Fallen Angel その14


 わたしはまるで新居に運び込まれる新婦のように、勝利に抱かれたまま彼の家へ入った。
 はじめて訪れる勝利の家は彼の生活を伺わせる気配で満ちている。
 備え付けのものをそのまま使っている為に黒系でまとめられた家具。
 落ちている、としか表現のしようのない位置に転がっている雑誌や部屋の隅の箱に積まれている洗濯物。
 なんだかとても彼らしくて、思わず笑みが浮いてきてしまう。

「笑わんといて〜。
 今日はほら、急やったからちゃんと片づけとか出来へんかったんよ。」

 少し焦ったような勝利の台詞がすぐ間近から降ってくる。
 
『いいのに、言い訳しなくても。』

 わたしは彼の目を見ながら、そう答える。
 勝利はわたしを部屋の中へ運びながら、わたしの唇を読んで苦笑した。

「い、言い訳やないて。」

 勝利はそう言って弁解しながら、わたしをそうっとベッドに下ろす。
 わたしは先刻自分が予想したとおり、彼が読唇出来るという事を確認して小さく溜め息をついた。
 彼の勢いに押されるようにしてここまで来てしまった自分に少し呆れて。
 そして、それでも彼がわたしも家に招じ入れてくれた事を嬉しく思いながら。
 
「……怪我しとんの、首だけやないんやな。
 足も両方、動かへんのか。」

 横たわるわたしの身体を検分するように、勝利が片手で軽く撫でる。
 彼は眉をひそめて私の顔を覗き込みながら、ベッドに腰を下ろした。
 スプリングが少し軋んで、その振動がわたしに伝わる。

「どないしたんや、一体。
 おらんようになっとった三日間、ずっとヴィンセントはんのとこにおったわけやないんやろ?」

 それは確かに訊かれて当然のことだった。
 だけど、どこまで話せばいいのだろう。
 勝利に嘘はつきたくない。
 わたしは暫し逡巡した挙げ句、頷きながらゆっくりと口を開いた。

『ちょっとドジっちゃったのよ。』

 本当は、わたしの事より勝利自身の方が心配だった。
 シャルルはわたしを彼の手中に置くためなら何でもするだろう。
 気をつけて、と。
 本当はとても言いたかったけれど、それを言えば全てを話さねばならなくなる。
 そうなれば彼を否応無くわたしの過去、因縁の深淵に引きずり込んでしまう。
 ひょっとしたらまだシャルルに目をつけられていないかもしれない可能性だってあるのに。

「……話しとうないんやな。」

 勝利が俯き加減に呟く。
 その苦しそうな声音に、わたしは唇を噛みしめて視線を逸らす。
 ごめんなさい。
 でも、これは譲れないわ。
 あなたを危険に巻き込みたくないし、それに……出来ることなら昔のことは知られたくない。

「なら、わいがフィーナにしてやれるんはひとつしかないな。」

 勝利は頭を振ると、おもむろに来ていたTシャツを脱ぎ捨てた。
 彼の逞しい胸板が露わになると、何度も見ていた筈なのに何故か胸の鼓動が一度大きく鳴る。
 彼はわたしの背中に腕を差し入れると、わたしの半身を抱き起こした。
 わたしは彼が何をしてくれようとしているのか察して、彼の首筋に両腕を回す。
 触れ合っているところから彼の鼓動と脈打つ血流が鮮明に感じられた。
 彼は片手でわたしの髪を撫でながら、わたしの唇を彼の首筋へと誘導する。
 わたしは目を閉じると、彼を感じる為だけにわたしの持てる感覚の全てを解放した。
 僅かに唇を開き、彼の暖かい肌に牙を埋める。
 わたしの喉へ、命を繋ぐ甘やかで紅い液体が奔流となって落ちてくる。

「……好きなだけ飲み。」

 優しい声がわたしの耳朶に染みこむ。
 わたしはいつもよりずっと長い時間、愛しい人の肌に唇を押し当てていた。



「ほんまやて! ほんまに具合悪いねんて!
 疑うんかいな、瓜はん!」

 わたしは、夢見心地でその声を聞いていたように思う。
 ふと目を開けると勝利が部屋に備え付けられているヴィジ・ホーンの前で何やら通信をしているらしかった。
 画面には一度試合で見たことのある瓜畠 健一の顔が映っているのがぼんやりと見て取れた。

『まあ、確かにいつもより少しは顔色が冴えないみたいではあるが……。
 でも何か妙に嬉しそうだな。』

 瓜畠の呆れたような声に、勝利は少し慌てて答えていた。
 大げさに両手を組んで、通信相手に媚びを売る。

「そ、そないな風に見えるか?
 いやあ、仕事休まんとあかんようなってもうて悲しいんやで、ほんま。」
『嘘つけ。』

 瓜畠は勝利のことなどお見通しという風情で、一刀両断に切って捨てる。
 一瞬冷や汗をかいて黙った勝利に、瓜畠は続けて言葉を発した。

『……でもまあ、確かお前の有給はまだ残ってたしな……。
 解った。 皆には病欠だって言っておくよ』

 そう言って頷いた瓜畠を見て、勝利の表情がぱっと明るくなる。

「おおきに、瓜はん。 ほなな。」

 愛想良く礼を言って、勝利は通信を切った。
 わたしはそこでまた眠気が襲ってきて、瞳を閉じる。
 ただ、勝利が今日仕事を休むらしいという事はちゃんと頭のどこかで理解していたらしい。
 また、目が覚めたときも彼が傍にいてくれる。
 幸せな安心感に包まれて、わたしは再び眠りについた。


<続劇>




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