あくにんしょうき【悪人正機】
歎異抄第三条の「善人なほもつて往生をとぐ、いはんや悪人をや」によって説かれる親鸞聖人の教え。現代語訳では「善人でさえ浄土に往生することができるのです。まして悪人はいうまでもありません」となります。『普通、「悪人でさえ往生するのだから、まして善人はいうまでもない 」 と言えば納得できる。これは逆だ!おかしい!納得がいかない!』と思ったら、あなたは自分のことを善人だと思っているのです。あなたは善人ですか?悪人ですか?
あまちゃ【甘茶】
お釈迦さまのお誕生を祝う花まつりの時、お釈迦さまのお誕生の姿のお像にかけるお茶。お釈迦さまがお誕生された時、甘露の雨が降ったということから甘茶をかける。材料(漢方薬)の配合を間違えるとかなりまずい。
あみだきょう【阿弥陀経】
浄土真宗の経典「浄土三部経」の内の一つ。正式には「仏説阿弥陀経」。略して「小経」。浄土三部経の中で一番短い。法事のお勤めによく用いられる。お釈迦さまがインドの祇園精舎で説かれたお経。極楽浄土のすばらしい風景やお飾りを説き、阿弥陀仏の徳をたたえ、念仏による極楽往生をすすめられたお経。
あみだどう【阿弥陀堂】
阿弥陀如来が安置されているお堂。浄土真宗本願寺派ではご本山の本堂のことをいう。向かって右側のお堂。現在はご影堂が修復中なので「総御堂」と呼ばれている。
あみだぶつ【阿弥陀仏】→あみだにょらい
あみだにょらい【阿弥陀如来】
浄土真宗のご本尊でお仏壇やお寺の本堂の真ん中に安置されています。阿弥陀如来とは、限りない光と、限りないいのちをもった仏さまのことで、無量光仏、無量寿仏ともいいます。
あんじょうのごえい【安静御影】
宗祖聖人83歳の御姿を描いた画であつて、三河国(愛知県)碧海郡安静(今の安城町)に於て、真仏房(24輩)の弟子専海が法眼朝円に描かしたものなので「安城御影」という。昔は同国長瀬村願正寺(専海の弟子照心房の寺)に在ったが、今は本派本願寺に収蔵されている。
あんじん【安心】
心を安ずる、という意味であって、生と死の悩みが解消することです。浄土真宗では信心という語と同様の意味に用いられています。阿弥陀仏の救済に身をまかせ安んずる心のことであって、仏の光明におさめられて安堵心″の中に生きることをいいます。また「安心」をやすき心″とも読み、他力の信心の取りやすく得やすいことを表わしています。
あんじんろんだい【安心論題】 
いはい【位牌】
お仏壇に入れる、亡くなられた方の戒名(法名)や俗名を書いた木の札のこと。浄土真宗本願寺派(西)では位牌は使わず、過去帳という帳面に法名を書き記します。テレビで火事の時、仏壇の位牌をもって逃げるシーンがありますが、それは間違いです。その時は御本尊(阿弥陀さま)をもって逃げましょう。位牌や過去帳にご先祖が宿っている事はありません。ご先祖は仏となって極楽浄土にいらっしゃいます。いわば、位牌や過去帳は家にはこういうご先祖がいますという「表札」です。火事の時お家の表札をもって逃げますか?
いんど【インド】
お釈迦さまが生まれ生きられた国。仏教発祥の国。宗教人口にするとヒンズー教とイスラム教がほとんどで仏教徒は1%くらい。お釈迦さまはインドでブッダと呼ばれ、ヒンズー教の神様の一人に取り入れられているので、ブッダといえばほとんどの人が知っている。仏教徒は一生に一度は釈迦が歩いた道、留まった場所など、インド・ネパールに行きましょう。
うらぼんえ【孟蘭盆会】
お盆のこと。孟蘭盆会は正しい呼び方。東京は7月。それ以外は8月という認識がありますが、7月お盆の所は他にもあります。8月お盆を「旧暦のお盆」「旧盆」などと言いますが、旧暦は正確に一月遅れではありませんので、7月お盆に対して、正しくは「月遅れのお盆」と言います。そもそもお盆とは、仏説孟蘭盆会経(浄土真宗ではつかいませんが)に出てくるお釈迦様の十大弟子の一人、目連尊者の故事がおこりと言われています。
えいたいきょう【永代経】
「永代祀堂経懇志」とも言う。我が寺が長きに渡って興隆し絶えることがなきように、この懇志をもって、寺が絶えることなく栄えていただきたいという願いから、お寺の納めする懇志を言う。
お寺側は、その御礼として、ご門徒の末裔が絶えるなど色々な事情により、故人のご法事を誰もすることが出来なくなっても、お寺が永代(永遠)にわたってその故人のご法事を勤めます、とお約束させていただくもの。よく、永代経を納めると、これから先すっとご法事のお布施がいらなくなると思う方があるが、これは間違え。お寺がご法事を永代にわたってお勤めするということで、ご門徒の皆様が主宰するご法事とは別。
えこう【回向】
阿弥陀如来が自身の修行の結果得た果報(幸せ)を私たちに与えて、私たちを幸せに導いて下さること。
えしんに【恵信尼】
親鸞聖人の奥様。聖人より九つ年下。越後の国府の三善家のお嬢様。「恵信尼文書」というお手紙を残された。親鸞聖人の身近なお言葉や夫婦の会話等を通して浄土真宗の教えの有り難さを伺い知ることが出来る。「まはさてあらん」という言葉は「恵信尼文書」にある。
えちごのななふしぎ【越後の七不思議】
越後地方で親鸞聖人の尊さや浄土真宗の教えを伝えるため、親鸞聖人をただ人ならぬ力の持ち主として言い伝えられた7つの伝説。@国府の片葉の葦(上越市・国府別院)、A田上の繋ぎ榧(南蒲原郡田上町田上・大谷派了玄寺)、B鳥屋野の逆さ竹(新潟市鳥屋野・大谷派西方寺)、C山田の焼鮒(西蒲原郡黒崎山田・田代家)、D保田の三度栗(北蒲原郡安田町保田・大谷派孝順寺)、E小島の八房の梅(北蒲原郡京ヶ瀬村小島・本願寺派梅護寺)、F小島の数珠掛桜(Eと同所)を言う。浄土真宗の関係者は越後の七不思議と言うとこれを思い出すが、他の越後の七不思議も複数ある。
えんりゃくじ【延暦寺】→ひえいざん
おうじょう【往生】
仏の国、阿弥陀如来の浄土に生まれさせていただくこと。
おうじょうらいさん【往生礼讃】
