雪の微笑み

第一回

 

 

…暇だ。

いや、正確には暇ではないのだが。

でも、する事が無い。

 

「客…来ませんね」

 

大学の裏にある安食堂…。

試験も終わったこの時期は学生が来る事もなく、夜ともなれば俺と店長の二人っきりで客席に座り、ボーッとしている事が多かった。

「今日はもう閉めましょう。」

そう言いたかったが、雇われの身でそんな事言える訳が無い。

だから俺はがらんとした店内を見渡して、さっきから同じ事ばかり言っている。

 

「客…来ないですね」

 

 

 

退屈で忙しいバイトが終わり、俺は帰途についた。

世の中とは不思議なもので、閉店しようかと俺と店長が腰を上げた途端に団体客が来た。

おかげで今日は残業になり、後三十分もすれば明日という時間に帰っている。

 

「寒い…眠い…疲れた…」

 

声が白い。

周りも白い。

昨日から降り続く雪が、黒いアスファルトを白く覆っている。

二月…しかも今日は、この冬一番の寒さだ。

俺の家には、エアコンなんて気の利いたものは無いから、家も外も対して気温は変わらない。

貧乏人には辛い時期だ。

まあ、夏は夏で太陽の光で熱せられた部屋がオーブンとなるのだが…。

…。

やはり、俺は春と秋が好きだ。

 

 

 

「明日はゴミの日だな」

 

家の近くまで来ると、向うにゴミ捨て場と看板が見えてくる。

それを見ながら、俺は明日が生ゴミの日である事を思い出した。

ゴミ捨て場には、既に幾つかゴミ袋が並んでいるのが見える。

決まりを破る人は何処にでも居るものだ。

 

まあ、明日から帰郷する学生のものなのかもしれないけどな。

俺も経験があるし…。

 

ざっ…ざっ…ざっ…。

 

雪道を歩く。

ボロのスニーカーに解けた雪が染み込んで冷たい。

 

ざっ…ざっ……ざっ!

 

ゴミ捨て場に近づいた俺は、ゴミの中に不思議なものを見付けた。

 

黒くて…細い…糸?

いや、生ゴミだから、何かの切れ端か?

 

不思議に思い、俺はゴミにかかった雪を払う。

そこから出て来たのは…

 

「人!?…女の子!?」

 

そこにいたのは、薄汚れた服を着た黒髪の少女だった。

 

何故?

ゴミ捨て場に?

 

「チョット大丈夫!?」

 

少女を揺すってみる。

冷たい…。

すっかり冷え切ってる。

 

まさか…

…死んでる?

 

「……」

 

死体の第一発見者になったと思い、戸惑う俺の前で少女は目を開いた。

 

生きてる!

 

そう確認すると俺は、急いでゴミと雪の中から少女を助け出した。

手が臭くなろうが、冷たかろうがこの際関係ない。

 

「……」

 

助け出している間、少女はボーッと俺の方を見るだけで、動こうとしなかった。

 

「大丈夫?」

 

少女を助け出した俺は、そう言いながら着ていたジャンパーを掛けてやろうとした。

 

「……」

 

すると、少女は俺の手首を握った。

その手が震えている。

 

寒い…のか?

当たり前か…。

 

「……」

 

少女は俺の手首を握ったまま、ボーッと俺の顔を見上げている。

 

………。

仕方ない…よな。

 

俺は、少女の手を取ると、家に連れて帰った。

 

 

 

「さてと…話はとりあえず風呂に入ってからだな」

「……」

 

返事が無い。

脅えてるのか、それとも聞こえないのか、少女は相変わらずボーッと俺の方を見ている

明るいところで見てみると、少女は背丈からいって123歳位の娘だった。

黒髪に白い肌をした可愛い子ではある。

しかし、その目はなにも映していないかの様にボーッと前を見ている。

 

「ほらっ!こっち!」

「……」

 

反応が無い少女に少し苛立ちを感じながら、風呂まで引っ張っていく。

こうやって手を引いてやればちゃんと歩くし、段差に引っかかりもしない。

目が見えていない訳では無いだろう。

 

「一人で入れるかい?」

 

俺の質問に少女は、首を横に振った。

 

初めて反応したな…。

 

首を振ったって事は聞こえていない事も無いし、言葉が通じていない訳でも無い。

 

でも…。

 

どうせなら縦に振って欲しかった。

 

俺が風呂に入れさせるのか?

……。

子供…だよな…。

 

一瞬卑猥な考えが頭を過ぎったが、首を振って正気を取り戻す。

俺だって男だ。そういう考えが頭に浮かぶのはしょうがないし、生物学的に仕方ない。

 

「どうしてもかい?」

 

頷く。

 

「俺が入れる事になるけど、それでもいい?」

 

頷く。

 

はぁ…何を考えているのやら…。

 

 

 

綺麗だな…。

 

素直にそう感じる。

さらさらとした少女の髪を洗いながら、俺は彼女の華奢な肢体に視線を落とす。

ほくろ一つ無い白い肌、腰まである真っ直ぐな黒髪、そして第二次成長が始まったばかりの少し丸みを帯びた体つき…。

いちいち見てしまう事を気にしながらでは作業にならない。

だから、俺は開き直って、彼女を見ながら風呂に入れる事にした。

 

「ねえ…喋れないの?」

 

湯船に浸かりながら天井を見上げている少女に訊ねると、彼女は首を横に振って否定した。

 

じゃあ、何でだ?

 

疑問に思ったが、答えてくれそうに無いのでそれ以上は詮索せず、別の質問に変えた。

 

「名前…何て言うんだい?…っと、俺は、……………だ」

 

横に振る

 

教えたくないのか?

あっ…喋りたくないからか…。

なら…

 

「それなら、俺が勝手に名前を付けるよ」

 

頷く

仮名を付けても良いらしい。

だが、何にしよう?

実家で飼ってるハムスターの名前…なんてのは付けられたく無いだろうし、俺としてもそんな名前で彼女を呼びたくない。

 

……。

 

風呂に入ってほんのりと染まった彼女の顔を見ながら考えていると

 

『雪』

 

一つの単語が頭に浮かんだ。

 

『雪』…か?

 

『雪』の日に、『雪』に埋もれていた彼女…。

『雪』のような白い肌を持つ彼女にふさわしい名前のような気がする。

決まりだな。

 

「キミの名前は『ゆき』だ」

 

俺の言葉に、『ゆき』はゆっくりとこちらを向いて頷いた。

 

 

 

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