深きココロの淵より その2


「勝利さま、申し訳ありませんでしたの。」

 竜胆丸は背筋を伸ばして、勝利に向かって深々と頭を下げる。
 彼は苦笑しながら慌てて片手を振った。

「ちょぉ、やめてえな。
 わいはたまたま通りかかっただけなんやから……。」

 勝利は竜胆丸のこういう馬鹿丁寧な物腰が苦手だった。
”ありがとう”でなく”申し訳ない”という表現をしたことも、彼女が勝利を”壬井院”として見ているということを思い知らされる。
 故郷で皆から受けていたのと同じ種類の視線。
 最大の尊敬。最大の畏怖。
”院”を頂点に唯一にして絶対の階級制度が民を支配する星、月園寺。
 故郷の星を離れ、過度の期待と監視と強制を逃れ、ただ一人の人間として暮らしはじめた筈だった。
 まさか、こんな遠く離れた場所に来てまでそのしがらみに捉えられる事になろうとは。

「でも、本来ならりんの方がお守りするのが筋ですの。
 それが、勝利さまのお手をわずらわせるなんて……。」
「今日はペンギンはんはおらんのか……珍しいなあ。」

 このまま竜胆丸を放っておけばしまいに平伏してしまいかねない。
 勝利はこの話題を打ち切りたくて、わざと彼女の台詞を途中で奪い取った。
 実際、彼女のへこんだ背負い袋が気になってはいたのだ。
 しかし、ペングリフォンの話題を選んだのは失敗だった。
 勝利の台詞を聞いて竜胆丸の顔にすうっと暗い影が降りてしまう。

「ペンさまは…御病気ですの。」

 俯いてしまった竜胆丸の言葉に勝利が辺りを見回すと、目の前の建物に掛かっている大きな看板は動物病院のものだということが解った。
 きっとペングリフォンは今この中で診察中か治療中なのだろう。
 そういう非常事態だからこそ、彼女はひとりでいたのだ。

「りんが…りんがついてましたですのに……。」
「きっとあれやなあ、シーウェイまで長い道のりを旅してきおって…環境の変化ちゅうか、そないなもんのせいやろ。
 りんちゃんが悪い訳やあらへんよ。」

 幾ら苦手な相手とはいえ、女の子の表情が曇るのは見ていて辛い。
 勝利は竜胆丸にやんわりと言葉を掛けると、励ますように彼女の細い肩を軽く叩いた。
 彼女は少し吃驚したように勝利の顔を見上げると何か言おうと口を開いたが、結局いい台詞が思いつかなかったらしい。
 頬を桜色に染め、俯くと消え入りそうに小さな声で「ありがとうございますの」と呟いた。
 勝利はそんな彼女の様子に妙ないたたまれなさを感じながら、もうひとつ質問をする。

「で、りんちゃんはペンギンはんの治療が終わるまでここで待ってるちう訳か?」
「はいですの。
 りんはペンさまのお側を離れる訳には参りませんの。」

 竜胆丸の言葉を聞いて、ふとひとつの疑問が勝利の頭をもたげた。
 もしかして、竜胆丸はかなり前からペングリフォンの治療が終わるのをここでじっと待っていたのだろうか。
 だとしたら先刻、チンピラに絡まれていた理由も解るような気がする。
 生まれてから一度も人を疑ったことのないような風情の可愛らしい女の子が一人で、およそ待ち合わせとは無縁と思える場所で立ちつくしているのだ。
 まさに、格好の獲物。

「ペンギンはんの治療って、いつまでかかるんや?」
「……ええと……あと一時半(いっときはん)程だそうですの。」

 竜胆丸はこめかみに人差し指を当てると、ゆっくりとまばたきをする。
 今の一瞬に、彼女は病院の中にいるペングリフォンと心で会話をしたのだろう。
 彼女の”能力”については前に聞いていたとはいえ、勝利は改めて驚きを感じていた。
 精神感応能力者(テレパシスト)。
 竜胆丸は他の人間や生物と心を通わせる事が出来る。
 だが、こちらの意志を伝えることが出来るということは向こうの思考が無秩序に彼女のほうへも流れ込んでくるということだ。
 それは彼女にとってとんでもない負担になるので、普段は意識的に壁を作って自衛しているという。
 そんな彼女にとって唯一心での会話が可能な相手がペングリフォンなのだ。
 その信頼の程が解るというものだろう。
 竜胆丸はペングリフォンの治療が終わるまでこの場所でじっと待つつもりでいるらしい。
 彼女は疲れた顔も嫌な顔もせず、ぴしりと背筋を伸ばして立っていた。
 
「……解った。 つきおうたるわ。」
「えっ……。」
「ここでりんちゃんを一人にして置いたら、またどないな奴がくるかわからへんからな。
 わいもどうせ暇を持て余しとったんやし、その時間を可愛い女の子とおしゃべりして過ごせるんやったら御の字や。」

 軽く言って、勝利はあまり上手でないウインクをしてみせる。
 竜胆丸は驚いたように彼の顔を見上げ、次いで申し訳なさそうに視線を彷徨わせた。
 
「ほ…本当によろしいのですの?」
「当然や。」

 勝利は彼女の遠慮を振り払うように明るく言うと、大きく頷く。
 竜胆丸はそこでやっと安心したように、心からの笑顔を見せた。


<続劇>




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