浄土真宗の七高僧の第五祖、中国の善導大師によって著された。正式には「勧一切衆生願生西方極楽世界阿弥陀仏国六時礼讃偈」と言い、略して「往生礼讃偈」「六時礼讃」「礼讃」と言う。内容は極楽浄土に生まれたいと願うものが日常すべき六時(日没、初夜、中夜、後夜、晨朝、日中)の礼法を明かしたもの。この本は浄土教の敬虔な日常行儀を説いたものとして、お勤めに使われている。東京ではお通夜のお勤めに使われることが多い。
おおたにほんびょう【大谷本廟】
京都、東山五条にある親鸞聖人の廟所(お墓所)。1262年親鸞聖人のご遺骨を現在の崇泰院のところに納め大谷本願寺と称した。その後1603年現在の所に移転した。境内には本堂、明著堂、無量寿堂(納骨堂)などがあり、隣接して墓地もある。ご家族のご遺骨を本山に分骨する時はここに申し込む。
おかみそり【おかみそり】
→ききょうしき
おきょうりょう【御経料】
ご法事のときなどお布施の表書きによく書いてある。この書き方は間違え。「お布施」が正しい。お布施は金額が決まっていません。料金というと金額が決まってしまいます。
おきよめ【お清め】
お葬式の時、火葬場で飲む最初の冷や酒、帰ってきたとき玄関先でかける塩、みんなで食べるお食事などを指して「お清め」と言ってますが、浄土真宗にお清めという儀式はありません。塩、酒、水、等で清めるのは神道の習慣。仏教、浄土真宗は死者に会っても汚れたと思いませんので清めません。本当に汚れているのは私たちの方じゃありませんか。私たちが仏様に出会って清らかな世界を教えて頂くのではありませんか。
おくるまだい【お車代】
お坊さんにご法事などで来ていただいたときにお布施とは別に差し上げるお金。来て頂いた労に対する御礼という意味合いが強い。これで自動車を買って下さいという意味ではなさそう。それに自動車が買えるほどお車代をいただいたこともない。
おしゃかさま【お釈迦さま】→しゃか
おとき【お斎】
報恩講の時に出る食事を主に言うようだが、法事の後に出る食事のことをみんなお斎と言う。
おぶっぱん【御仏飯】
お仏壇の仏様に上げるご飯。朝炊きたてのを上げるのが普通。朝パン食のお家が増えたので、パンを上げてもよいかというお尋ねがあるが、パンを無理矢理御仏飯のようにしてあげなくてもいい。パンは買ってきたとき、焼き上がったときにお供えしてから頂けばいい。御仏飯はあくまでご飯を上げる作法なので朝ではなくてもご飯を炊いた時に上げるようにしたい。私たちが頂く前に仏様に崇敬の念をもって差し上げ、そのお下がりを頂くという気持ちが大切。
おぼん【お盆】→うらぼんえ
おんどくさん【恩徳讃】
親鸞聖人の書かれた「正像末和讃」にある一首。「如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし 師主知識の恩徳も ほねをくだきても謝すべし」というもの。正信偈和讃のお経で読むこともあるが、お言葉に曲をつけた「恩徳讃」という歌で歌うことが多い。新譜と旧譜がある。親鸞聖人にしては珍しい命令形の和讃。
かいそ【開祖】→しんらんしょうにん
かいみょう【戒名】
本当は受戒した人がもらう名前。ほとんどの方が法名と戒名の別がわからない。「浄土真宗では戒律がないので、戒名とは言わず、法名といいます」と何遍言っても覚えてくれない。あ〜
ががく【雅楽】
笙(しょう)篳篥(ひちりき)笛(ふえ)の管楽器と、琴、琵琶の弦楽器と、鞨鼓(かっこ)太鼓(たいこ)鉦鼓(しょうこ)の打楽器で演奏される音楽。雅楽というと神社を連想されるが、寺院の法要でも用いられその歴史も長い。京都の本山、東京の築地本願寺等では頻繁に用いられる。正法寺住職は築地本願寺雅楽会に所属し笛を担当し、海外公演にも出ている。
かくれねんぶつ【かくれ念仏】
鹿児島に、親鸞聖人を開祖とする浄土真宗が伝わったのは、室町時代中期1505年ごろと言われています。ここから日本の歴史でも他に類を見ない、約300年の長きにわたる薩摩浄土真宗への過酷な弾圧の歴史は始まります。詳しくは鹿児島別院のページでどうぞ
かげぜん【陰膳】
経験的に法事の後の食事で、故人の写真の前にお供えするお膳を「陰膳」と言っているようです。もちろん浄土真宗の作法にはありません。よく見ていると、気の利いた(物事がわかっていない)仲居さんが「陰膳どうしますか」なんて聞いてくる。うっかりお供えすると、最後は誰も食べなくて捨てることになる。仏様は人間と同じものは食べません。みんなでお参りしてお念仏を称え、御礼申し上げることが仏様にとっては最高のご馳走です。
かこちょう【過去帳】
先祖代々の法名を書き記した帳面。仏壇の中に置いておく。家庭用は日めくりになっているので毎日カレンダーのようにめくっていくと、今日は誰の命日かというのが一目瞭然というすぐれもの。浄土真宗は位牌を使わず、過去帳に法名を記すのが約束です。
がっき【月忌】
月の命日。例えば3月5日が命日だとすると、毎月15日が毎月の命日、月忌ということになります。月忌参りというのがあります。毎月月命日にお坊さんに来ていただいてお経をあげていただくというもの。関西方面では「お逮夜参り」といって月命日の前日にお坊さんに来ていただく。お寺に申し込めば月忌参りに毎月来てくださいます。正法寺もご門徒さんの月忌参りをさせていただいています。
がっしょう【合掌】
胸の前で両の手のひらをあわせること。浄土真宗では仏さまをお参りするときに合掌をするが、元々は礼法なので他宗や東南アジアの仏教国では挨拶のとき合掌する。また、無理なお願い事をするときにも用いることもある。有名仏壇店のCMで合掌のことを「しわとしわを合わせて幸せ〜」なんて言っているが、複雑怪奇な文様をしているしわとしわなんて合うはずがない。浄土真宗の合掌のスタイルは正式には「堅実心合掌」(指、掌をそろえて合せる合掌)と言う。このほか11種類の合掌のスタイルが有るが説明は省略。
かままえ【窯前】
火葬場の火葬する窯の前のこと。葬儀業界用語として火葬場の窯の前の勤行(火屋勤行)のことをさす。使われ方として葬儀社からこういう電話がかかってくる「お忙しいとは存じますが、おうちのご事情があって葬儀はされないで、窯前だけのお勤めなんですがお願いできますか」。
がんたんえ【元旦会】
