1stミッション・聖なるバスを狙え!(前編)


 アレクはフェルとヘカテを伴い、それを待っていた。傍らにはバス停留所。そう、宇宙を手にせんともくろむ彼は、手始めの悪として、最もありがちかつ困難な幼稚園バスジャックを選んだのだ。
 服装はいつもの悪の帝王ルック。無論目立ちまくっているのだが、もはや「コスプレイヤーその2」として街の人々に認識されだした今となっては、あまり振り返る者もいない。
 空は抜けるような青空が広がり、容赦なく照りつける陽光が辺りを夏らしい熱気で支配している。全身真っ黒けっけのアレクはさぞかし暑いことだろう。しかし、好きでやっている扮装のせいで暑がっている図はかなり情けない。暑さに対する愚痴はこぼさないように気をつけている彼である。
「アレク様ぁ、普通、バスの発着所で待ってたりしないんじゃないですか?」
 不満そうにフェルが言った。彼にしてみれば、悪とはあくまでも「他者を害する存在」。こんなところで礼儀正しくバスを待っていたりしてはいけないのだ。
「悪にもやっていいことと悪いことがある。走行中のバスに無理矢理乗り込むなど、許されるはずがあろうか?いやないっ!!」
 力強く反語を使って答えるアレク。そんな彼にフェルが投げかけたのは、素朴な疑問だった。
「でも、バスが来たところで、そんな服着てる人は乗せてもらえないんじゃないですか?‥‥というか、園児以外も乗せてくれるものなんでしょうか」
「ふむ‥‥それもそうだな」
 顎に指を当て、考え込むアレク。
「じゃ、あっちで隠れててくださいよ。バスが来たら僕が呼びますから」
 上司の計画立案能力を信用していない部下は、素早く代案を出した。それがどんなに陳腐なものであろうと、アレクの意見よりはるかにマシだろう。
「おお、そうしてくれると有り難い。ではひとまずさらばだ」
 異論を唱えることなく、アレクは素直に了承した。続けて、芝居がかった動作で黒マントを大きく翻すと、堂々と少し離れた物陰に身をひそめた。
 そのさまを見ていたフェルが呟く。
「隠れてないっての‥‥」
 あれでは身がひそまっていない。物陰にいることはいるが、ほとんど直立し、腕を胸の前で組んでいる。徐々に集まってきた園児たちの視線が、興味津々にアレクへと注がれているのを、彼は気付いているのだろうか。
 脱力しつつも自らの本分を忘れないフェルは、園児たちに紛れるべくその場にしゃがみこんだ。彼はほんの少しだけ、サングロイアに来たことを後悔していた。

