≪壱≫

 

 

真っ暗…

朝が来ても真っ暗

昼になっても真っ暗

夜が深けても真っ暗

昨日も今日も

ずっとずっと、真っ暗

これからも、ずっと真っ暗なのかな?

 

 

ガチャッ

 

「みさきっ!朝よ!起きなさいって!」

「あ…雪ちゃん。おはよう」

 

部屋のドアが開いて、雪ちゃんが入ってくる。
そんな光景を頭の中で描きながら、私は雪ちゃんの声がする方へ挨拶を返した。

 

「あれ?もぅ…起きてるんなら、さっさと着替えなさい。遅刻するわよ」

「ゴメンね。ちょっと考え事してたんだよ」

 

ちょっと怒った雪ちゃんに、私は微笑みながら謝る。
微笑むのは癖みたいな物だ。そうしていれば、みんなに余計な気を使わせないで済むから…

 

「謝ってる暇があったら、さっさと着替えて!髪やってあげるから…」

 

そう言って、雪ちゃんが一度私の腕に軽く触れてから、手をしっかりと握って引っ張る。
手のひらから伝わるすべすべとした感触で、「ああ、やっぱり雪ちゃんなんだ」と思った。
そのまま私は、雪ちゃんに引かれるままに鏡台の前に座って、髪を梳かしてもらう。

 

「…まったく、相変わらずボーッとしてるんだから…」

「ヒドイよ雪ちゃん。ボーッとなんかしてないよ〜」

「説得力無いわよ」

 

そんな言葉を交わしながら、雪ちゃんに髪を梳かしてもらう。

 

「…ねえ、雪ちゃん。私って可愛いかな?」

「え?…そうね。可愛いって言うより、綺麗になったかしら?」

 

私が何となく思っていた事を聞いてみると、雪ちゃんは髪を梳きながら、そう答えてくれた。
髪を梳く手が、優しいものになったのを感じ取れる。
今、鏡の中には、椅子に座った私の髪を梳きながら、優しい表情(かお)を向ける雪ちゃんが映っているのだと思う。

 

「『きれい』?う〜ん…」

「想像できない?」

「ちょっとね」

 

今度は少し心配げな手つきになった雪ちゃんが、私に訊いて来た。
だけど、どんなに一生懸命考えても、『きれい』な私を思い浮かべる事は、出来なかった。

 

「そうね…」

 

頭を捻る私を見て、雪ちゃんは呟くようにそう言うと、髪を梳くのを止めて、私の両肩にそっと手を置いた。

 

「小学校の頃の小母様を思い浮かべて…」

「うん…」

 

雪ちゃんの言う通りに、頭の中にお母さんを描く…
私が、最後に見たお母さん…
あの朝、登校するときに、笑顔で送り出してくれたお母さんを…

 

「小母様の髪が、背中まで伸びて…」

「うんうん…」

 

頷きながら、私はお母さんのショートボブを背中まで伸ばした。

 

「目を少しタレ目に…頬をふっくらと…」

 

私の目尻やほっぺを突付きながら、雪ちゃんが『きれいな川名みさきの作り方』を教えてくれる。

 

「後は…オデコが少し広いわね。ふふっ」

 

最後にそう言うと、雪ちゃんは私のオデコをちょんと突付いた。

 

「えっと…こんな感じかな?」

 

頭の中で描き上げた『きれいな川名みさき』を見る。
なかなか上手く描けた。

でも、何だかお嬢様みたいだな…私じゃないみたい。

雪ちゃん美化し過ぎだよ…

 

「どんな感じかは解からないけれど、まぁ、大体そんな感じだと思うわよ。さぁ、着替えて、着替えて」

「うん、ありがとう、雪ちゃん」

 

雪ちゃんに授業の確認をして貰いながら、私はいつも同じ場所に吊るしてある制服を取って、身に付け始めた。
小さい頃から憧れていた高校の制服…
大きなリボンが可愛くて、よく遠い先輩達のを引っ張っては怒られていたのを覚えている。

 

「よいしょ、よいしょ…えーっと…」

 

一通り制服を身につけると、私は、体のあちこちをぺたぺた触っておかしな所が無いかチェックを始めた。

 

「腰のリボンオーケー…胸のもオーケー…ボタンも掛け違えてないね」

「いい?はい、鞄」

 

雪ちゃんが手に当ててくれた鞄を持つと、私達は一緒に玄関へと向かった。

 

「今から教室に行くと、ギリギリかしらね…」

「大丈夫だよ。私、走るの得意だからね」

 

靴を履きながら、私が雪ちゃんにそう答える。
ここから教室までなら、三分で行ける自信があった。

 

「それじゃあ、走るわよ」

「うん。いってきまーす」

 

振向いてそう言い残すと、私は、雪ちゃんより先に玄関を飛び出した。

 

「教室まで競争だよ。雪ちゃん!」

「あっ、みさき!ずるいわよ!」

 

タタタタタ…

 

そうして私達は、自分達の教室まで、抜きつ抜かれつしながら登校した。
今日もまた、楽しい一日が始まる事に胸を躍らせながら…

 

* * *

 

「へぇ…昔は深山さんに起こしてもらってたのか…」

 

少し意外に思った俺は、思わず驚きの声を上げたが、良く考えてみると、みさきならありそうだと思い直した。

 

「うん、私って、朝に弱いから…でも、頑張って二年生からは、一人で起きられる様になったんだよ」

 

屋上の風に綺麗な黒髪をなびかせ、にっこりと微笑みながら、みさきがそう答える。
何でも頑張ってみるのは、みさきの良いところだ。
そして、そんなみさきだからこそ、俺は側に居たいのだと思う。

 

「はは…俺は、今も弱いな…」

「浩平君も頑張らないと…」

「う〜ん、でもなぁ…」

「駄目だよ。いつまでも瑞佳ちゃんに迷惑をかけちゃ」

 

言いよどむ俺に、みさきが少し頬を膨らませて注意する。
多分、ヤキモチでも焼いているのだろう。

可愛い女性(ひと)だ…

しかし、これ以上この話題を続けると、みさきが拗ねてしまうので、俺は話を元に戻す事にした。

 

「解かった。解かった。…それで?まだ本題じゃ無いんだろ」

「うん。あれは…」

 

先を促す俺に、みさきは少し視線を落として、ゆっくりと話し始めた。

 

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