年の初めに当たって今年も阿弥陀如来のご恩を喜びながら、念仏生活の第一歩を力強く踏み出してゆこうと自覚を新たにする法要。
ききょうしき【帰敬式】
浄土真宗の門徒さんが、阿弥陀如来・親鸞聖人の御前で浄土真宗の門徒としての自覚をあらたにし、お念仏申す日暮を送ることを誓う、私たちにとって最も大切な儀式。御門主又はそれに代わるかたが、剃髪用のかみそりを頭に3回当てる。髪の毛は剃りません。まねだけ。この式を受け、仏弟子となった方にご門主さまより「法名」が授与されます。これによって社会通途の「俗名」と仏教徒、仏弟子としての名前「法名」の二つを持つことになります。おかみそりは京都のご本山では基本的に毎日、東京の築地本願寺では毎年11月15日と16日に行われます。 帰敬式を受式し、共にお念仏を喜ぶ人生を歩みましょう。
きょうぎょうしんしょう【教行信証】
正式には「顕浄土真実教行証文類」という。親鸞聖人の主著。浄土真宗の教えの体系が書いてある超大作。この本の草稿を書き上げた年(1224、親鸞聖人52歳)を、浄土真宗の始まりの年(立教開宗)とする。正信偈はこの中にある。
きよめじお【清め塩】
お葬式の会葬礼状に「清め塩」と書かれた小袋が入っています。死者に会ったりやお葬式に参列して穢れたので、塩で清めましょうという習慣です。だいたい塩、水、酒で清めると言う考え方は神道の習慣で、仏教には関係ありません。そして、昨日まで寝食を共にし、泣きながら別れた方を一夜明けたら穢れたものとして扱うなんてなんてひどいことでしょう。亡くなられた方は成仏され、これから穢れた私たちを導いてくださる仏様です。ですから浄土真宗では清め塩を使いません。そのわけは別ページでどうぞ

くまらじゅう【鳩摩羅什】
玄奘三蔵より200年前にインドから経典を中国に持ち帰った。梵語(サンスクリット語)の経典を中国人にわかりやすい中国語に訳した訳僧。色即是空・空即是色、地獄、極楽という言葉も鳩摩羅什が訳した。

鳩摩羅什(344−413)。紀元4世紀頃、中国北西部、タリム盆地(タクマラカン砂漠)のオアシス都市、キジ国(クチャ)で生まれ、彼の父はインドの人、鳩摩羅炎(クマラエン)で、母は亀茲国(キジ国=クチャ)王の妹耆婆伽(ジバカ)である。7歳で出家し、9歳で母とともにけい賓(ケイヒン=現在のカシミールかガンダーラ)に赴いて王弟の槃頭達多に小乗を学んでいたが、莎車(サシャ=現在の中国新疆ウイグル自治区カシュガル地区ヤルカンド県)の国から修業に来ていた王子の須利耶蘇摩(スリヤソマ)に出会う。須利耶蘇摩(スリヤソマ)王子は大乗仏教を修業していた。大乗仏教は今まで学んできた、最上と思っていた小乗仏教とはまるで世界観が違っていた。鳩摩羅什はたちまち大乗仏教の修業に没頭した。その転向が、やがて中国、日本の仏教に「根本的な影響」を及ぼすことになった。鳩摩羅什は、その他諸師にも学び、亀茲(キジ)に帰って大乗の研究と宣揚につくし,若くしてその名声は西域諸国は勿論,漢土にまで及んだ。
 前秦の苻堅(ふけん=前秦の第3代皇帝)は道安から鳩摩羅什の高名を聞き,呂光に兵をあたえて亀茲・焉耆(エンギ)等の諸国に伐たしめ,呂光は亀茲の王族を滅ぼし鳩摩羅什をとらえて帰ろうとしたが,途中長安の前秦が滅亡したことを知り,姑蔵(現在の甘粛省武威市)に割拠して後涼国を建てた。このため鳩摩羅什はここにとどまること(幽閉)16年に及んだ。

 後秦第二代の姚興は後涼を討伐し鳩摩羅什を長安(現在の西安)に招致した。時に弘始3年(401)12月,彼は58歳であった、姚興は彼を国師の礼をもって迎え,西明閣と逍遙園を与えここを翻訳の道場とした,後には彼のために長安大寺を建立してここも彼の経典翻訳の道場とした,鳩摩羅什が長安に来た報は直ちに各地に伝わり学殖を慕って長安に集まる人材多く,これらの人々もまた訳場に列なり,彼の訳場はそのまま講演の場でもあった。鳩摩羅什の胡漢にわたる語学力並びに仏教教学についての造形は,旧来訳出された経典の誤訳を指滴し改訂したとともに,その訳語が最も適切かつ流暢にして正確で古い訳し方を脱して,中国人にも容易に理解し得るものとなった。『梵綱経』訳出に三千人、『大品般若経』では,鳩摩羅什が梵本を持ち拍ち姚興自ら旧経をとり、五百人が訳場に列したといわれ,『維摩経』では千二百人、『法華経』『思益梵天所問経』では各二千人が翻訳事業に参画したといわれる。

 こうして彼は長安にあって訳業に従事すること十二年,弘始15年(413)4月70歳をもって長安大寺に寂した。その間、訳出された経典は74部384巻に及び、注目されるべさものとして般若・法華・,維摩・弥陀などの諸大大乗経や,『中論』『百論』『十二門論』『大智度論』『十住毘婆沙論』『成実論』などがかぞえられる。ことに大乗論部はこの時はじめて中国に伝来し,のちにこれを元として三論・成実などの学派がおこった。また天台・禅・浄土なとの抬頭も,その根本には彼の訳業が貢献している。彼の門下は三千を数え,八十の達者ありといわれた。

【鳩摩羅什の功績】
@玄奘三蔵より200年前にインドから経典を中国に持ち帰った。梵語(サンスクリット語)の経典を中国人にわかりやすい中国語に訳した訳僧。色即是空・空即是色、地獄、極楽という言葉も鳩摩羅什が訳した。
A鳩摩羅什の外国語(サンスクリット語)中国語の語学力並びに仏教教学についての造形は,旧来訳出された経典の誤訳を指滴し改訂したとともに,その訳語が最も適切かつ流暢にして正確で古い訳し方を脱して,中国人にも容易に理解し得るものとなった。
鳩摩羅什の優れた訳経のおかげで大乗仏教は東アジアに広まり、それはやがて遥か東の日本にも伝来する。現代の日本でも鳩摩羅什が訳した経典が使われ続けていることからわかるように、彼が本格的に大乗仏教を東方に伝えた功績はまことに大きい。
B鳩摩羅什は長安でサンスクリット語の経典を漢訳すること十二年,弘始15年(413)4月70歳をもって長安大寺に寂した。その間、訳出された経典は74部384巻に及び、注目されるべさものとして般若・法華・維摩・弥陀などの諸大大乗経や,『中論』『百論』『十二門論』『大智度論』『十住毘婆沙論』『成実論』などがかぞえられる。ことに大乗はこの時はじめて中国に伝来し,のちにこれを元として三論・成実などの学派がおこった。また天台・禅・浄土なとの抬頭もその根本には彼の翻訳が貢献している。
