感謝のキモチ

中編・八匹の猫

 

 

 

「これで良しと…」

 

『準備』を終えた俺は自分の席に戻ると、そのまま机の上に突っ伏して、授業が始まるのを待つ事にした。
今日は久々に早起きして眠い。
でも、長森の為なら、それくらいどうって事はなかった。

早く来ないかな…

 

 

 

「うわぁ!何よコレー!」

「んぁ?」

 

聞き慣れた叫び声に、俺はゆっくりと顔を起こした。
前髪の隙間から見ると、黒板一面に『塗られた』チョークを見て、長森が慌てている。

 

「ふぇ〜ん…黒板消しが無いよ〜」

 

黒板の前を騒がしく走り回る長森。
本当にからかい甲斐の有るヤツだ。

 

「う〜んと、用務員室で貰えるのかな?」

 

と言うが早いか、長森はパタパタと教室を出て行く。

いまだ!

俺は机の中に隠していた黒板消しを取り出すと、両手に持って消し始めた。
ちなみにクラスの連中は、俺と長森のやり取りを面白い名物ショウだと思っているらしく、何も言わずに
(忍び笑いはもれていたが)見守っている。

 

「どうだ!この無駄の無い華麗な舞!」

 

そんな事を言いながら、『白板』を『黒板』に戻してゆく。

 

ゴシゴシゴシ

 

……
しかしこれはやりすぎたか?

 

ゴシゴシゴシ

 

「…げほッげほッげほッ!」

ここで諦らめたら、日直の長森の為に、今朝わざわざ早起きしたのがパーだ!
まだまだぁ!

 

ゴシゴシゴシ

 

……よし!真っ黒だ!

思わぬタイムロスを負った俺は、そのまま真っ白になった黒板消しをドアの上部に仕掛けて席に戻る。
そして、何も無かったかのように顔を伏せた…

……

ガラッ…ばふぅ

 

「ひやぁぁぁ…」

 

暫らくすると作戦通り、長森の悲鳴が聞こえてくる。

キマった!

心の中でほくそえみながら、俺が顔を上げると…

 

「……」

 

そこには、真新しい黒板消しを持って惚けた顔をした長森と…

ホントか?

…残り少ない髪を総白髪にした担任がいた。

 

「ぐあ…」

 

 

 

「…はぁ、信じられないよ」

「長森が素直に引っかからないのが悪いんだぞ」

「私だって、チョーク塗(まみ)れになりたくないもん」

「じゃあ、長森も共犯だろ」

「何で、そうなるのよ?」

 

長森と一緒に放課後に呼び出され、頭から湯気ならぬチョーク(なかなか取れないらしい)を巻き上げながら怒る担任に叱られた俺は、既に誰も居なくなった教室へと戻った。

 

「はぁ…浩平の所為でもう誰もいないよ」

「だから、お前も共犯だって…」

「それは、もういいよ…帰ろ」

「…そうだな」

 

 

 

日がかなり傾いた帰り道を、久しぶりに長森と雑談をしながら歩く。

何時からだろうな…
コイツと一緒に帰り始めたのは…

 

「もう浩平も中学生なんだから、こんな事止めようよ」

「俺としては、この退屈な日常を精一杯、面白可笑しくしているつもりだが?」

 

まるで母親が子供に言い聞かせるような口調で言う長森に、俺はややオーバーアクション気味に広げた腕を降って力説した。

 

「はぁ…私は普通の日常が良いよ」

「じゃあ今後、俺に構わない事だな」

「無理だよ。…だって、心配なんだもん」

 

俺が勧めた非常に建設的かつ効果的な意見を、長森は『心配』の一言で却下する。

 

「浩平っていつまでも子供みたいなんだもん。しっかりとした人が見つかるまで、私が浩平の面倒を見ないと…」

「…はぁ、もういい」

 

中学校入学以来、何度となく繰り返されてきた会話だ。後は、話が平行線になるだけなので、反論するだけ無駄である。
何故かは知らないが、長森は初めて会った日以来俺の側に居て、何やかやと世話を焼いてくる。

まぁ、そのおかげで遅刻する事も無く、そこそこの成績をキープしていられるんだけどな…
…でも、いつまでコイツは俺の側に居るつもりなんだ?

いい加減に鬱陶しくなってくるが、長森のしつこさは筋金入りだ。
小学校時代、俺がどんなに苛めまくっても、決して俺の側から離れる事はなかった。
今考えてみると、かなりひどい事をしてきたと思うが、それでも長森は、俺に微笑み掛けてくれたのだった。

まぁ、俺に『しっかりとした』彼女が出来るか、長森に彼氏が出来るかすれば自然と離れるのかもな…
可能性低そうだけど…

 

 

 

…ャー

 

「浩平?」

「長森?」

 

暫らく無言で歩いていると、かすかに小さな声がした。「聞こえたか?」という風に俺が長森の方を見ると、長森も俺の方を見ていた。
結果、二人で顔を見合わせる事になる。

……
…長森のヤツ、少し太ったか?

