マチビトキタラズ

第五章・自分(アカネ)

 

 

 

最初は雪。そして雨。

白い地面を貫く、冷たい雫。

 

 

 

ザーーーーー……

ピチョ…ピチョ……

 

今日も雨が降っていた。

今年は雨の日が多い。

氷ほどの冷たさなのに、凍らずに降り注ぐ水滴。

その冷たさに凍えながら、私は今日もあの場所を見守っていた。

 

……

 

ピチョ…ピチョ……

 

半年以上前に始まった工事だけど完成が遅れているらしく、剥き出しの外壁に雨が容赦無く降り注ぎ、下へと伝ってゆく。

 

「……」

 

少し歩いて体を温める。今日は特に寒かった。

冷え切った耳に、かじかんだ手を当てると、切られた様な痛みが走る。

 

「…ひどいです」

 

呟く自分の声が震えている。

冷え切った体を自分で抱くが、服に染みた雨がより一層冷たく感じられただけだった。

 

ザーーーーー……

 

……

 

少し歩いた事で視点が変わり、アイツが消えた場所…一年前まで私が立っていた場所が見えてきた。

 

…いない

 

しかしそこに有るのは、雑草が刈り取られた地面に雨が容赦無く降り注いでいる光景だけだった。

 

「…寒いです」

 

近頃私は、独り言を良く言う。

…いや、独り言ではなく、アイツに話し掛けている。

でも、アイツを知らない詩子や澪達には独り言にしか見えないらしくて、この間も、そう指摘されてしまった。

 

……

…さむいです

…いたいです

……

…さびしいです

 

ザーーーーー……

 

「……………てるの?」

 

雨音の中から、微かな声が聞こえた。

どこから聞こえてくるのか分からない声…

 

「……何をしているの?」

 

また聞こえた。

何処かで聞いた事のある少女の声…

 

「…こんな所で何をしているの?」

 

三度目…

今度は、はっきりと聞こえた。

 

そう…『彼女』だったのね。

 

呼び掛けてきたのは、私が良く知っている人だった。

 

アイツを待ってるんです。

 

私が答える。

『彼女』に話し掛けるには、声を出す必要は無かった。

でも、唇を動かすのさえ辛い今は、その事が有り難い。

 

「…今日もですか?」

 

はい、明日も、明後日も……

 

「どうして?」

 

私に出来るのは、これだけだから…

あなたにも分かっているでしょう?

 

今度は、私から問い掛ける。

『彼女』の本心が聞いてみたかった。

 

「はい。でも、それは無意味な事です」

 

無意味?

 

「そう、無意味です。あなたにも分かっているはずです」

 

確かに、帰って来るか分からないアイツを待つのは無意味なのかもしれない。

でも、私は待ちたかった。

アイツとの約束を信じたかった。

 

…私は、アイツを信じて待っているんです。

 

「それは、嘘です」

 

嘘?

 

『彼女』の答えに、心持ち首を傾げる。

 

「あなたは、アイツの『代わり』を待っているんです」

 

違います!

 

「いいえ。アイツが幼なじみの傷を癒してくれたように、アイツの傷を癒してくれる人を待っているんです」

 

違います!

 

心の中で叫びながら、私は頭を抱え込んだ。

 

「そして、その人と恋に落ちて…」

 

もう止め…

 

「アイツの事を忘れるんです」

 

!!

 

その瞬間、私は聞きたくない真実を…認めたくない現実を突きつけられた様で、全身の力が抜けるのを感じた。

 

「否定しても、無駄です」

 

……

 

「私は…」

 

……

 

「私は、里村茜(アナタ)ですから…」

 

……

……

 

 

 

…温かい

 

何か温かい物が、体を包んでいる。

 

…冷たい

 

何か冷たい物が、手を濡らしている。

 

…何?

 

私は神経を集中させて、重い瞼を上げた。

それだけでも、ひどく疲れるような気がする。

 

「あっ…あがね…スン」

「……」

 

目の前には、詩子と澪がいた。二人とも目に、大粒の涙を浮べている。

 

「わ…たし…」

 

がばッ

 

絞り出すように声を出すと、顔を涙でぐしょぐしょにした澪がしがみ付いてきた。

そして、えぐえぐと泣き始める。

 

「茜の馬鹿!死んじゃうよ!こんな事して!」

 

涙を振り飛ばしながら、詩子が本気で怒っている。

でも私は、何がどうなっているのか、さっぱり分からなかった。

 

頭に靄がかかっている様…

ここ…

私の…部屋?

 

「なに…が?」

「茜…覚えてないの?」

「…はい」

 

私にしがみ付いて泣き続ける澪の頭に手を置いて、返事をする。

それだけでも節々が痛むので、撫でる事は出来そうに無い。

 

「茜はね…今日は風邪で学校を休んだんだよ」

「…はい」

 

それは覚えている。私が知りたいのは、その後…

 

「でも、何故か空き地にいて…雨に打たれて…からだ…つめたくて…」

 

そこまで話すと、詩子も澪の上から私にしがみ付いてきた。

 

「あかね…がっこう…いなかったから…みお…ちゃんと…かえったの…」

 

詩子は、時折鼻を啜り、声を詰まらせながら話を続ける。

 

「そ…そしたら…あかね…たおれてて…つめたくて…」

「しい…こ…」

「し…死んじゃったかと思ったんだから!!!」

 

詩子の大声に驚いた澪が、ビクッと体を震わせた。

 

「ごめん…なさい」

「もう…こんな事しちゃダメ…だよ」

「……」

 

たぶん、それは無理…

 

「待ってる人…居るんでしょ…来た時…茜…いなかったら…悲しむよ」

 

待ってる人…

アイツの事…それとも…

 

『あなたは、アイツの『代わり』を待っているんです』

 

耳の奥から、『彼女』の言葉が甦る。

 

……

私は…

私は、誰を待っているの?

……

…わたしは…

 

カチッ!

ジリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリ……

 

 

突然、机の上にある目覚し時計が物凄い音で鳴り響いた。

その大きな音に、私達は三人ともビクッと体を震わせる。

 

アイツの目覚まし…

私…セットしてない…

何故…鳴ってるの?

 

ジリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリ……

 

三人とも、机の上で鳴り続ける目覚し時計をじっと見詰めている。

何故か、誰も止めようとしない。

 

ジリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリ……

 

なおも鳴り続ける目覚し時計…

 

「…止めるよ?」

 

いい加減うるさく思ったのか、詩子が目覚し時計を止めようと体を離す。

でも私は、反射的に詩子の手首を掴んでいた。

 

「茜?」

「とめ…ないで…」

「え?でも…」

「いいんです」

 

目覚し時計と私の顔を交互に見ながら、腑に落ちない顔をする詩子にそう言うと、私はベッドに体を預けて目を閉じた。

 

……

私は…

私は、あなたを待っています。

『あなたの代わり』では無く…

『あなた』を…

だから…

必ず、帰ってきてください。

 

……

……

目覚し時計が鳴り終わった頃、私の目からひとすじ…

涙が零れ落ちるのを感じた。

 

 

 

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