くもつ【供物】
おそなえ。仏さまに近い方から、餅、菓子、果物、その他の順。だいたい食べ物を供える。生ものや酒は避ける。浄土真宗の阿弥陀さまは沢山のお供えをしたからといって何か良いことを起こす事はない。「ご覧下さいお陰様でこんなに良いものが手に入りました。」というお敬いの気持ちで供えるのが基本。
くよう【供養】
一般には、供養は我々がするもので、供養されるのは仏さまと言う考えが多い。浄土真宗は逆。供養されるのは私。供養してくださるのは阿弥陀仏。愚かな考えしか持たない凡人が、どうやって仏さまを供養することが出来るのでしょうか。私たちは仏さまからいただくものばかりです。差し上げられる者なんかありません。ただただ「南無阿弥陀仏」とお礼申し上げるばかりです。
くり【庫裡】
本来は寺の台所や庫院のことをさす。しかし昨今は本堂と同じ敷地内にある、住職やその家族の住居部分の建物をさすことが多い。
くろだに【黒谷】

けさ【袈裟】
浄土真宗本願寺派では大きく分けて「輪袈裟」「五条袈裟」「七条袈裟」の3種類があります。また「五条袈裟」の中にお朝のお勤めなどに用いる「小五条」と一般法要に用いる「大五条」に分けられます。帰敬式の時に用いる「三緒袈裟」というものもあります。「袈裟」は釈迦が在世していたこの時代、インドはバラモン教やジャイナ教などの各宗教が百花繚乱の活動をしていた中、仏教独自の個性を保つための一手段として、釈迦が僧伽(サンガ)に属している者の衣服として許可したのが三衣(さんね=ティシィワラ)でした。三衣には王宮に入るときや托鉢をするときに着る上衣、日常の礼拝や誦経などのときに上半身にまとう中衣、僧院の作務の際に腰から下に着ける下衣の3つがありました。これらのうち上衣が現在の袈裟の原形になったと考えられます。
げじん【外陣】
御本尊の安置されている内陣に対するところで、お寺の本堂の参拝席をいう。浄土真宗のお寺は一人でも多くの門信徒がお参りできるように、内陣より外陣の方が広い。修行に重きを置いている宗派の本堂は内陣(お坊さんの修行するところ)の方がはるかに広かったり、内陣だけで外陣がない本堂がよくある。浄土真宗の本堂は「参拝道場」であって、「修行道場」ではない。
けっこんしき【結婚式】
神社、キリスト教会、ホテルの仮式場、人前など結婚式の場所は様々ですが、人生の節目の儀式は自分の生き方の中心となる考え方(宗教)、頼りにしているお方の前で誓い、報告するのが一番です。仏教徒は仏前結婚式をあげましょう。正法寺でも結婚式を挙げられますが、築地本願寺の本堂で挙げるのはとても荘厳です。
けんぱい【献杯】
誰が始めたのか知らないが、法事やお葬式の後のお斎(お食事)が始まる前に、乾杯の発声に代わる儀式(?)。献杯の発声をする人が一通りの挨拶が終わって、「献杯!」と言っても誰も唱和しない。まったく奇妙なもの。こんなことやらなくていい。食事の前にどなたかが故人を偲び、仏恩に感謝する挨拶をされて「それではいただきます」と言えばよい。気の利いた(?)葬儀社か仏事のことをなんにも知らないマナーの先生が発案したことだと思う。世間的にはよしとされるかもしれないが、浄土真宗的にはどういう意味なの全くかわからない。
ごうたんえ【降誕会】
浄土真宗で言うと、親鸞聖人のお誕生をお祝いする法要。仏教界ではお釈迦さまのお誕生を「降誕」と言うことがある。読んで字の如く、この世に降りてお誕生下さったというお敬いの気持ちで、尊い親鸞聖人のお誕生をお祝いし、その教えを聴聞させていただく法要。本山や別院は5月21日。一般寺院はその近辺の日程で勤めるが、降誕会をお勤めする御寺院は少ない。
こうみょうむりょう【光明無量】
はかりきれないひかり。
ごえいどう【ご影堂】
京都のご本山の向かって左側の大きい方のお堂のこと。親鸞聖人のお木像、(御真影ーごしんねい)が安置されている。現在修理中で入れないが、親鸞聖人のお木像はとなりの阿弥陀堂(本堂)に遷されているのでそちらでお参りできる。
ごかいさん【ご開山】→しんらんしょうにん
ごぎゃく【五逆】五種の重罪のこと。五逆罪。小乗の五逆→@殺父−父を殺すことA殺母−母を殺すことB殺阿羅漢−阿羅漢(聖者)を殺すことC出仏身血−仏の身体を傷つけて出血させることD破和合僧−教団の和合一致を破壊し分列させること。大乗の五逆→@塔寺を破壊し、経蔵を焼き三宝の財宝を盗むこと。A声聞、縁覚、大乗の教えをそしることB出家者の修行を妨げ、あるいは殺すこと。C小乗の五逆。D因果の道理を信ぜず、十の不善の行いをすること。
ごきゅうせき【ご旧跡】
浄土真宗では親鸞聖人が留まられたお寺、京都に帰るとき見送りの性信房らと分かれた箱根など、縁のあるお寺や場所のこと。インドのお釈迦さまに縁のある場所はご旧跡とは言わず、仏跡(ぶっせき)という。住職どうしの会話でご旧跡というと、まれに昔よく飲みに行ったお店をさすことがある。京都のご本山にお参りすると夜、祇園界隈のご旧跡を回られるご住職がいる。
ごくらくじょうど【極楽浄土】
阿弥陀仏の居所である浄土。西方十万億土を経た所にあり、阿弥陀仏が常に説法している。阿弥陀仏の教えを信じ念仏するものはここに生れることが現生にて約束される。六道輪廻の迷いの世界から解脱したところにある。
ごこう【五劫】
「じゅげむじゅげむごこうのすりきれ」の五劫。「劫」とは時間を計る単位。「五劫」とは阿弥陀仏になる前の法蔵菩薩が48の願い(誓い)をたてるのに考えた時間。正信偈には「五劫思惟之摂受」と、御文章には「五劫があひだこれを思惟し、永劫があひだこれを修行して、」と、歎異抄には「「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり。」とある。一劫とは40里四方のお城の中一面にけし粒を一面に敷き詰め、100年に一粒づつ取り出していき、お城からけし粒が無くなるまでの時間をしても一劫に達しない。または、40里四方の岩山に100年に一度天女が舞い降り、その羽衣で岩山を1回なでて、岩山がすり切れるまでの時間をしても一劫に達しない、とたとえられる。「とても長い時間」と訳す。