 

…ミャー

 

「やっぱりそうだよ!どこかな!?」

「…はぁ」

 

今度ははっきり聞こえた子猫の声に、長森はウロウロし始めた。
長森の猫好きもまた筋金入りだ。何を隠そう
(別に隠さなくても良いが)、家に六匹も猫を飼っていて、それらを拾う現場全てに、俺は立ち会っている。

 

「ほらぁ、浩平も探してよ!」

「あのなぁ…昨日も一昨日も拾ったんだぞ。今日くらい我慢しろ」

「嫌だよ!可哀相だもん」

「そんな聞き分けの無い子に育てた覚えはないぞ」

「育てられてないよ」

 

ガサガサガサ…

 

俺の言葉にいちいち返事をしながら、バタバタと路地裏のダンボールを引っ繰り返す。
周りはだんだん暗くなってきているので、捜索は困難を極めているようだ。でも放っておけば、長森は明日の朝まで子猫探しを続けるだろう。
仕方なく俺も、長森とは反対側のごみ箱を開けてみる。

 

…ミャー

 

「赤ん坊の泣き声じゃないのか?」

「違うよ。子猫だもん」

「…はいはい」

 

俺にはさっぱり聞き分けられないが、猫好きの長森が断言するんだから、間違い無いのだろう。
ますます暗くなって行く空を見上げながら、俺はため息を一つ吐いて、今度はゴミ袋を蹴っ飛ばしてみる。

 

「やまでらの〜おしょさんは〜」

 

ザシャ…ザシャ…

 

「浩平、真面目に探してよ〜」

 

今度は髪を押さえつつ、溝の中を覗き込んでいる長森が、非難の声を上げる。

 

「ちゃんと探してるだろ…ぽんとけ〜りゃ〜…」

 

フミャン!

 

「…とな…く?」

「浩平?」

 

ガサガサガサッ!

 

『フミャン!』と鳴いたゴミ袋を、俺が急いで破き始めると、長森も慌てて近寄ってきた。

 

「…えーっと…いたいた」

 

フミィ〜〜〜

 

ゴミ袋の中に手を突っ込んで、ガサゴソと紙やらバナナの皮やらをかき分けると、ゴミにまみれた子猫が見つかった。
白くて右耳だけ黒のブチがはいってるヤツと、対照的に真っ黒で左耳だけ白いヤツの二匹だ。

 

「…ったく!酷い人間も居たものだな。近頃の若いモンは!」

 

拳を握り閉めつつそんな事を言いながら、二匹の子猫を抱き上げて振向くと、長森の悲しみと怒りが入り交じった顔が有った。

 

「浩平だって、この子達を蹴っ飛ばしたんだよ」

「でも、見付けたのは俺だぞ」

「はぁ…とにかくその子達貸して」

 

胸を張って俺が自慢げに言うと、長森はため息を吐いて両手を差し出してきた。

……
…長森のヤツ、一日何回ため息を吐いているんだ?

 

「一泊二日で720円だ」

「じゃあ、浩平が飼うの?」

「それは遠慮しておこう」

 

適材適所と言う訳で、猫拾いのエキスパートに押し付けるように二匹を差し出してやると、長森は子猫を胸に引き寄せて、悲しそうに微笑んだ。

 

「可哀相…酷いよね…あなた達は生きてるのに…」

「……」

「でも、もう大丈夫だよ」

 

優しく母性的な微笑み…
…俺には無縁だった物だな…

 

「ほら、帰るぞ。送ってやる」

「え?珍しいね。浩平がそんな事言うなんて…」

 

涙を浮べながら、驚いた表情をする長森に、俺は意地悪く笑いながら答える。

 

「猫鍋をご馳走になるんだよ」

「はふん…残酷だよ〜」

 

予想通り、胸元に子猫を抱きしめて、長森が俯く。
すると苦しかったらしく、
白くて右耳だけ黒のブチがはいってる方が身をよじって、長森の腕から零れ落ちた。

 

「あっ!」

「よっと…じゃあ、コイツを届けるという用件に変更してやろう」

 

しかし、俺が素早くそいつを受け止め、首の後ろを掴んで頭に載せながら、そう言うと…

 

「ウン…お願いね」

 

長森も安堵と嬉しさが混じった満面の笑顔で、返事をしてくれた。

予定外の展開になってしまったが…まぁ良いか
どうせ暇だしな…

 

「ねぇ?名前、何が良いかな?」

「ポチ」

「それって、犬の名前だよ〜」

「長森瑞佳」

「それは、私だよ〜」

 

長森を適当にからかいながら、暗くなった道を並んで帰る。
薄暗い中でも良く映える長森の笑顔が、何故だか凄く眩しかった。

……
…俺も、長森と一緒に居る時間が好きなのかも知れないな…

 

 


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