深きココロの淵より その3


 勝利は隣に立つ竜胆丸を、なんとはなしに観察していた。
 森の奥にひっそりと位置する、澄んだ水をたたえた湖面のような静かで神秘的な光を持った瞳。
 黒曜石のようなその色の中に吸い込まれていくような気がする。
 きちんと左右のに編み込まれた長い髪は色こそ何かにやけたような赤毛だが、充分につややかで指通りは良さそうだ。
 それをほどいてベッドのシーツの上に広げてみたい、という不謹慎な誘惑も感じない訳ではない。
 ……そう、黙ってさえいれば美少女なのだ。

「この間、MM選手の一覧をきちんと確認致しましたら……御凪院さまもこちらにいらっしゃってますのね。」

 これだ。
 勝利は内心、深々とため息をついた。
 彼女は月園寺の因習という怨念を背負って生まれてきたかのように、星のしきたりや身分制度といったものに拘りを見せる。
 今だって、勝利の従兄弟である御凪 巴の名字をきちんと「おんなぎ」と発音した。
 一般的には「みなぎ」と読むのが普通で、ここでもそれが通っているのにも関わらず、である。
 
「巴ちゃんは…わいとちごうてこっちでも真面目に頑張っとるよ。
 そやけど、りんちゃんもデビュー戦勝ってたやろ。
えらい事やで、きっと才能あんねんで。」

 勝利は故郷絡みの話題をなんとか違う方向へ導こうと、たたみかけるようにそう言った。
 多少大げさな身振りまで加えている。

「凄いのはペンさまですの。
 りんはペンさまのお手伝いをさせて頂いただけですもの。」

 竜胆丸は花がほころぶようにふわりと笑うと、建物の中にいる筈のペングリフォンの方へ視線を走らせる。
 それは彼女自身が褒められて嬉しかったというよりも、彼の成果を褒められて嬉しかったといったところのようだった。

「りんちゃんはほんまにペンギンはんが好きなんやなあ……。」

 言って、ふと何気なく辺りに視線を巡らせた勝利の表情が突然曇った。
 先刻、竜胆丸に絡んでいた男が建物の影からこちらを伺っていたのだ。
 危険に対して鋭すぎる自分感覚と荒事の予感に、眉根を寄せてため息をつく。
 
「どう…致しましたの?」

 勝利が緊張した気配を感じ取った竜胆丸が不安を含んだ声音で彼に問いかける。
 
「りんちゃんは動かんとき。」

 短く言って、勝利が彼女を背中にかばった直後に物陰から十人程度の男達がばらばらと現れて素早く二人を囲んだ。
 殆どが汚れたり破れたりした奇抜な服を身につけた街のちんぴらといった風情だが、中には相撲取りかプロレスラーかというような体格の者も混ざっている。
 半数くらいの者が刃物を携帯しているようだ。
 そんな男達の輪の中心を割るようにして、例のナンパ男が二人の目の前に現れた。
 どうやら、彼はこの辺りを根城にしているこの手合いの人間に少しばかり顔が利くようだった。

「よう、さっきはナメた真似をしてくれたな。」

 捨て台詞も月並みなら、再登場時の台詞も月並みだった。
 全くもって、こんなお約束な輩がよくもまだ棲息していたものだ。
 勝利の背中を冷たい汗が流れる。
 ここに居るのが彼ひとりなら、脱出のチャンスを作るのもさほど難しい事では無かったのだが。
 彼の背中で状況を把握するために忙しくその瞳を動かしている彼女の身のこなしはどう贔屓目に見ても荒事に向いているようには思えない。
 これだけの人数を相手にして、なおかつ彼女の身に危険が及ばないようにしなければならないとなると、いくら勝利でも骨が折れそうだった。

「礼をしに来てやったぜ。」

 リーダーであるナンパ男の台詞に合わせて、男達の輪がじわじわと狭まる。
 男達の中の数人は自分たちの勝利を確信し、これ見よがしに手の中の凶器を弄んでいた。
 不安がはっきりと恐怖に変わったのだろう、竜胆丸が勝利の腕をぎゅっと掴んだ。

「りんちゃんは、隙を見て逃げえ。」

 視線を男達の動きから外さないまま、首を僅かに動かして勝利は低く呟くように言った。

「そんな……そんなこと、出来ませんの。」

 竜胆丸はきゅっと唇を噛みしめると、左右に激しく頭を振る。
 男達はもうすぐそこまで迫ってきていて、後はリーダーの合図一つでいつでも飛びかかれる体制だ。

「言うとおりにするんだ。」

 勝利の声が凄みを帯びた。
 いつもの関西弁が消えている。
 彼は男達を迎え撃つため、四肢に力を込めて身構えた。

「でも…でも。」

 竜胆丸は勝利の言葉に従うべきどうか、激しい葛藤を覚えていた。
 やがて彼女はぎゅっ、と瞳を閉じると何かを決心したように眉根を寄せる。

「何ごちゃごちゃやってんだ?
 ……てめえら、やっちまえっ!!」

 リーダーが鬨の声を上げると、男達は一斉に飛びかかろうとした。
 その一瞬。
 竜胆丸が勝利の影から男達の前に飛び出して、勝利を庇うように立ちふさがる。
 男達は彼女の予想外の行動に驚いて、たたらを踏んだ。


<続劇>




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