深きココロの淵より その4
「りんっ……?!」
竜胆丸の行動に一番度肝を抜かれたのは勝利だった。
彼女が状況の危険性を感じていない訳はない。
何故なら、彼女の脚は傍目で見て解るほどに震えているのだから。
そこまでの怯えを押さえて無茶をする、その根拠は一体なんだというのか。
竜胆丸はまっすぐ男達の顔を見回すと、両手を広げて目の前の高さに差し伸べる。
「おいおい、お嬢ちゃん、何をしようっていうんだい?」
男のうちの一人があからさまな嘲笑の声を上げる。
彼女の行動に最初こそ面食らったものの、男達はすぐに状況を把握してもう落ち着きを取り戻していた。
取るに足りない小娘な一人、常識で考えれば何が出来る筈もない。
が、しかし勝利だけは今から何が起こるのかを僅かながらも察知していた。
身体の表面に軽い電気が走っているかのようにぴりぴりする。
首筋の産毛が逆立ち、目に見えない力が発動しようとしているのが肌で感じ取れた。
彼の目の前にある竜胆丸の細い首筋の後れ毛が風も無いのに僅かに舞い上がっている。
勝利は先刻身構えた姿勢のまま、何故か微動だにすることが出来なかった。
「今すぐここから立ち去れば何も致しませんの。」
竜胆丸の声はあくまでも静かだった。
いつもの可愛らしさを失った代わりに神秘性を極限まで高めたような彼女の姿から、勝利は目を離すことが出来ない。
男達の方は彼女の言葉をまともにとりあおうとせず、ある男は頭の横に人差し指で何度か円を描いていた。
それを見た別の男が下品な含み笑いを漏らす。
「可哀相に。 こんな可愛い顔して痴呆か。」
「でも、まだ勝利さまに害を為すおつもりでしたら……りんが許しませんの。」
男の台詞に構わず、竜胆丸は淡々と台詞を続けた。
「へえっ、許さないってよ。」
「じゃあ、どうするってぇんだ?」
「やって貰おうじゃねえか。 なあ?」
男達の中から口々に嘲りの言葉が飛ぶ。
竜胆丸は口の中で「考え直すおつもりはないんですのね」と小さく呟いた。
彼女の頭が僅かに上を向き、その瞳がゆっくりと男達の顔の上を一巡する。
両手は正面に差し伸べられたまま、微動だにしない。
勝利にはまるでそれがスローモーションのように見えた。
そう、竜胆丸がやった事はたったそれだけだったのだ。
だが、効果は絶大だった。
「うわ……うわあああああっ!!」
「ひいいいぃぃぃっ!!」
「ぎゃああああぁぁぁっ!!」
突然、男達全員の口から一斉に絶叫がほとばしった。
凶器を持っていたものはそれを取り落とし、全員発狂したかのようにでたらめな行動を取り始める。
頭を抱えてその場にうずくまる者、腕を押さえてひっくり返るもの、腹に手を当ててのたうち回る者、まるで見当違いの中空に向かって狂ったように拳を突き出す者……。
ただひとつ全員に共通しているものは、瞳の中にくっきりと浮かび上がる恐怖。
蒼白になった顔面から脂汗を流し、見開かれた目は虚空の中に未知の怪物を見いだしているようだった。
彼らの激しい悲鳴を聞いて、道を行く人々が足をとめてこちらに注意を向ける。
だが、竜胆丸のやっていることといえば両腕を水平に上げていることくらいなのだ。
どう見ても男達が勝手にのたうち回っているようにしか見えないだろう。
男達本人すら、今自分の身に本当は何が起こっているのか正確には把握していないに違いない。
ここに居合わせた人間の中で、勝利だけがこれが竜胆丸の仕業だということを直感的に確信していた。
「竜胆丸っ!」
勝利はここへきてやっと金縛り状態から自分を解放することに成功し、竜胆丸の脇へまわりこむ。
しかし、彼の声は彼女の心へは届いていないようだった。
竜胆丸の身体は精巧な人形のようにぴくりとも動かない。
その瞳には全く意志というものの感じられない、不自然な輝きだけが宿っていた。
勝利は鋭く舌打ちをすると、彼女の両肩を掴むと激しく揺さぶる。
すると、彼女の瞳にすぅっと生気が戻ってきた。
それと同時に男達が発していた怒号がぱたりと止み、次いで彼らはばたばたと地面に倒れ込む。
竜胆丸も前のめりにふらりと倒れかかるのを、勝利が慌てて抱きとめた。
つい先刻まで人形のようだった彼女の額にはうっすらと汗が浮かび、顔色も蒼白になってしまっている。
まるで、ずっと呼吸を止めていたかのように息づかいも荒い。
「りんちゃん、大丈夫なんか?」
「も……申し訳ありませんの。」
竜胆丸は勝利の腕を借りてしまった事に謝罪しながら、なんとか身体を起こした。
しかし、まだ小さな胸は激しく上下している。
「……無理せんとき。」
「どうってことありませんの。
それよりも勝利さまにお怪我が無くて、良かったですの。」
苦しそうな息づかいのまま、竜胆丸はにっこりと笑う。
勝利の身に危害が及ばなかった事を、本当に嬉しく思っているらしい心からの笑み。
勝利は笑い返す事が出来ず、ただ頬の筋肉を強ばらせていた。
<続劇>
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