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台湾明星コーナー
2003年12月号 香港版MEN’S UNO
「陶吉吉 TALK ABOUT LOVE」 PART I
  
            タオの好きなダリの絵

 陶吉吉の家の中には大好きな一枚の絵が飾ってあるという。その絵はリンカーンの肖像と裸の女性の後姿が重なりあったダリの名画(一見裸の女性が海をみている絵なのだけれども、離れてみるとリンカーンの肖像画がみえるというダリ1972年の作品!)の模写だ。この絵を彼が気に入っている理由はその絵の構図が素晴らしく精緻であること以外に、見るたびにその絵が彼に思い起こさせてくれることがあるからだという。それは、「人生はいつでも可能性に満ちている。表面的には簡単にみたり理解してしまう物事がすべて、一度出来上がったら変わらない、ということは決してない。自分がどのように理解し、把握するかによって変えることができる。」ということだ。
 このような人生をいかに掌握していくかと言う課題から、計画、機会、運などは切り離すことができないものであろう。この日、陶吉吉の最新CD「楽之路」のジャケットを開いたときに、陶吉吉の誕生から2003年までに彼に大きな影響を与えた事柄が羅列されていた。更に驚いたことに、そこには彼の未来の人生設計が書かれていた。2004年に新CDのリリース。2005年に結婚。2006年に学校に戻り心理学を勉強。2007年には子供を作り、そして2010年には映画を監督する。僕には陶吉吉が着実に段階を踏んで努力して彼の心に描いた美しい将来図に近づいていくのが見えるようだ。運、チャンスそして将来構想などは非常に大切なことだけれども、如何に全てを把握しコントロールし具体的にこなしていくかが決定的な要素のような気がする。筆者は陶吉吉があらゆる機会を生かす術を十分わかっていると強く思う。そして、彼の人生プランが実現される過程をこの眼で見ていきたい。特に、彼が監督になる日をぜひ見てみたいと思う。


音楽、文化の流れ
音楽のジャンルで、R&Bが何で、テクノが何で、ニューメタルとは何など、完全に区別することは難しいことであるかもしれない。けれでも、聴き手をいい気分にさせる、中身のあるものであれば、それは既に十分にいい音楽であるといえよう。表面的な音楽のジャンル分けの問題については、自分は専門外の人間だが、誠心誠意心のこもった音楽がどんな音楽であるかを見分けることは私にも出来ると思っている。陶吉吉の音楽にはハートがあるということに、疑う余地はないだろう。音楽界の第一線にいる立場にある彼が最近の各地の音楽や文化の質をどう見ているかを聞いてみた。

「僕は中国人はもっと台頭すべきだと思っている。アジアの音楽は未来への展望が欠けていることが多いと思う。これは歴史文化の古い思想が障害になっているのかもしれない。今までずっと中国人は他人と自分のすべてを分かち合うことを好まない傾向にあった。香港の人は大陸の人を好きではない。大陸の人は台湾の人が好きではない。さらに、上海の人は北京の人とそりが合わない、等等。でもここ数年、少し改善がみられるようでうれしい。さまざまな地域の文化人が他の地域で活躍するようになっている。これは、みんなが既に前に進んでいくことを恐れなくなったことを意味にしていると思う。僕はみんなに気づいてもらいたい。国の強さは、財政的にどれだけ豊かか、どれだけ多くの高層ビルを建てたかなどによるものではないってことを。教育、愛、文化が調和してこそ本当の国の発展があるんだってことを。」

  陶吉吉はいう。音楽は彼が天から与えられた贈り物であり、この素晴らしい贈り物を自分以外の人々と一緒に分かち合い楽しんでいくことが彼の最大の望みであると。音楽は薬のようなもので、人々の心痛を癒すことができる力をもっているとも彼はいう。「僕の父はアニメライター、母は京劇をやり、祖父は軍人。小さい頃から僕は文化の両極端を見て育ってきた。創作活動をしているとき、まるで神が戦いをしているような状態になることがある。僕の受けてきた教育は西洋に傾倒したものだけど、自分の心の奥底にはとても古風な伝統的な考えも根ざしているんだ。」彼の音楽がどのようなものであれ、陶吉吉の音楽が多くの人にとっては、薬であり贈り物であり、たくさんの人々の心を癒しているということは確実だ。

創作、孤独の波
陶吉吉の「11号産房」をみると、音楽の創作過程の裏側がいかに苦渋に満ちたものであるかが伺える。「創作に携わる人間は孤独でしょうか?」この質問はどうしても聞きたかったものだ。文章をかく仕事をしている人間が、時々締め切りの前の晩になっても、まったく原稿が進まず一字も浮かんでこないようなとき、言い知れない空虚な気持ちに陥ることがあるのだ。

「孤独だよ。創作をしている過程は本当に孤独。作品が発表されたあとに、人々が僕に対して『DAVID、これ大好きだよ。すごく共鳴できる!』っていってくれるときは確かに本当にうれしいけど、それは結局事後のことになんだ。創作の過程というものは押し寄せる波のようなところがある。興奮するような高波が押し寄せてきても、十分気をつけてそれを掴みにいかなくてはいけない。油断をしていると瞬く間に風とともに消え去ってしまう。」陶吉吉は手を使って表現しながら話した。
  「黒色柳丁」のCDで陶吉吉は中国、香港、台湾の音楽界で瞬く間に押しも押されぬ人気者になった。彼が既に流行歌の愛の歌を書くという段階からはもう既に逸脱してしまったことは明らかで、かれの音楽、かれの歌は、彼の人生に対する考え方が見え隠れするものになっている。そして反響を呼び起こし、人々の心をゆすぶるものになっている。「黒色柳丁」「DEAR GOD」等がそのよい例といえよう。
「今の音楽市場は既に音楽的な価値のない作品で一杯になっている。アイドル歌手の歌がよくないといっているのではない。もちろん中には聞いていて気分のいい素晴らしい作品もある。ただ、一部には、中国人の音楽が、まるで小学一年生レベルに留まっているような感じを抱かされるものもある。でも、みんながもっと進歩していけるんだって僕は信じている。」

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陶吉吉