事を起こさせない為に…。」
「……お兄ちゃん。」
「アンタ……バカね。」
To Be Continued...
最終話予告
「おはよう、お兄ちゃん。」
今までと少しだけ違う日常の始まり
「お兄ちゃん、ちょっとお店に降りて来てくれないかな?」
出会い、別れ、再会する人
「お兄ちゃん…。」
愛しい人と心を通わす時間
そして、愛しい女性(ひと)に誓う『永遠』
次回『another face 〜電網の恋人〜』