Fallen Angel その3


 金属の細長い棒は、喉から首の後ろまで貫通しているようだった。
 顔を上げて視線を巡らせると、ボウガンを構えたままの姿勢で様子を伺っている男が目に入る。
 わたしに一撃を加えたことで、男達はひけ気味だった腰を持ち直させていた。
 ブラックジャックやナイフを持った男たちが、じりじりとわたしの方に迫ってくる。
 その背後で例の男がまたボウガンに矢を準備し直し始めたり、他の男が路地の隅に隠してあったらしい火炎瓶を持ち出してくるのが見えた。
 ……おかしい。
 街のごろつきが道に迷った女を狙うにしては、準備が良すぎる。
 わたしはこの状況に至って、やっと自分が思い違いをしていた事に気がついた。
今日ここで彼らがわたしを襲ったのは偶然ではなく、最初からわたしを狙っていたのだ。
 でなければ、この人数で火炎瓶まで用意してある説明がつかない。
 吸血鬼が恐れる大量の炎を生み出す媒体。
 呼吸をするたび、異物の感触に喉が熱を持ってズキズキと痛んだ。
 逃げよう。
 喉に刺さった矢を片手で引き抜きながら、わたしは思った。
 その矢は激しい痛みを土産に、血と肉とをまとわりつかせながら身体から出ていった。 唇を閉じていても、喉に開いた大きな空洞はひゅうひゅうと呼吸している。
 何の理由があってかは知らないが、男たちの目的がわたしを殺すことにあるのは明白だった。
 そして、吸血鬼を殺すための知識を持っていることも。
 でなければ、首は狙わないだろう。
 吸血鬼は首を切られても死にはしないが、致命的な痛手になることは間違いないのだから。
 それでも、出来れば誰も殺したくない。
 もう、本能に翻弄されるのはまっぴらだ。
 血に狂っていた先刻までの自分が誰も殺してはいないことに安堵しながら、わたしは襲いかかってきたブラックジャックを後ろに跳んで避ける。
 着地の瞬間、喉の傷口から激しく出血したがその痛みに構っている暇など無い。
 脇に迫っていた男がナイフを振りかざしてすぐ迫って来る。
 今度は身を捻って避けたが、刃が脇腹を掠って避けた服地から血が滲んだ。
 この細い路地で数十人からの攻撃を避けるのには限界がある。
 ……屋根まで、跳ぶか。
 人間が決して追ってこられない場所。
 わたしが退路を探して視線を中空に向けたその時。
 左足首に走った激痛に、わたしは地面に倒れ込んでしまう。
 咄嗟に喉は腕でカバーしたものの、頬と唇が地面と激しく擦れてそこからも出血する。
 現状を確認するべく素早く目を向けると、先刻わたしに血を吸われて気絶していた筈の男が意識を取り戻しており、手にしたナイフでわたしのアキレス腱を裂いたのだった。
 しまった……!
 これで上空に逃げる事は叶わなくなってしまった。
 わたしはぎゅっと唇を噛みしめて両腕で上半身を起こすと、男たちの包囲網が少し緩んでいる。
 嫌な予感がして身を捻った刹那、一瞬前までわたしのいた地面と左足の腿を銃弾が抉った。
 喉に穿たれた穴のせいでうめき声すら発せられないまま、わたしは再度地面と激しい口づけを交わす。
 唇が切れて血が噴き出したが、既に口の中は自分の血の味で一杯だった。

「よし、とどめだ!!」

 男たちがわたしの周りからばらばらと避難していく気配。
 わたしは火炎瓶が放り込まれようとしていることを本能的に察知して、両腕と右足に渾身の力を込めて大地を叩いた。
 身体が逆立ちに近い姿勢で大きく脇に飛び出す。
 先刻までわたしが倒れていた場所で爆発した炎の固まりがはっきりと見て取れた。
 だが間一髪で危地を脱したものの、それでもまだ完全に逃げ切れた訳ではない。
 不完全な姿勢で跳んだのが災いしてまともな受け身が取れない。
 路地の汚れた土に打ちつけられた腰が軋るような悲鳴をあげる。

「ちっ、し損じたか!」
 
 銃を持った男が、わたしが逃げた事にいち早く気づいてその得物を乱射させた。
 発射された鉛の弾のうちの数発が、動けないままでいたわたしの右膝を砕く。
 これで両足が使えなくなってしまった。
 今、ここに火炎瓶を投げ込まれればひとたまりもない。
 ……仕方ない、これはまだ覚醒したばかりで不安定な能力だからあまり使いたくなかったけど。
 わたしは霧化して逃げる決意を固めると、精神を集中させようとした。
 だが、各所に受けた傷の痛みがそれを妨げる。
 ……駄目、逃げられない……?!
 絶望で目の前が暗くなっていくのが解る。
 それでも両腕に力を込めて地面を掻き、死の脅威から少しでも遠くへ逃れるべく必死の抵抗を試みた。
 だって、まだ死にたくない。
 こんな形であの人の前から消えたくない。
 ……か…勝利……っ!
 わたしの必死の様子を見た男たちの間から嘲笑が上がる。

「へへ、吸血鬼だかなんだか知らねえが、人間様をなめるなよ。
 死ねぇっ!!」

 風を切る音がして再度火炎瓶が放られた、と感じた瞬間。
 まるで空気の中から沸き上がってきたように誰かの気配が私のすぐ隣に生じる。
 実際のところは路地の脇から出てきたのだろうが、その現れ方は人間のそれとは異なる、むしろわたしに近いものに感じられた。
 驚いて見上げたわたしの瞳に、女性の背中に波打つ金髪が映る。
 その女性は飛んできた火炎瓶を簡単な仕草で受け止めると、振り向かないままわたしにだけ聞こえるように言葉を発した。

「何故、人間如きにそのような無様な姿を晒すのですか?
 ……わたくしには信じられません。
 あなたは、本当に誇り高きヴァンパイアなのですか?」

 静かだが、怒りを込めた口調。
 見知らぬ女にそんな事を言われる筋合いは無いと思ったが、喉を潰されているわたしに反論が出来る筈もなかった。


<続劇>




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