Fallen Angel その15


 6.Seraphina

 闇の中、わたしがうっすらと瞼を開くと吸血鬼の瞳に静かな部屋の様子が映し出された。
 本来、部屋の主である勝利はまだ会社から帰ってきていない。
 流石に二日連続で仕事を休むわけにはゆかず、わたしが眠っている昼間の間に出かけていったのだ。
 ベッドの中でわたしは小さくのびをすると、思い切って半身を起こす。
 頬にかかる髪を片手で掻き上げながら、長く休んめていたせいで少し鈍くなっている五感を呼び戻す。

「……ん。 ……あ。」

 わたしは首に巻かれた包帯を解くと、喉に指を当てながら小さく発音してみる。
 もうすっかり痛みは消えていて、普通に喋るのに何の支障もないようだ。
 わたしは身体にかかっていた布団をはねのけるようにして、ベッドから降り立った。
 何歩か歩いて、両脚ももうその機能をすっかり回復している事を確認する。
 勝利の血は、わたしの身体に劇的なまでの治癒力をもたらしていた。
 立ち上がるとだいぶ視界が変わり、それが楽しくてわたしは改めて部屋の中をぐるりと見渡す。
 すると、クロゼットに備えつけられている鏡にふと気づいた。
 なんとなくその前に立ち、着ているものを全て脱ぐ。
 くるりと回ってもう身体のどこにも傷痕が残っていない事を確かめると、なんだか嬉しくなって一人でうん、と大きく頷いた。
 そして、散らかした衣類を拾い集めると勝利の洗濯物が積んである山の上へ重ねてしまう。
 清潔で乾いたタオル類が浴室近くの棚にきちんと収まっていることを確認してから、わたしはシャワーを浴びた。
 身体にバスタオルを巻き、もう一枚のタオルで髪を拭いていると玄関の扉が開く音が聞こえる。
 勝利が帰ってきたことを確信して、わたしは部屋の方へ移動する。
 彼が部屋に入ってきたのと、わたしが髪を拭き終わってタオルを傍のハンガーにかけたのはほぼ同時くらいだった。

「おかえりなさい、勝利。」
「ただいま、フィーナ。
 ……なんや、もう動いても平気なんか?」

 勝利が荷物を置きながらそう言う。
 食事はどこかで済ませてきたのだろう、彼の顔は血色が良かった。
 わたしはなんとなくベッドまで戻るとそこに座って、手櫛で髪を整える。

「おかげさまでね。 ……あ、バスルーム借りたから。」
「それは見れば解るで。
 いやあ、それにしても帰ってきたら出迎えてくれる人がおるやなんて、まるで新婚さんみたいやな。」
 
 勝利は嬉しそうにそう言うと、上着を脱いでハンガーにかけるとわたしの隣までやってきて腰を下ろした。
 わたしは彼の頬を人差し指で軽く突く。

「ふふっ、何言ってるの。
 そういう事言うと、住みついちゃうわよ。」
「わいはええよ、それでも。
 ……あ、せやったら引っ越さなあかんなあ。
 ここ、会社の寮やさかい……。」

 勝利は本気なんだかいつもの冗談なんだか解らない事を言った。
 なんだか、出会ったばかりの頃のじゃれあいを思い出して自然と笑みが漏れてしまう。

「そんなお金、無いくせに。 無理しないの。」
「し…資金くらい、フィーナの為ならなんとかしてみせるで!」

 むきになって抗弁する勝利の頬へわたしは両腕を伸ばす。
 彼の顔を両方の手のひらで包み込むようにして、そっと唇を重ねた。
 彼は少し驚いたようにわたしの肩に手を触れると、それがきっかけになったかのようにキスが途切れる。

「……フィーナ……。」

 熱っぽい勝利の吐息がわたしの頬にかかる。
 わたしは黙って彼の瞳を見つめ返した。
 彼がわたしの肩を掴んでいた手に力を込めると、わたしたちは折り重なるようにベッドに倒れ込んだ。
 わたしの耳もとに彼の唇が触れると、その熱さに思わず小さな声を漏らしてしまう。
 今は、何も考えたくなかった。
 ルードヴィヒのことも、シャルルのことも、何もかも全て忘れてしまいたかった。
 勝利のことだけを考えて、そして彼の全てを感じていたかった。
 もう一度、唇が触れあう。
 今度は先刻のものよりもっと長く、もっと深い、蕩けるようなキス。
 身体の芯に痺れるような甘い快感が走る。
 ほら。
 もう、何も考えられない………。


<続劇>




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