雪の微笑み

第三回

 

 

とんとんとん……。

 

規則正しい包丁の音に俺は目を覚ました。

 

一体誰が?

 

一瞬そんな考えが頭を掠めたが、すぐにその人物に思い当たる。

 

ゆき…か?

 

アイツに料理が出来るとは意外だったが、俺の左腕にかかっていた重みが無いところをみると、そのようだ。

 

「……」

 

台所(と言っても部屋の隅に流しとガスレンジがあるだけだが)の方を見ると、昨日のだぼだぼのパジャマに、これまた大きい過ぎるエプロンを着けたゆきが、無言で葱を切っていた。

 

「ゆき」

 

とんとんと…。

 

後ろから俺が呼び掛けると、ゆきは一旦手を止めてゆっくりと振り返った。

相変わらず何も見ていないような瞳に俺を映すと、ゆっくり一礼してまた葱を切り始めた。

 

…相変わらず、よく分からないヤツ…。

 

じゃばじゃば…カチャ…。

とんとんとん……。

パカッ…ごそごそ…パタン…。

 

しばらく後ろでゆきの腕前を見ていたが、見事なものだった。

一昔前の主婦どころか、バアちゃん並みに手際が良い。

俺も、昔からお袋の手伝いをしてたから、料理には自信があったが、ここまでは出来ない。

 

「見事だな…」

 

俺が素直な感想を口にすると、ゆきはメザシを引っ繰り返しながら首を傾げた。

 

 

 

しばらくすると、こたつ兼用のちゃぶ台の上に、質素な朝食が並んだ。

 

これで冷蔵庫の中は空だろうから、買い物に行かないとな…。

 

温かい湯気の立つ味噌汁、焼き加減が見事なメザシと大根おろし、鮮やかな黄色の卵焼き、少し先の欠けた箸、お気に入りの湯飲み、一度取れた取っ手をくっ付けた急須…

それらが、見栄えの良い位置で置かれている。

 

「へぇ…」

 

ゆきの手際の良さにひたすら感心しながら席に着くと、ゆきが白飯をよそった茶碗を両手で渡してくれた。

 

「ありがとう」

 

少し照れ臭く感じながら、俺は茶碗を受け取って朝食を食べ始めた。

まずは葱しか入っていない味噌汁を一口啜ってみる。

 

「……」

 

味が薄い…。

出汁を取らず、味噌は色が着く程度に入れたんじゃないかと思うほど、材料の味しかしない…。

そう言えば、料理をしている間、ゆきは一度も調味料を使わなかった気がする。

 

「ゆき」

「……」

 

俺が呼び掛けると、音も無く味噌汁を吸っていたゆきがゆっくりと顔を上げた。

 

「薄味が好きなのか?」

『ウン』

 

雪は頷いて答える。

 

「そうか…」

 

簡潔なゆきの答えに、俺はそれ以上何も言う気に慣れず、醤油を手に取った。

 

 

 

「さて、警察に行くか」

「……」

 

俺が声を掛けると、ゆきは呆然と俺の顔を見返した。

意味が分かってないのだろうか?

 

「ゆきの身元を調べてもらいに行くんだよ」

 

いちいち俺が説明してやっても、ゆきはただ首を傾げるだけだった。

 

「ホラホラ、ボーッとしてないで!」

 

俺はゆきを急かすと、俺の服の中から適当に見繕って着替えさせた。

 

 

 

「…戸締まり良しと、行くぞ」

 

いつものように安全確認をした俺が、ゆきを連れて、家から一歩出ようとすると…

 

がしッ!

 

「のあッ!」

 

突然、ゆきが左腕にしがみ付いてきた。

いきなり体の重心が変わって、つんのめりそうになる。

 

「ゆきッ!危ないだろッ!」

 

何とか体勢を立て直して、ゆきを注意すると、

 

「……」

 

きゅ…

 

ゆきは俺の左腕を抱え込んで、小さく震えていた。

外に出るのが恐いのだろうか?

相変わらず、よく分からない。

とはいえ、何かに脅えるゆきを責める訳にもゆかず、俺は小さく溜息を吐いた。

 

まあ、突然どこかに走り出されるよりは良いか…

 

俺はそう自己解決すると、ゆきを引っ張るように歩き出した。

 

「手…放すなよ」

『ウン』

 

 

 

…何でこうなるんだ?

 

駅前の交番からの帰り道、俺の左腕にはゆきがしがみ付いていた。

 

まあ、仕方ないと言えばそうだが…。

 

 

 

交番で昨夜の事を話すと、ゆきは迷子として扱われる事になった。

警察官もゆきを預かろうとしてくれた。

しかし…

ゆきが俺の腕を放さなかったのだ。

俺と警官でなだめ透かしても、ゆきは俺の腕を放すどころか、より強くしがみ付いて来たのだった。

散々努力した結果、仕方なく保護者が見つかるまで、俺がゆきを引き取る事になった。

警官から渡された紙に、住所、氏名、連絡先…その他諸々を面倒に思いながら記入すると、一礼して交番を後にした。

 

 

 

「とにかく、服が要るな…」

 

そう呟きながら、ゆきを見下ろす。

今ゆきは、昨夜着ていた白いワンピースを洗濯したものに、俺の黒いジャンパーを来ている。

もちろん、ゆきには大きすぎるから、ジャンパーがダッフルコートに見えるし、袖も指先が出ているだけである。

 

とはいえ、俺って女の子の服なんて見繕った事無いんだけど…。

 

自慢じゃないが、俺は生まれて此の方彼女はおろか、女友達でさえ一人も居ない。

そんな俺にゆきの服が見繕えるだろうか?

 

それにいくら掛かるのやら…。

 

とにかく貧乏なもので、金の方も気になる。

もちろん、可愛い少女の為には、少しくらい無理をしても良いだろう。

しかし、生活に支障をきたすような事はしたくない。

 

はぁ…こんな事なら少しはお洒落にも興味を持てば良かった…。

 

取りあえず俺は、遣り繰りが可能なギリギリの額まで預金を下ろすと、ゆきを連れて目に留まった小さなブティックに入った。

 

 

 

「……ふぅ」

 

思わず溜息が出るくらい可愛い。

やっぱり餅は餅屋というか、ブティックの中に居た女性(おそらく店長だろう)にゆきを任すと、見違えるほど綺麗…いや可愛くにしてくれた。

どれくらい俺にセンスが無いか見せ付けられた様で恥ずかしかったが、新しい服に着替えたゆきを見ると、そんな事はどうでも良くなった。

 

「……はぁ」

 

とびきりの美少女と腕を組んで歩く冴えない男…

否が応にも目立つ。

擦れ違う主婦、学生、会社員…

皆が様々な視線を俺とゆきに投げ掛けてくる。

ある者は微笑ましい兄弟を見る温かな視線を…

ある者は養女趣味の変態を見る奇異の視線を…

 

まあ、俺も後者だと考えるヤツだろうな…

 

ちなみに、あのブティックは良心的な店で、俺の予算で可能な最大の買い物をさせてくれた。

どうやら俺達を両親が他界した兄弟と勘違いしたらしい…。

帰り際に、

 

「いろいろあるだろうけど、アンタがしっかり守ってあげるんだよ」

 

と言われてしまった。

まあ、そのお陰でしばらく服には不自由しなさそうだけど…。

 

「……ふぅ」

 

未だに俺の腕にしがみ付いているゆきを見ながら、俺はまた一つ溜息を吐いた。

 

 

 

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