ごぶんしょう【御文章】
浄土真宗の大谷派(お東)では「お文」という。本願寺第8代、蓮如上人が全国のお集まりのあるお寺や講中に出したダイレクトメール。内容は浄土真宗信心の要を示したもの、日頃のお参りのしかたを注意したもの等沢山ある。後のものが全国にあった御文章を5帖80通にまとめ、法事の後などで読むようにした。御文章に書かれた言葉は蓮如上人のお言葉なので、聞くときは頭を少し下げて拝聴する。有名なのは「聖人一流の章」 
こんし【懇志】
広辞苑には、「親切にゆきとどいた志。親しくつき合おうとする気持。」とあります。お寺で言う「懇志」とは、お寺にお納めするお金のことです。お寺にお納めするお金は、広い意味で言うとすべて「お布施」ですが、雑な分類をすると、門信徒の皆様が主宰する年回法要、お葬儀などの法要を勤めてくださったお礼に差し上げるお金が「お布施」で、門信徒の皆様が主宰しないお寺の法要、行事などに参拝、参加するときに差し上げるお金が「懇志」です。
具体的には、お寺が主宰する「彼岸会」「お盆」「永代経」「報恩講」「法話会」などの時に「お気持ち」としてお寺に差し上げるお金がそれに当たります。また、お墓参りに行ったときにお包みするお金もそれに当たります。お寺によっては、お彼岸、お盆、報恩講、永代経などの時、「ご懇志」をお願いする事がありますが、義務でも強制でもありませんので、金額やその有無は門信徒の皆様のお気持ち次第で結構です。また、会話の中で、お寺にお納めする金額を問うたとき、「ご懇志で結構です」と言われたら、「金額はご自由にしてください」と言うことです。
ざいにん【罪人】
さがりふじ【下がり藤】
西本願寺の紋章。お袈裟、お寺の門、色々な道具についている。この紋のついたものを持っていたり、着ていたら、西本願寺(お西)の人。
さんがんてんにゅう【三願転入】
さんぶきょう【三部経】
→じょうどさんぶきょう
さんぶつげ【讃仏偈】
仏説無量寿経・上巻にある「偈文」。阿弥陀仏になる前の法蔵菩薩が世自在王仏の前で世自在王仏を讃え、自らの信念と願いをのべた偈文(歌)。称えはじめは、光顔巍巍(こうげんぎぎ)。 
しきちゅうしょなのか【式中初七日】
お葬式の時、葬儀のお勤めに引き続き初七日のお勤めもあげてしまうこと。1時間くらいで葬儀、初七日まで終わってしまう。東京ではただでさえ葬儀の当日に(火葬が終わってから)くりあげ初七日をするのにもっと繰り上げて式中にするとはあんまりである。借りている葬儀会場の時間的なこと、葬儀社本意の会場の回転のこと(式中に初七日を済ませると、すぐに別のお通夜の準備にかかれて、当日お通夜ができる)。式中初七日は出来るだけさけたい。
しきみ【樒】
お仏壇の上卓(うわじょく)の華瓶(けびょう)にさす香木。華瓶に入った水が腐らないように香木を差している。浄土真宗ではお水をお仏壇に上げないというが、本当は華瓶に水が入っている。
しくはっく【四苦八苦】
しじゅうくにち【四十九日】

しじゅうはちがん【四十八願】
阿弥陀仏になる前の法蔵菩薩が、仏になるために起こした48の願い(誓い)。この願いが叶わなければ私は仏になりませんと誓い修行された。その中心は18番目の願い(第18願)。いま、阿弥陀仏がおられるということは、法蔵菩薩が48の願いを叶えられたといこと。
しちこうそう【七高僧】
浄土真宗のお寺の本堂の左余間にかかっている掛け軸に描かれている7人のお坊さんが七高僧。釈尊から自分に至るまで、阿弥陀如来の教えを伝えてきた人々の中から、親鸞聖人が選ばれた七人のお坊さん。三国伝来の七高僧とも言う。 七高僧選定の理由は@弥陀の本願を敬信し、浄土往生を願った。A弥陀の教えについて書を著し弘めた。B弥陀の教えについて勝れた解釈をした。という条件を満たしたもの。七高僧とは@龍樹菩薩(インド)、A天親菩薩(インド)、B曇鸞大師(中国)、C道綽禅師(中国)、D善導大師(中国)、E源信和尚(日本)、F源空(法然)上人(日本)の7人。
じひ【慈悲】
しゃか【釈迦】
実在の人物でただ一人、悟りを開いた人。仏になったお方。今まで誰も語らなかった仏教を初めて人間の言葉で説かれたお方。釈迦は色々な立場やお人に会わせて法を説いたので、八万四千のお経を説いたと言われ、どのお経を根本にするかで宗派ができた。釈迦の著作は一切ない。お経は釈迦の弟子たちが釈迦の没後、「私はこのように聞いた」と一句ずつ確かめ合って編纂したもの。その伝記については、長くなるので省略。
しゃくそん【釈尊】釈迦牟尼世尊の略。→しゃか
じゅうあく【十悪】身・口・意の三業の中で特に著しく悪い十種の行為。@殺生(せっしょう)−生き物を殺すこと。A邪淫(じゃいん)−よこしまでみだらなつきあいをすること。B綺語(きご)−真実と離れた飾り立てた言葉。C悪口(あっく)−陰口・悪口。D瞋恚(しんに)−自分の心に逆らうものを怒り、恨む事。E偸盗(ちゅうとう)−人のものを盗むこと。F妄語(もうご)−嘘。G両舌(りょうぜつ)−両方の人に対して違ったことを言い、両者を仲たがいさせ争わせること。二枚舌。H貪欲(とんよく)−非常に欲が深いこと。I愚痴(ぐち)−言っても仕方のないことを言って嘆くこと。このうち、前3つが身業、中4つが口業、後3つが意業。そして、これを離れることが十善。
じゅうせいげ【重誓偈】
仏説無量寿経・上巻、四十八願の後にある偈文。法蔵菩薩が四十八願を述べた後その要旨をまとめた偈文(歌)。四十八願の後、重ねてその要旨を誓われたので「重誓偈」という。称え初めは我建超世願(がごんちょうせいがん)。
じゅうぜん【十善】身・口・意の三業の中で特に著しい十種の善い行為のこと。@不殺生(ふせっしょう)。A不偸盗(ふちゅうとう)B不邪婬(ふじゃいん)。C不妄語(ふもうご)D不両舌(ふりょうぜつ)D不悪口(ふあっく)。E不綺語(ふきご)F不貪欲(ふとんよく)G不瞋恚(ふしんに)I不邪見(ふじゃけん)
