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イーソン「この間の歌の授賞式のとき、ずーとすわっていなくてはいけなくって、お尻がいたくなっちゃったんだ。だから、自分の番が回ってきたとき、ロックンロール調の歌だったんだけど、エアロビをやりなが唄ってしまった。でも観客たちには受けちゃったんだ。僕って、即興的な人間なんだ。音楽をきくと、立ち上がって、踊りだしちゃう。」

EEGで一番の売れっ子であるイーソン。歌の賞レースの常連である。このインタビューの後にもアンディラウと共にラジオ局の金賞を受賞。TVBと主なラジオ局が主催する賞をこの28歳のスターは総なめにしている。95年に香港ポップス界に現れたイーソン。「SHALL WE TALK」「K歌之王」「明年今日」など次々とヒットを出している。背が高くなく、ちょっと太りやすい体質で、10代のアイドルにありがちな容姿からは逸脱しているイーソンだが、ファンは多い。よく「太っている」というレッテルを貼られるイーソンだが、そのような批評を気軽に受け止めている。

イーソン「もちろん、アンディラウみたいな体がほしいよ!かれは40代になったのに、いまだに素晴らしい体を保っている。でも、もしも僕がアンディラウと一緒だったら、バラエティーがなくって、つまんないよね。それにね、別に歌を上手に歌うってことに、スタイルのよさは必要ないんだよ。」

容姿端麗な10代のアイドルスターの多くは、音をはずしたりすることがあるけれども、イーソンについては歌の実力はすごい。とてもなめらかな、深みのある歌声をもっており、実に歌が上手だ。特に彼のボーカルはライブでその実力を見せ付ける。「僕のアルバム作りなんだけど、ライブやコンサートのことを念頭において作成することが多い。ライブを見に来てくれる人たちは、もう僕の歌を覚えているというようにアルバムのプロモーションをやる。」

コンサート中あまりにも熱が入ってしまい、最後には痛い結果に終わることがある。実際に昨年の台北。ステージから落下、なんと睾丸を傷つけてしまった。事故の回想を、イーソンは、笑いをこらえきれないっていうよう様子で話してくれた。まるで自分のことではなく他の人のことのように楽しそうに。「あれは男性のウィークポイントだからね。ほんとうに痛かった。もちろん誰も事故にあいたくなんてない。でもどうしても事故はおきることがある。でもね、ラッキーにもXXをなくしたわけじゃなく、ちゃんと2個あるからね!」

仕事柄危険はつきものだが、イーソンの音楽への愛は、本当に情熱的だ。「僕にとっては、この世に音楽がなかったら、世界が消滅してしまうようなものなんだ。」 今の仕事の状況についてイーソンは十分楽しんでいるようだ。昨年はたくさんの映画出演以外に、2枚のアルバムを出した。ただ、イーソンが少しだけ心を痛めていることがある。「なんか僕は受信機ー送信機みたいになっているかも。作詞が自作ではないから、他人の感じたことを僕がかわって表現してあげているみたいな。昔はシンガーソングライターだったのに、でも自分の自作した歌は、決して商業的な結果がでていないんだ。」彼の崇拝する歌手は「Lenny Kravitz」だ。音楽的にはビートルズと、張学友、アランタムの影響を受けているという。広東語ポップスの初めての体験は、今は引退してしまった作曲家ジョセフコーの歌だという。

その他にイーソンには気がかりがある。それは、香港は景気が悪く、香港歌手のアルバムの売れ行きが低下傾向にあること、更に香港では地元の音楽製作をバックアップする動きが少ないこと、そして人々がどうしてもバラードを好む傾向にあることなどだ。「もちろんバラードを歌うことが嫌いなのではないよ。でもバラエティがなくてはいけない。インディーのLMFや黄秋生などが出てきたことはいいことだよ。でもマスコミは彼らの歌に使われている汚い言葉のことばっかりとりあげる。その背景にあるメッセージを真剣に聞こうとしない。」

有名になってしまったために、ミュージシャンに必要な根のようなものを失っていっているではと不安を感じることがあるという。「長いこと地下鉄にものってないし、バスにものっていない。時々街を歩いてみる。でもそれも夜だけなんだ。」イーソンにとって、映画の撮影はこういった孤立感を解消してくれる役割を果たしている。「実際に映画の撮影によって現実の世界に戻ってくることができるんだ。カメラの後ろで、たくさんの人が働いていて、その努力は並々ならないものなんだ。」昨年は映画を6本もとったけれども、今年はもう少し音楽に集中し、映画出演は減らす予定だという。

陳奕迅 インタビューより その1

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2003年2月の雑誌「B」より。全文の訳ではないですが、95%は訳してあります。間違いとかがあったら、すみません。