雪の微笑み

第二回

 

 

風呂から上がって、ゆきに俺のパジャマを着せたが、小柄なゆきには上だけで十分だった。

立ったときに、ゆきの顔が俺に腹にくるから、130cmチョットってところだろう。

パジャマがまるでネグリジュに見える。

その上、指先が見えるか見えないかぐらいに袖が長すぎて、とても可愛らしい。

部屋に一つしかない椅子にゆきを座らせて、髪を乾かしてやる。

 

女の子の髪を洗って、乾かすなんて初めてだな…。

 

というより、そんな事は美容師にでもならない限り、出来る男はいないだろう。

貴重な体験といえる。

 

「綺麗な髪だな…」

 

俺の言葉にゆきが首を傾げる。

よく分からないとでも言いたいのだろう。

誉められた事が無いのだろうか?

 

さて…

 

俺はブラシを取ると、雪の髪を梳こうとした。

だが、整髪料まみれのブラシでゆきの綺麗な髪を梳く事になるのに気付くと、棚から新しいプラスティックの櫛を取り出して丁寧に梳き始めた。

 

髪を梳いて見様見真似の三つ編みを編んでいる間も、ゆきはボーッと前を見ているだけだった。

時々枝毛が引っかかったときにピクリと体が震える以外は、人間…いや、生物らしい反応さえ一切しない。

 

まるで人形かロボットだな…。

いや、オートマータ(自動人形)と言うべきか…。

この娘は…何を見てるんだろう?

なんでゴミ捨て場なんかに居たんだろう?

この娘…何者なんだ?

 

いろんな考えが頭を過ぎる。

しかし、いくら考えたところで答えなどでない。

少女は、一言も話さないのだから…。

 

 

 

…さて、どうするかな?

 

一人暮らしの俺の部屋には、布団が一つしかない。

つまり、どちらか一人しか寝れないという事になる。

 

一緒に寝る…っていうのは、却下だな。

 

ゆきはそんな事、気にもしないだろうから、俺がしっかりケジメを付けとかないといけない。

 

逮捕されたくないしな…。

 

「ゆき」

 

俺が呼び掛けると、椅子に座っていたゆきがピクンと反応した後、ゆっくりと俺の方を見る。

 

この娘本当にオートマータかもしれないな…。

 

「今夜は布団で寝てくれ。明日、朝一で警察に行こう」

 

『嫌』

 

俺の言葉にゆきは首を横に振り、適当に編んだお下げがワンテンポ遅れて揺れる

 

「『嫌』ってなあ…。いくらなんでも一緒に寝てやれない」

 

『嫌』

 

なおもゆきは食い下がる。

相変わらず何も見ていない目で首を振るので、俺が命令されている様な印象を受ける。

 

「駄目だ。俺は椅子で寝るから、一人で寝てくれ」

 

そう言うと俺は、押し入れから毛布を引っ張り出して、椅子に座るゆきの前に立った。

 

「ほら…どいて」

 

でも、ゆきは動かない。

 

案外頑固な性格だな…。

居候の自覚があるのだろうか?

…無さそうだよな…はぁ…。

 

仕方ないので、ゆきの手を取って立たせた。

 

「……」

「なっ!」

 

しかし、立ち上がったとたん、ゆきは俺の胸に倒れ込んできた。

そのまま背中に手を回してくる。

 

「…ゆき」

 

男としては嬉しい状況である。

だが…

 

「いい加減にしてくれ…」

 

俺は苛立ちながら、力尽くでゆきの腕を外した。

すると…

 

ぽろぽろぽろ……

 

相変わらず無表情なゆきの目から、涙が零れ落ちてきた。

泣き顔になる事無く、涙だけがただ落ちて行く。

不思議な光景だ。

 

…泣くなよ。

…ずるい奴。

 

「一緒に寝てやろうか?」

そう言ってしまいそうになる。

 

「泣いても駄目だ」

 

しかし、俺は冷たく突き放すと、椅子に座って毛布を被った。

 

「……」

 

ゆきは布団に向かおうとせず、立ったまま俺の方を見ている。

 

諦めの悪い奴だな。

 

ゆきのしつこさに苛立ちを感じながら、俺は目を閉じた。

 

 

 

「んっ…」

 

体に痛みを感じて俺は目覚めた。

やっぱり椅子で寝ると、体のあちこちが痛くて仕方ない。

 

床の方が良かったか…。

……。

ゆきはどうしたかな?

 

いい加減諦らめて、布団で寝ているだろうと俺は目を開けた。

 

「……」

 

本気か…。

 

ゆきは、俺が眠りについた時と寸分変わらぬ姿、だぼだぼのパジャマに包まれた両腕を前に添えた格好で立っていた。

暗がりの中、外の明かりを頼りに目覚し時計文字盤を見ると、03:13だった。

 

そんなには経ってないか…。

でも、二時間あのままとは…。

俺が起きる保証も無いのに…。

 

「ゆき」

 

俺が呼び掛けると、ゆきは、スイッチが入った様にピクンと反応する。

 

「どうして寝ないんだ?」

 

答えを期待して訊いた訳ではなかったが、ゆきは首を振って答えた。

 

『嫌』

 

一人で寝るのが『嫌』だからか…。

子供みたいな奴…。

…子供か…。

 

少女らしからぬ無表情と無口、そして何も見ていない様で、全てを見透かしている様なあの瞳が、俺にゆきが子供である事を忘れさせる。

外から指し込む人工の明かりに照らされたゆきの瞳は、神秘的な輝きを放っている。

 

ばさッ

 

「風邪ひくぞ」

 

そう言って俺は被っていた毛布をゆきに掛けてやると、布団から毛布を抜き出してそれに包った。

 

世話のかかる奴…。

 

「おやすみ」

 

そう言うと俺は、今度は本棚に寄りかかって寝た。

 

「……」

 

ゆきは、そんな俺を毛布の隙間からボーッと見ているだけだった。

 

「……」

「……」

「……」

「……」

「……」

「……好きにしろ」

 

ついに俺は折れた。

別に理性が決壊したわけじゃない。

ゆきの事を気にして、睡眠不足になりたくなかっただけだ。

 

「……」

 

ぺたん……ぎゅッ

 

ゆきはゆっくりと俺の横に座ると、左腕にしがみ付いた。

触れた部分が冷たい。

 

バカが、こんなに冷たくなって…。

……

……

……

良い香りがするな…。

 

ゆきの香りを感じながら、俺は目を閉じた。

 

 

 

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