しゅうそ【宗祖】→しんらんしょうにん。
他宗ではおのおのの開宗したお坊さんのことをさすが、浄土真宗では親鸞聖人のこと。
じゅうしょく【住職】
住持職の略、 お寺の長である僧。住職はお寺に一人。お坊さんのことをすべて住職と呼ぶ方があるが、そのお坊さんが副住職であったり、お寺に勤めているお坊さんのこともあるので注意したい。社長でない社員に社長とよぶようなもの。住職は宗教法人として代表役員を務める。
しゅしょうえ【修正会】
元旦のことであります。本願寺では蓮如上人の頃から修正会を行うようになりました。“1年の計は元旦にあり”ということわざがありますが、年の始めに当って、今年もみ仏のご恩を喜びながら、念仏生活の第一歩を力強く踏み出してゆこうと自覚を新たにする法会(ほうえ)であります。
じゅず【珠数】
→ねんじゅ
じゅみょうむりょう【寿命無量】
はかりしれないいのち
しょうこう【焼香】
仏様をお参りするときに行う作法。香木を細かくして、炭の火にくべる。いい匂いが辺り一面にただよう。仏様の道場を香りで飾る。たとえ影にいて見えなくても、その影でも香りは届く。どんなところでも仏様の働きは届くというあらわれ。
しょうじょうじゅ【正定聚】
阿弥陀如来の救済、はたらきを知り、必ず仏の国に生まれさせていただくとの信心が定まった人々のことをいう。
じょうじゅ【成就】
完成ということ。「願いが成就した」などと使う。
しょうしんげ【正信偈】
正式には「正信念仏偈」という。親鸞聖人の著された教行信証の行巻にある偈文(讃歌)。教行信証は浄土真宗の根本聖典で、正信偈はその教行信証を要約したもの。したがって正信偈は浄土真宗の教えの大綱を要約した大切なお経。本願寺第8代の蓮如上人が和讃を添えて刊行され、日常勤行に使われるようになった。「正信偈6首引き」という正信偈と和讃6つをお勤めする作法は30分くらいかかる。(浄土真宗他派では蓮如上人時代より前から正信偈を勤行用いていたそうだ)
しょうつき【祥月】
毎年の命日。例えば3月5日が命日だとすると、毎年3月5日が祥月の命日ということになります。特に年回法要に当たらない年の命日をいうことが多い。命日は仏さまとして生まれた誕生日です。我々に毎年誕生日が来るように、仏さまにも毎年誕生日が来ます。お祝い(お参り)しましょう。
じょうど【浄土】
阿弥陀如来がいらっしゃる極楽浄土のこと。極楽浄土は、地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人、天の苦しみ迷いの世界である六道輪廻から解脱したところにある。よく言う「天国」苦しみの世界の一番良いところなのでとても楽しく安楽な感じがするが、所詮苦しみ迷いの最高峰なのでそこに止まることなく、また落ちる。浄土に往生すると言うことは、六道輪廻から解脱しもう後戻りしないさとりの世界に住すことを言う。
じょうどうえ【成道会】
成道とは、釈尊が菩提樹(ぼだいじゅ)の下に端座して、一切の迷いを断ちきっで悟りを開かれたことで、釈尊が仏陀となられた日であります。それは、釈尊が35歳の12月8日の晩であったとのことです。釈尊が仏陀となられたということは、我々が仏さまのみ教えを聞き、仏さまになれる道が開かれたということです。12月8日のお釈迦さまがおさとりを開かれた成道の日にちなんでお勤めする法要です。
しょうとくたいし【聖徳太子】
日本に仏教を定着させた第一の功労者。親鸞聖人は太子を「和国の教主」という呼び名でたたえておられますが、教主とは釈尊のことですから「日本のお釈迦さま」という意味の、最大級の敬称です。聖徳太子は、内政、外交、文化と、多方面にわたって功績をのこされた日本文化の父ですが、そうした大きな業績は、つねに仏教精神の基盤の上に築かれていきました。太子は、重要な政治問題の判断を迫られたときとか、裁判にのぞむまえには、経典をひもといて瞑想され、仏心をもってこれらのことにあたられたと伝えられております。当時、一般の仏教の理解のしかたは、仏を異国の珍しい神としてまつるか、あるいは凶作や疫病をとりのぞく呪術としてうけとられるような状態でした。そのなかで、教えによる自覚を通して生きる姿勢を決めるという、太子の仏教に対する理解はさすがにすばらしいものでした。
じょうどしんしゅう【浄土真宗】
親鸞聖人が開かれた往生浄土の真実の教えを「浄土真宗」といいます。浄土真宗は私たちの宗派の正式名称です。本願寺派には全国に1万余の寺院があり、1千万人の門信徒がいます。
じょうどさんぶきょう【浄土三部経】
親鸞聖人が最も大切にされたお釈迦さまが説かれた「仏説無量寿経」「仏説観無量寿経」「仏説阿弥陀経」の3つの経典のこと。浄土真宗の根本のお経。
しょうぼう【正法】
釈尊滅後の時代を正法・像法・末法の三つに分けた内の一つ。正法・像法・末法については末法思想の欄で。
正法寺の寺号(名前)。解説は別ページで
しょうみょう【称名】
じょうれいふきょう【常例布教】
毎月決まった日、決まった場所で常に行われる布教のこと。
しょうれんいん【青蓮院】
親鸞聖人が9歳の時、お坊さんになったお寺。(得度式を受けたお寺)。京都東山の知恩院の隣にある天台宗のお寺。親鸞聖人のことが青蓮院のページにのっています。
しょうろうびょうし【生老病死】
「四苦八苦(しくはっく)」の四苦。老いてゆく苦しみ、病んでゆく苦しみ、死んでゆく苦しみ、そしてこの3つの苦しみのおおもとには生きている苦しみがある、という4つの苦しみ。お釈迦さまはこの四苦を解決するために出家し道を求め、修行し、悟りを開いた。
しょさんしき【初参式】
子供が産まれて初めてお参りする儀式。子供生まれた慶びと感謝を阿弥陀さまに報告する。阿弥陀さまを中心とした生活する第一回目。仏教徒はお寺で初参式をいたしいましょう。くれぐれも神社に行って初宮参りをしないように。あなたは何教徒ですか? 宗教をもっと厳粛にまじめにとらえましょう。人生の大事な儀式まで流行や世間体で考えていませんか?
