マチビトキタラズ

第一章・幼なじみ(シイコ)

 

 

 

「……」

 

「…いやだよっ……っ!」

 

アイツが消えた…

 

「…どうして…私を置いていくんですか…」

 

また、私にはどうする事も出来なかった…

 

「どうして…ひとりぼっちに…するんですか…」

 

ただ…泣く事しか出来なかった…

 

 

 

「茜ッ!こんな所で何してんの!?」

 

後ろから私を呼ぶ声がする…

振向かなくても分かる…

…詩子

 

「傘も差さないで、ビショ濡れじゃないっ!」

「……」

 

私は詩子の方を見ずに、ただ、地面の上で雨に打たれる目覚し時計と…

その側にある足跡を見つめている。

アイツが、さっきまで居た証…

それも雨に打たれてだんだん消えてゆく。

自分を生み出した人を追う様に…

 

ばしゃっばしゃっ…

 

「茜ッ!!」

 

すぐ近くで詩子の声が聞こえると同時に、私に降り注いでいた雨が止んだ。

 

「しいこ…」

 

顔を上げると、息を切らせて私にピンクの傘を差し掛ける詩子がいた。

 

「ほらっ!風邪ひくよ。」

 

そう言って詩子が、力無く項垂れている私を引っ張っていこうとする。

ここから、引き離そうとする…

 

「嫌です」

「えっ!?」

 

腕を振り解いて、また足跡を見つめ続ける私に、詩子が驚いた顔をする。

…ここから、離れたくなかった。

出来る事なら、アイツと同じ世界に行きたかった。

 

「あ…かね?」

「ここから離れたくありません」

 

詩子の方を見ずにそう言うと、私は泥塗れになった箱ごと目覚し時計を拾い上げた。

アイツが、さっきまで持っていた物…

主人を失った時計の針は、あいつが消えた時で止まっている。

あたかもそれは、今の私のようだった。

待ち人の為に、また時間を止める。

その人が来るか、待つ事が無駄だと分かるまで…

 

「あかね…」

「…帰っていいですよ」

 

そう言っても、再び私に雨が降り注ぐ事はなかった。

私は、止まった目覚まし時計を抱えたまま、詩子はピンクの傘を差し掛けたままで雨の中をじっとしている。

 

「茜…」

「…もう少しだけ」

 

遠慮がちに声を掛けてきた詩子に、短くそう答えると…

 

「…うん」

 

詩子は、何も聞かずに頷いてくれた。

普段とは違い、ただ側にいてくれるだけの幼なじみが、とても有り難かった。

そして、降り注ぐ雨にアイツの足跡が消された頃、私の意識も途切れた。

 

 

 

「……」

 

目を覚ますとアイツの部屋の天井で、アイツが側で私の髪を弄りながら見守っている…

そんな淡い期待に反して、開いた目に映るのは見慣れた自室の天井だった。

横を向くと、机の上に目覚まし時計が置かれているのが見える。

 

カチャッ…

 

「ッ!」

 

ドアが開いて誰かが入ってくる。

私は飛び起きて、ドアの方を見たけど…

 

「あっ!茜、起きたんだ。大丈夫?」

 

入って来たのは、詩子だった。

 

…やっぱり私は、諦らめが悪いです。

まだ、アイツが消えていなくて…

いつものように私の側にいて…

くだらない冗談を言ったり…

突拍子もない事をしたり…

あの悪戯小僧の様な笑顔を向けてくれると信じている…

 

「茜?また泣いてるの?」

 

詩子は、私の椅子をベットの横まで持って来て座ると、私の顔を覗き込みながら訊いて来た。

 

泣いて…る?

