Angel Birthday 5
アイシャの遺体は町はずれの共同墓地に葬られた。
大きな墓石の隅にアイシャの名前が新しく彫り込まれたのかも知れないが、わたしには読めなかった。
娼婦の稼ぎと関係の無いことは何一つ学んでこれなかったからだ。
結局アイシャの死は病死として片づけられ、あのブタには全くお咎めなしだった。
あいつが自分の趣味を丸出しにして彼女を不当に傷つけたりしなければまだ彼女は生きられた筈なのに。
あいつがアイシャ殺したのに。
わたしは秋桜を摘んで、アイシャの埋められたあたりに手向けた。
昔から彼女の好きだった花。
だから、わたしも好きになった花。
今のわたしはまるで抜け殻のようだった。
彼女と出会う前、どうやって生きていたのだろう。
わたしに唯一残されたものは、アイシャの髪の一房だった。
胸にかけられたロケットの中に入っている金色の束。
ぽっかりと穴のあいた胸を抱えて、わたしは夕日に背を向けた。
娼館へと帰る為に。
結局、わたしの帰れる場所はそこしかないのだから。
夜になれば、いつものように惰性で酒場で客の相手をする。
愛想笑いをする気力すらなくなっているわたしに、客がつく回数はめっきり減ってしまってはいたのだが。
かといって、わたしに他に出来る事などない。
目の前で汚い歯をむき出しにして笑っているひげ面の男は、何が楽しくてそんなに
口を開けているのだろう。
わたしは男に奢らせた安酒を一気に煽った。
「そろそろ行こうぜ、ねえちゃん。」
男がわたしの肩に手を掛けた。
と、背後からその毛深い手の上に更に手がのせられる。
髭男の良く日に灼けた手とは対照的に病的に白い男の肌。
「あァ? なんだてめえ。」
髭男が誰何の声をあげる。
わたしがゆっくりと首を巡らせると、髭男が横やりを入れてきた男を威嚇しているところだった。
白い肌と対照的な漆黒の着衣。
それはアイシャが永遠の眠りについた夜にもいた、あの男だった。
「譲って貰おう。」
男はぞっとするような低く、冷たい声でそう言った。
切れ長の目の奥には、アイシャによく似た色のアイスブルーの光。
だが、その奥にゆらめくものは全く正反対といっていい。
アイシャの瞳が生命の海の色だとすれば男の瞳は絶対零度の氷の色だった。
「ふざけんじゃねぇよ。
急に横から割り込みやがって……。」
「譲って貰おう。」
髭男が発した非難の言葉など意に介していない様子で、氷の瞳を持つ男は先刻と全
く同じ台詞を同じ調子で繰り返す。
そして髭男の手を小鳥の羽を払いのけるような軽い仕草で排除した。
だが、払いのけられた方は強力なハンマーで殴られでもしたかのように床に叩きつけられた。
この男の細い腕のどこにそんな膂力があるのだろう。
わたしはまじまじと黒衣の男の顔を見上げた。
長い銀色の髪に縁取られた、端正な顔立ち。
だが、そこには生気というものがすっぽりと抜け落ちていた。
「ちょっとあんた。 喧嘩ならよそでやっとくれ。」
おかみさんが奥のカウンターから身を乗り出して、厳しい調子で咎める。
黒衣の男は黙って懐から小袋を取り出すと、彼女の方に放った。
おかみさんはそれを受け取り、中身を確かめるとこれ以上は無理というくらいに目を見開いた。
「貰うぞ。」
「ええ、ええ、どうぞどうぞ。」
短く言った男の言葉に、おかみさんはあからさまな追従笑いを浮かべた。
わたしは特に逆らうことなく、黒衣の男に従って二階へと上がる。
別に、彼が死の使いだとしても構わなかった。
アイシャのいない世界で生きている意味など無いのだから。
部屋へ入るとわたしは手早く服を脱いで薄着になり、ベッドサイドへ腰掛けた。
安っぽいベッドが文句を言うように軋む。
男はコートだけを脱ぎ、ゆっくりとわたしに視線を絡ませた。
冷たい印象は受けるものの、いきなりがっついたりしない上品なタイプのようだ。
彼はわたしの正面に立つと、かがみ込んで片手で髪に触れた。
髪から額、額から頬、頬から首筋へと順に指を滑らせる。
そして彼の指がわたしのおとがいを軽く持ち上げると、お互い自然に目を閉じた。
暗闇の中で、唇に感じられる彼の唇の存在だけが妙に鮮明だ。
当然のようにわたしは両腕を彼の首筋に回し、彼は私の脇から背中へと両腕を回した。
お互いにしっかりと支え合うと、わたしは彼の唇を割って舌を差し入れた。
それに応えて彼の舌が絡みついてくる。
………が。
ここで、わたしにとって信じられない事が起こった。
思考の全てをばらばらにうち砕くような痺れる感覚が身体の芯を貫いたのだ。
娼婦として数え切れない男と寝てきた筈のわたしが、今まで経験したことがない圧倒的な快感。
彼の唇がわたしから離れると、自然と切ない吐息が漏れた。
どうして?!
しかし、その原因を深く考える事は不可能だった。
彼が更にわたしをベッドの上に押し倒し、まとったままの薄ものの上から左胸に唇を這わせたから。
爆発的な感覚が波のように押し寄せてきて、わたしの理性を奪い去ってしまう。
「ん…あ、はぁ……っ。」
耳を打つあえぎ声が他の誰でもない自分のものだと解って、わたしは更に驚愕した。
<続劇>
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