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陳奕迅:新聞 明報  2003年2月18日

今回の収穫の一つが、明報に芸能界の社説があったこと。これは他の新聞にはたぶんないのではないかと思われるページ。芸能界に造詣の深い記者が、まじめに香港芸能界のさまざまなトピックについて記述している。今まで写真ばっかり気をとられていたので、このような真面目なコラムがあることを知らなかった。新聞や雑誌の報道は、今までも書いたけれども、どちらかというと誇張されたもの、スキャンダラスなもの、ゴシップなどをテーマにしたものがおおい。今回明報でまじめなイーソン評を見つけて、ちょっと感動してしまった。


陳奕迅はその芸能活動において、また一つ上の階段をのぼっている」

7日間に及ぶイーソンのコンサートが紅館で開催された。イーソンが音楽界において新しい「天王」であるということに、異論をとなえる人はいないと思う。

2年間連続で、イーソンはアンディラウと共に歌における大賞を受賞している。ある人に言わせると、イーソンの躍進ぶりはとても速く、いま音楽界は、ある角度からみると、世代交代を迎えているのだという。筆者は以前に、このコラムの中でイーソンはもう少し自分の感情をコントロールすべきであると論述したことがある。その後、イーソンはそのコラムを読んで、直接自ら私に会いきてくれ、更には感謝の意をのべてくれた。

この1年間、イーソンは常識をなくしてしまうような局面が何度かあった。しかしながら、感情面で彼がどんなにハイになったとしても、イーソンは一度マイクを握って唄いだすと、ちゃんと歌をうたい、音をはずすことは絶対しないそのような彼は本当に賞賛に値すると筆者は思う。どんなに一生懸命うたっても、音をはずしてしまう歌手が大勢いる中、イーソンが現在たくさんの人々に支持されていることは、まことに当然のことだと思う。

同じ時期にデビューした男性歌手の中で、声の質だけをとればイーソンよりも素晴らしい歌手はいる。イーソンよりもハンサムな歌手もたくさんいる。筆者は以前友達と最後にはイーソンがトップに躍り出るということを賭けの材料にしたことがある。その時、私の友人はそんなことはないとばかりに筆者をばかにしたものだ。彼が最後には勝つと筆者が信じた原因の一つは、イーソンには、実に得がたい一面があるからだ。それは、他の芸能人には少ない、「本音」もしくは「素の自分」というものを見せることをいとわないことだ

イーソンは本来の自分を歌の中で、十分に表現している。張学友も、以前は、イーソンのように「真実の自分」を歌で表現していた。そのため、彼の歌には、大きな影響力があるといえる。しかしその後の学友は、さらに高度な歌のテクニックを求めるあまり、彼の歌の多くは、そういう心のこもるということから、乖離してしまっていることがある。イーソンは学友がその当時もっていた親近感もしくは「まことの心」、そういうものを受け継いでいると思う。最近の若者は自分の思うままに反抗的なものを好む傾向があるが、イーソンが人気が高いのは、そのような若者からの共鳴があると思われ、当然のことと、いえるかもしれない。

歌における功績が素晴らしい上に、イーソンは映画界でも活躍している。彼が出演する映画の興行成績は悪くない。やや低迷がちな香港映画界の中で、イーソン映画はほとんど600万ドルくらいの収入をあげ、安定している。最近出演するとかならず好成績を残せる若い俳優はイーソンと古天楽の2人だといえよう。

映画の中のイーソンの演技については、もちろんまだまだ改善の余地があるとはいえるものの、それは単に時間の問題であると筆者が考えている。

「金鶏」にゲスト出演したイーソンは、ベッドシーンを演じ、見た人を仰天させてしまった。人気スターが自分のイメージを壊すことを恐れない、このようなスターは香港映画界見回しても、そんなにいるものではない。

映画に関する通説に、俳優は完全に自分をさらけだしてこそ、素晴らしい演技ができるんだというものがある。イーソンはすでに自分をさらけだし、映画界においても、すでにその存在感を大きくしている。

歌についていえば、この7日間のコンサートは、イーソンにとっては、新しい飛躍の始まりといえよう。

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