深きココロの淵より その1


 その日は、休日だった。
 にも関わらず、機体の最終調整とかでサングロイアからシーウェイまで呼び出された壬井勝利は多少不機嫌だった。
 折角の休みの半分を女性と楽しい時間を過ごすことではなく、仕事に奪われてしまったのだから。

「あんなん週明けでもええんに……難儀なことやで。」

 ぶつくさ言いながら、それでも折角来たのだからシーウエイの中心街で買い物でもしようとやってきた彼の耳にふと知り合いの声が飛び込んできた。

「い〜やぁ、ですのぉ!」

 切羽詰まった声色に何事かと振り返ると、派手な色のシャツでいかにもナンパ系のなりをした男が女の子の片腕を掴んでいるのが目に入った。
 休日で賑わうメインストリートでの人混みの中でも間違いようのないその姿。
 白無地の着物に袴、赤い髪をきちんと編み込んだ左右のお下げ。
 女の子の名前は、竜胆丸。
 勝利は先日、銀の竪琴亭で彼女との間に起こったことを思い出しながらそのつんつん頭の中に自然と手を突っ込んでいた。

「ね、ひとりでこんな所で立ってるより良いところへ連れてってあげるって。」

 男は強引に竜胆丸の腕を取って、建物の壁際から彼女を引き剥がそうとしている。
 彼にとって着物姿の少女が珍しかったのだろう。
 そのやり口はかなり強引だ。
 いつも彼女の背負い袋の中を定位置にしているペンギンの姿は何故か見あたらなかった。
 竜胆丸はそれでも抵抗しているようだったが、大の男の力に彼女の細腕が敵うべくもない。

「りんは、ペンさまをお待ち致しますの〜っ。」

 大地をしっかりと踏みしめ、力を入れるために歯を食いしばりながら竜胆丸はなんとかその台詞を喉から絞り出した。
 勝利は頭を掻きながら、自分の性分にため息をつく。
 正直、彼女は勝利の苦手だった。
 彼を”勝利”という一人の男としてではなく”壬井院”という自分より身分の者という位置づけで接してくる彼女が。
 だが、窮地に陥っている少女を見て見ぬ振りをする訳にはいかない。
 それは彼のプライドの問題でもあったし、人としてのモラルの問題でもあった。
 勝利はゆっくりと近づくと、なるべく刺激しないようにやんわりと声をかけた。

「なあ、彼女嫌がっとるみたいなんやけど……。」
「か、勝利さま…。」

 竜胆丸は勝利の出現に泣き笑いのような複雑な表情を浮かべた。
 助け手が現れたという安堵と、彼女にとって敬うべき存在の者に助けていただくという申し訳なさの入り交じった顔。
 背後から掛けられた声に男の身体はぴくりと反応した。
 男は一瞬のうちに目つきを険しくすると、下からすくい上げるように勝利の顔を睨めつける。
 
「てめえにゃ関係ねえだろ?」

 その目つきはなかなか年期が入っていて、どうも彼がタダのナンパ男ではなさそうだという事を告げていた。

「一応わいの知り合いやから、関係ないっちゅう訳にはいかんのや。」

 もめ事はなるべく避けたいと内心で思いながら、勝利は困ったような笑みを浮かべた。
 と、その時。
 男の注意が彼の方を向いたと悟った竜胆丸は思い切った行動に出た。
 つまり、彼女の右腕を掴んだままだった男の手に思い切り噛みついたのである。

「えいっ!」

 がぶり、という擬音が聞こえてきそうなくらいの噛みつきっぷり。
 男は竜胆丸の身体を振り払うようにして手を引き戻した。

「……っつぁ……何しやがる、このっ!」
「勝利さまにご無礼をなさるつもりなら、りんが承知しませんのっ!」

 半泣きの表情のまま肩で大きく息をしながら、竜胆丸は男の顔に人差し指をつきつける。
 勝利は天を仰ぐと、片手で自分の額を押さえた。

(そないな見栄切ってもうたら穏便に済むもんもすまへんようになるやんか……。)

「下手に出てりゃいい気になりやがって……シメてやろうか、おお?」
「………っ!!」

 竜胆丸は男が吐いた台詞の音量に思わず身をすくめてしまう。
 男が竜胆丸に向かって振り上げた拳は、ひょっとしたら威嚇だったのかもしれない。
 だが、それが彼女に向かって下ろされるのを見た瞬間に勝利の身体は自然と動いてしまう。
 反射的に目をつぶった竜胆丸が何の痛みも来ないことに気がついて恐る恐る目を開けると、そこには男の腕を後ろへ捻り上げている勝利の姿があった。

「あ〜あ、やってもうた……。」

 男は自分の方が加える筈だった痛みが逆に自分を襲ってきたことに驚き、そして苦しんでいた。
 悪態とも呻きともつかない低い声が彼の唇から漏れ出す。

「わいなあ、ほんまはこないなことしとうないんよ?
 ええ加減聞き分けて大人しゅう帰っといて、な?」

 強化人間の反射神経、そして身についた技は自らが考えるよりも早く勝利の身体を動かしていた。
 彼が忌み嫌うその力が、誰かを救うことになる皮肉。
 勝利は自嘲の笑みを浮かべながら、男の腕をそっと放した。

「て、てめえ……覚えてろよおっ!!」

 何百年も前から使い古されているような捨て台詞を吐いて、男はこけつまろびつ走り去っていった。
 勝利のため息を後に残して。


<続劇>




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