しょなのか【初七日】
じょやのかね【除夜の鐘】
大晦日につかれる梵鐘のこと。世間では108つの煩悩を払うため108つくと言われているが、浄土真宗では煩悩を断ぜずして涅槃を獲る(不断煩悩得涅槃)の教えのため、108つにこだわらない。どちらかというと、正月のお参りにみんなおいでという集会鐘(集会鐘)である。だから平気で200も300つく浄土真宗寺院がある。
じりき【自力】
他力に対するもの。自分の力。自分の考え。自分の計らいごと。親鸞聖人はすべてあてにならず、うつりかわるものとして自力を棄て、他力(阿弥陀如来の力)に帰した
しんじつごがん【真実五願】
仏説無量寿経巻上の法蔵菩薩の48願の内、第11願(必至滅度の願)、第12願(光明無量の願)、第13願(寿命無量の願)、第17願(諸仏称名の願)、第18願(至心信楽の願)の5つをさす。
しんじん【信心】
阿弥陀如来のお慈悲を信じて、疑わない心を信心という。この信心は阿弥陀如来から与えられるもので、決して私の努力の結果得られるものではありません。
しんじんけつじょう【信心決定】
しんじんしょういんしょうみょうほうおん【信心正因称名報恩】
浄土真宗の教えの基本。阿弥陀さまを信ずる心が極楽浄土にうまれるまことの因、その上で称えるお念仏は報恩(お礼)である、ということ。
しんと【信徒】
→もんと(門徒)を見てください。
しんらんしょうにん【親鸞聖人】
浄土真宗の宗祖。法話では布教使によって「宗祖」「ご開山」「聖人」などと親鸞聖人の呼び方が違うので混乱しないように。皆、親鸞聖人のことをさす言葉。
 
せいかつしんじょう【生活信条】
浄土真宗を信ずるものの、生活する上での心がけを短い文章で表したもの。お経の後などにみんなで称える
せいざ【正座】
しびれる。正座をする歴史はそんなに古くない。時代劇や昔の人物画でも正座をしているのは女性だけ。最近のお寺ではどんどんいす席になっている。しかし、正座して仏様が美しく見えるように造られている本堂はなかなかバランスがとりにくい
せいじんしき【成人式】
お寺の阿弥陀さまに成人の慶びと決意を報告しましょう。人生の節目を阿弥陀さまと一緒に過ごしましょう。タレントや有名人の講演を聞くよりも、阿弥陀さまの教えを聞きましょう。こっちの方が確かです。それからみんなでパーっとお祝いしましょう。
ぜいむちょうさ【税務調査】
税務署が公益法人である宗教法人(お寺)が行っている収益事業とお寺が住職などに払っている給料の源泉所得税がきちんと納められているか調べにお寺に来ること。いただいたお布施を住職が懐に入れた隠し預金などが見つかると、住職の所得とみなされ、過少申告加算税、無申告加算税、重加算税などがどばっと追徴される。大きな物が見つからないと税務署員は手ぶらで帰れないので、細かいことまでつっこんで課税しようとする。お寺で買った車にオプションで付けたCDプレーヤーを贅沢品とし、住職の所得と見なし源泉課税しようとした税務署員もいた。税務調査が好きな住職はいません。
せじざいおうぶつ【世自在王仏】
阿弥陀仏の師仏(お師匠さん)。阿弥陀仏は出家前の王様だった時、世自在王仏の教えを聞き「私も世自在王仏のようになって世の人々をすくい取りたい」と誓って出家し法蔵菩薩となった。修行中の法蔵菩薩のころは、諸仏の国土を見せてもらったり、修行の目標(48の誓い)を聞いてもらったり、修行の方法を教えてもらったり、とてもお世話になった仏様。
せそん【世尊】釈迦牟尼世尊の略。→しゃか
せっしゅふしゃ【摂取不捨】
おさめとってすてたまわず、という阿弥陀仏のモットー。「おさめとって」ということは自分が変わらなくてよい、このままの自分でということ、「すてたまわず」とは決して見放さないということ。
せんこう【線香】
香木を刻んだ焼香をいちいち焚くのがめんどくさかったから、棒状に固めてしまったもの。いつの時代にも横着者はいるもの。
ぜんこうじ【善光寺】
長野市にあるどの宗派にも属さないお寺。親鸞聖人は越後流罪時代に善光寺の念仏聖と交流があったといわれその関係からか、越後から関東におもむくとき100日間善光寺に留まったとされる。善光寺の本堂には親鸞聖人がお参りに来るときいつも松を持ってきたことにちなんで今でも松「親鸞聖人お花松」が本堂の外陣に生けてある。境内には松を持った親鸞聖人像などがある。また仁王門の前にある親鸞聖人が泊まったお寺にはそのいわれが書かれた説明板がある。有名な笹葉の名号もこのお寺にある。
そうぎ【葬儀】
ぞうぎょう【雑行】
雑行の反対語が正行。雑行とは阿弥陀仏や浄土真宗に関係のないことをすること。正行はその反対でそれに関係のあることをすること。領解文では「もろもろの雑行雑修自力のこころをふりすてて」と、蓮如上人の御文章では「もろもろの雑行のこころをやめて」とか「もろもろの雑行をすてて」などと記されているので、「雑行」ばかりが有名になっている。「雑行(雑行・雑修・自力)」は捨てるもの、いらないものです。いるものは「正行・専修・他力」です。
そうしき【葬式】
そんごう【尊号】
だいじゅうはちがん【第十八願】
仏説無量寿経にある、法蔵菩薩が阿弥陀仏になるために立てた48個の願いの中の18番目の願い。阿弥陀さまの救いの中心となるもの。現代文役訳は以下の通り