 

体を起こしながら、自分の頬に手を当てると、冷たい雫が行く筋も流れているのを感じた。

そんな私を見て、詩子がポケットを探りながら口を開く。

 

「茜…何があったの?私達、幼なじみでしょ。話してよ」

 

『幼なじみ』と言う言葉に嫌悪感を覚える。

もう一人の消えた幼なじみの事を忘れた詩子に、その言葉を使って欲しくなかった。

 

「…帰って下さい」

「…え?」

 

私の言葉に、ベットに膝を着いて、ポケットから取り出したハンカチで、私の涙を拭おうとしてくれていた詩子の手が止まる。

 

「…眠くなりました」

「茜…」

 

顔をそらして私が突き放すようにそう言うと、詩子が寂しそうな顔をする。

いつも明るい詩子は、滅多にこんな顔をしない。

 

「…明日まで起きません」

「そう…なんだ…」

 

詩子は、私の涙を拭おうとしていたハンカチを胸の前で握り締めて俯いた。

 

…私…イヤなヤツだ…

心配してくれた、詩子を傷つけてる…

……

でも…今は誰にも会いたくない…

ただ、アイツに逢いたい…

 

ザーーーーー……

ピチョ…ピチョ……

 

降りしきる雨の音だけが、部屋の中に流れる。

しばらくの間、私も詩子も視線を合わさず黙っていた。

 

「茜…」

「…はい」

「また明日、学校でね」

 

沈黙に耐え兼ねたのか、ようやく顔を上げた詩子は、無理に作った笑顔でそう言うと帰りの支度を始めた。

 

「…元気出してね」

「…無理です」

 

支度を終え、ドアの前でもう一度私の方を振向いて励ます詩子に、私は一言そう答えた。

それ以上声を出したら、また泣いてしまいそうだったから…

そして、詩子にもっと心配をかけてしまう事になるから…

 

「そう…」

 

詩子は視線を落とすと、静かにドアを閉めた。

 

……

ごめんなさい…詩子…。

 

そして後に残された私は、布団を頭から被って…

また、泣いた。

 

 

 

あれから三日ほど風邪で寝込んだ私は、また以前の生活に戻った。

アイツが居た頃より少し前…

変わらぬ日常の中で、消えた幼なじみを待っていた頃の生活に…。

いや…

幼なじみではなく、大好きな人を待つ生活に…

二度と帰って来ないかもしれないアイツを待つ生活に…。

 

……

 

家を出ると雨が降っていた。

家に引き返し、傘立てから傘を取り、再び表にでる。

行き先は決まっていた。

あの場所へ。

アイツと別れたあの場所へ。

 

ザーーーーー……

ピチョ…ピチョ……

 

降りしきる雨が傘を叩き、その端から滴が落ちる。

空き地の真ん中で私は視線を落とし、アイツが消えた場所をじっと見ていた。

 

……

またこの場所に立っている。

やっぱり私に出来る事はこれだけだから…。

 

…でも…。

 

「ここにはな、家が建つんだよ」

 

私は

…待ち続けるための場所さえ奪われた…。

今の私にできること。

ただ静かにアイツの帰りを待つだけ…。

アイツの居ない日常に再び身を投じて…。

アイツの言葉を信じて…。

 

 

 

「茜、一緒に食べよ」

 

昼休みなり、一人自分の席でお弁当を食べていると、詩子がやって来た。

 

「詩子…学校は?」

「大丈夫。昼休みだから…南く〜ん、席かしてね」

 

詩子は何処へともなくそう言うと、前の席に座ってパンの袋をガサガサ開け始めた。

 

「……」

 

 

 

「ごちそうさま」

「まだ全然食べてなかっただろ」

「おなかいっぱいですから」

「それでも残すのはよくないっ。お米にはたくさんの神様が宿っていて、残すと罰が当たるぞ」

「今日はサンドウィッチです」

「それでも半分くらいはいるかもしれないだろ」

「いません」

 

 

 

耳の奥からアイツとの会話が甦る。

 

……

やっぱり、あなたの事を忘れられそうにありません。

 

「ねえ、茜」

 

箸を止めたまま、ボーッとアイツの事を考えていた私を、詩子が呼び戻す。

それと同時に、再び教室の雑踏が耳に入ってくる。

 

「…はい?」

「今日、一緒に帰ろうよ」

 

…訊かれる。

 

「……」

「ねっ?」

 

真っ直ぐ私の目を見詰めて、詩子が念を押す。

 

あの時と同じ…

一緒に帰る途中で、詩子に元気の無い理由を訊かれて…

答えて…

信じてもらえなくて・・

閉じこもる…

 

「…はい」

 

でも私は、私を心配してくれる詩子の誘いを断れなかった。

たとえ、詩子がアイツの事を知らなくても…

また、傷つく事になるのが分かっていても…

……

そして、私は今日二度目の絶望を感じた…

 

 

 

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