Fallen Angel その13


 頑なにじっとしていたわたしを暫く見ていたらしい勝利が溜め息をつく。
 しかし、まだ帰ろうというつもりにはならないらしい彼の次の言葉が重ねられた。

「せやったら、わいが来たんも迷惑やったか?
 もう……会わへんほうがええんか?」

 本当は来てくれて嬉しかった。
 本当は、わたしもずっと会いたかった。
 ……でも、きっとわたしよりもあなたに相応しい女が居る筈だから。
 あなたを幸せにすることの出来るあなたと同じ人間の、女が。
 早鐘のように打つ胸を押さえながら、わたしは息を殺すようにじっとしていた。
 
「わいの気持ちは前に会うた時とちいとも変わってへんよ。」

 言わないで。
 もう、何も言わないで。
 あなたの傍にいたい自分に負けそうになるから。
 わたしは自分の意志で耳を塞ぐことも叶わない石像になってしまったように、指先すら動かせなかった。
  不意に布団の布地越しに勝利の手の温もりが伝わってきて、わたしは全身を強ばらせる。
 
「…もう、顔も見せてくれへんのか。
 それが、答えなんか…?」

 肩から背中へ向けて、ゆっくりと電流が走った。
 直接触れられている訳でもないその手が、まるで拷問のようにわたしの心臓を締めあげる。
 ……苦しい。
 いっそ、今この瞬間に灰になってしまえたらいいのに。
 わたしがそれに耐えたのは一体どれくらいの時間だったのだろう。
 長かったような気もするし、短かったような気もする。
 勝利の手がわたしの身体の上から彼の方へと引き戻されると、ゆっくりと足音が遠ざかっていった。
 必要以上に敏感になっている耳朶にその気配を感じながら、わたしはようやく金縛りから解放される。
 ふと気が抜けると、どうしても最後に勝利の背中が見たくなった。
 それくらいなら、いいでしょう……?
 それは自分に対しての言い訳だったのか、それとももっと他の誰かだったのか。
 自分でもよく解らないまま、物音をさせないように気をつけながらそっと布団から抜け出す。
 わたしが目をやると勝利は部屋の入り口のところでわたしに背を向けたまま、まだ去り難い風情で立ちつくしていた。
 この時代で、普通の人間として生まれて…出会えたら良かったのに。
 あなたの優しい嘘をずっと信じていられたら、きっと幸せでいられた。
 ……わたしの気持ちも、あの時と何も変わってない。
 今も、あなたを……。

『愛してる。』

 無意識のうちに、唇が動く。
 声にならないその単語は勝利に伝わる事なく消えてゆく筈だった。
 だから、口にしたのに。
 なのに。
 まるでその言葉が聞こえたかのように、急に勝利がわたしの方を振り向いた。
 彼の双眸から放たれる強い光と正面から目があって、わたしは気圧されたようにベッドの上で後ずさる。
 両脚が動かない為、それは単純に少し腰の位置をずらすにとどまったが。
 勝利は踵を返すとわたしの方へ真っ直ぐに歩いて来て、そのままの勢いでわたしをベッドから抱き上げた。
 慌てて逃れようとするわたしを力強い両腕でしっかりと押さえつける。

「わいはな、わいの都合のええ方を取ることにしとるんや。
 せやから、今の言葉の方がフィーナの本心やて思うことにする!」

 先刻の台詞が聞こえてる訳がないのに、勝利はそう言い切った。
 どうして、と彼の肩越しに部屋を見回すと廊下にかかっていた鏡が目に入る。
 それは、丁度部屋の入り口からはベッドの上が映って見える位置。
 まさか……勝利はあれに映ったわたしの姿を見て、唇を読んだっていうの……?!
 何度か吸ったことのある勝利の血は普通の人間のそれよりもずっと濃くて、彼が並外れて強靱な肉体の持ち主だということは知っていたけど、まさか読唇まで出来るなんて思ってもみなかった。
 
「血が要るんなら後でなんぼでも飲ませたるさかい。
 とりあえず、朝になってまう前に移動してしまわな。」

 驚きで茫然と彼の顔を見上げるわたしに、勝利は少し照れたように笑ってみせた。
 彼はわたしを抱いたまま靴を足に引っかけるようにして玄関を通り抜ける。
 外で勝利とわたしが出てくるのを待っていたらしいヴィンセントがゆっくりと振り返った。
 
「よう、お姫様。」

 にやり、と笑ったヴィンセントをわたしは思い切り睨みつける。
 よくもやってくれたわね。
 もう、これで貸し借りは無しよ。
 
「持って行け。 必要だろ。」

 勝利の首に縋るようにしてヴィンセントから視線を逸らしたわたしの首に、細い鎖がかけられる。
 それは、わたしが家に置いてきた筈のアミュレットだった。

「えろうすんまへん。」

 そっぽを向いたまま黙っているわたしと対照的に、勝利がヴィンセントに頭を下げた。
 
「礼ならいつきちゃんと拓磨に、な。」

 ヴィンセントがアパートの廊下部分の柵越しに地上に向かって手を振ると、何故かそこにはいつきと拓磨がいた。
 いつきはいつもの明るい笑顔で手を振り、拓磨は何かに遠慮するように僅かに頭を下げる。
 両手が塞がっている勝利は手を振ることが出来ず、彼らに向かって軽い会釈をした。
 わたしはなんだか恥ずかしくて、彼らに背を向けたまま目を閉じて勝利の肩に頭を乗せる。

「この礼はまた改めて。 ……ほな。」

 軽い口調でヴィンセントにそう言い、別れを告げると勝利はわたしを抱いたままリズミカルにアパートの階段を降りていく。
 わたしはもう抵抗する気力を無くしてしまい、彼にされるがままになっていた。


<続劇>




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