 一台のバスがやってきた。黄色に塗られた車体には、かわいらしい動物の絵が描かれている。あれに間違いない、フェルは思った。念のため、書かれた文字を確認する。「聖ヨハネ幼稚園」‥‥ターゲット確認完了。
 やがてそれはバス停に止まった。後部ドアが大きく開いて、園児たちを迎え入れている。チャンスは今しかない。そう判断したフェルは、大声で上司を呼んだ。
「アレク様、今ですっ!!」
 自らは素早くバスに乗り込み、ドアが閉まらないよう、開閉口に対して垂直に立った。バスの外に走らせたフェルの目が、大きなストライドで駆けてくるアレクを捉える。黒いマントと同色の髪が風にはためく様に「あ、こういう時はかっこいいかも」と思ってしまった彼は、やはりアレクに毒されているらしい。
 園児たちの奇異と歓迎の視線をまだらに受けつつ、アレクはバスに乗ることに成功した。幸いにも、バスの中にいた大人はただ1人のようだ。肩で息をしている黒ずくめの男を後目に、フェルは園児たちをかきわけ、運転席のほうへと向かった。
 聖ヨハネ幼稚園は、どんな雑用にもロボットを使わない幼稚園として知られていた。このご時世に珍しい。人との触れ合いを大切に、という趣旨もあるだろう。しかしそれ以上に重要なのは、ロボットよりも人間を使うことが高いステータスとなっている点に違いない。
 もちろん、このバスの運転手も人間だった。彼らの突くポイントは、ここにある。
「どうも、ゴーディさんですね」
 にっこり。邪気のない微笑みを浮かべて、フェルは運転手に言った。
「リン園長に伺っていることと思いますが、私たち、園からの依頼で交通安全教室兼生き方指南兼戦隊ショーをやることになっておりまして」
 固有名詞を出すのは、相手を信用させる常套手段のひとつである。運転手の名は運転席の横に書いてあるし、園長の名前など簡単に調べられるのだが。
「さきほど少々強引に乗り込んだのも、その一環です。お騒がせして申し訳ありませんでした」
 畳み掛けるように、最も不審な点を説明してしまう。これで少しは疑いも晴れるだろう‥‥そうであることを期待したい。
 言いたいことだけ言い終わると、フェルは丁寧にお辞儀をした。そして運転手の返答を待たずにアレクに告げる。
「社長、許可が出ました。どうぞ、はじめてください」
 許可など出していない、とは言いがたい雰囲気をさっさと作ってしまうのが大切なところである。この一点が、アレク(というか、フェル)の一大計画の成否の分かれ目なのだ。
 いまだ息が切れているアレク。しかしここで間を置いてしまっては、せっかくのフェルの努力が水の泡である。仕方なく、ヘカテが助け船を出した。
「よい子の皆さん、これからこの悪いおじさんがくだらないお説教をします。どうか聞いてあげてくださいね」
「誰がおじさんだっ!!」
 ようやく呼吸を整えてこう言うと、零細企業社長は満を持して子供たちに話り出した。さして張り上げているわけでもない声が、狭いバスの中に響き渡る。
「私は悪の帝王だ。お前たちは悪というものを誤解‥‥な、何をするっ!!」
 一人の子供が、長い黒マントを引っ張った。それを合図に、乗客たちはそれぞれ好き勝手に動きはじめた。周囲は一瞬にして喧騒のまっただ中と化す。特に、通路中央に陣取っている妙な扮装をした男は、園児たちの目に格好の遊び相手と映ったようだった。
「ねえねえ、なんでこんなかっこうしてるの?」
「おじさん、暑そうだね。マント脱げば?」
「馬鹿みたーい。きゃはは☆」
「うるさ〜いっ、私にまとわりつくなぁぁぁ!!」
 子供相手に怒鳴り散らすのも悪の帝王の名がすたる。こう考えたのかどうかは知らないが、アレクの反応にはいまひとつ厳しさが欠けていた。
 頭を抱えるフェル。まさかここまで自分の上司が情けない人間だったとは思ってもみなかった。もう少し威圧感のある演説をぶってくれると考えていたものの、それは大誤算だったようである。
 一瞬、情けなさを通り越して悲しみが脳を支配しかけるが、どうにか彼は自らを立ち直らせた。そして冷静な表情を作って振り返ると、笑いをかみ殺している運転手に告げた。
「この少し先に、児童公園がありますね。そこで子供たちを降ろします、停めていただけますか」
「はいよ。あんたたちも大変だな。仕事とはいえ、こんなうるさい子供相手にお説教しなきゃならないなんて」
 同情的な響きを含んだ台詞を礼儀正しく無視し、フェルはバス中に聞こえるような大声で叫んだ。
「一旦公園に降りますよぉ〜、その後交通安全について教えながら、子供たちを幼稚園まで送っていきましょ〜」
「交通安全だと!?何故私がそのような‥‥」
 完全に自分の状況を忘れている。言葉が終わるのを待たず、ヘカテが主人を鋭く制した。
「アレク様っ!!どこまでフェルの努力を無にすれば気が済むんですか!」
「‥‥そうだったな」
 バスが止まった。左手には、フェルの言っていた小さな公園が見える。次の舞台はあそこか、と気を取り直して、アレクは再び悪の帝王らしい毅然とした態度を取った。そうだ、自分は園児たちに交通安全を教えているのだった。ようやく設定を思い出し、彼はそれらしい文句で子供たちを諭した。
「いいか、ドアが開いても急に飛び出しては‥‥」
 言い終わらないうちに、ブザーの音と共にドアが開いた。ほぼ同時に、園児たちの流れがアレクを襲う。
「飛び出すなと言っているだろう!」
 慌てて後に続いてバスを降り、公園に向かって走り出したアレクを見やって、フェルは小さくこぼした。
「もう、僕の出番はないといいな‥‥」

 結論から言うと、彼の希望は叶わなかった。
 この児童公園には、次なる大誤算が待ち受けていたのである。





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