「わたしが仏になるとき、すべての人々が心から信じて、わたしの国に生れたいと願い、わずか十回でも念仏して、もし生れることができないようなら、わたしは決してさとりを開きません。ただし、五逆の罪を犯したり、仏の教えを謗るものだけは除かれます」
たりき【他力】
自力に対するもの。阿弥陀如来が私たちを救済するはたらきのこと。他人の力ではありません。
たりきほんがん【他力本願】
世間では、「他人の力をあてにすること」「他人が勝手に滅びていって、自分に有利になるように願うこと」というような意味で使われるが、これは浄土真宗の言葉で「阿弥陀さまの力をたよりにする」ということ。
だんか【檀家】
たんじょういん【誕生院】
→ひのたんじょういん【日野誕生院】
たんにしょう【歎異抄】
親鸞聖人の教えを直接受けた唯円房が、聖人在世の頃からあった、真実の信心と異なった誤った考えを悲歎し、同じ念仏の道を歩む人々の不審を除くために著した本。こういう問題が起きたときには、聖人はこう言ったという文体になっている。聖人が亡くなってから実に25年の後に著した本である。唯円房はよく25年もの間聖人のおおせを覚えていたものだ。歎異抄には著者の署名がないので著者の確定が出来ないところだが、一般的に唯円房の著とされている。またこの唯円房は二十四輩の唯円房とは同名の別人とされている。
ちえ【智慧】
@私の長女の名前
ちゅういん【中陰】
つきじべついん【築地別院】
東京都中央区築地3−15−1にある西本願寺の別院。関東1都8県(東京、神奈川、埼玉、千葉、茨城、栃木、群馬、山梨、静岡)の西本願寺のお寺430ヶ寺を管轄する。本堂には約600人座れる。宿泊、コーヒーラウンジ、和食の店もある。昼食時は周辺のビジネスマンでいっぱいになる。結婚式、成人式、帰敬式も行っている。建物は昭和10年の完成。シルクロード探検で有名な大谷光瑞氏の発案で、伊東忠太博士の設計。インド風の大建造物。関東の浄土真宗のセンターテンプル。電話03−3541−1131
(蛇足:伊東忠太博士はアーキテクチャーを建築と翻訳した先生。帝大(のちの東大)も造家学科から建築学科になった。)
つきじほんがんじ【築地本願寺】→つきじべついん
つきじほんがんじしんぽう【築地本願寺新報】
築地本願寺が発行している月刊誌。浄土真宗のフィルターを通して社会を考える記事構成。1部100円。正法寺住職は編集委員を務める。
つや【通夜】
葬儀の前夜に営むご法事。
てんごく【天国】
人が亡くなると行くところと思われているところ。浄土真宗では天国には行きません往くところは極楽浄土です。広辞苑にはこうあります「神・天使などがいて清浄なものとされる天上の理想の世界。キリスト教では信者の霊魂が永久の祝福を受ける場所をいう」。仏教には関係ない所。神道で言う「天国(あまつくに)」は高天原のこと。くれぐれも仏式のお葬式で「きっと天国で安らかにお過ごしでしょう」なんて言わないように。あなたの宗教的無知をさらけだしているようなもの(よく芸能人がTVで言っていますが)。少なくとも「きっとお浄土で・・」くらいは言っていただきたい。
どっきょう【読経】
お経を読むこと。
ないじん【内陣】
お寺の本堂の御本尊が安置してあるところ。内陣に対するところは外陣。内陣と外陣の境には、巻障子、翠簾(みす)、カーテンなどで仕切られていることが多い。ご本山は巻障子、正法寺はカーテン。
なもあみだぶつ【南無阿弥陀仏】
「なもあみだぶつ」とは、もとはインドのことばでありますが、これは全世界のすべての衆生によびかけられているみ仏のことばで、深い意味が含まれていますから、称えるときは原語のままで称えます。「南無阿弥陀仏」とは、「無限の智慧と慈悲の如来さま、あなたを信じ、たよりにします」という意味になります。 
にじゅうしはい【二十四輩】
関東時代の親鸞聖人のお弟子24人のこと。またはそれらのお弟子が開基となるお寺のこと。二十四輩参拝ツアーとかいって団体旅行がよくある。
ぬえ【鵺】
源頼政が紫宸殿上で射取ったという伝説上の怪獣。頭は猿、胴は狸、尾は蛇、手足は虎に、声はトラツグミに似ていたという。平家物語などに見え、世阿弥作の能(鬼物)にも脚色される。転じて、正体不明の人物やあいまいな態度にいう。
(「ぬ」の欄がなかったので、思いつきで「ぬえ」を入れました。親鸞聖人は正像末和讃で私たちの心の中を「こころは蛇蝎のごとくなり」と喩えられていますが、蛇蝎(へびさそり)ではなくぬえでも通じそう。)
ねはん【涅槃】
迷いの亡くなった境地のこと。
ねはんえ【涅槃会】
お釈迦さまが80歳で亡くなられた日、2月15日にお勤めする法要です。仏教をはじめてこの世に弘めてくださったお釈迦さまのお徳を偲ぶ法要です。
ねんかい【年回】
年会というと年回法要のことを言う。1周忌、3回忌、7回忌、13回忌、17回忌、23回忌、25回忌、27回忌、33回忌、35回忌、37回忌、50回忌(その後は50年おき)と続く。年回法要のいわれは中国で出来た十王経による。
ねんき【年忌】→ねんかい。
ねんじゅ【念珠】
仏様をお参りするときに使う法具。丸い玉を丸くつなぎ合わせたもの。宗派によってスタイルが違うので浄土真宗お西用を使ってください。「珠数」とも言いますが、浄土真宗では念仏のか数を数えませんので念珠と言います。いつも持っていましょう。年中持つから念珠という(?)。
むかしお釈迦さまがいらした頃、金銀財宝で身を飾った女性がお釈迦さまの教えに会い、自分の於ら傘に愚かさに気がつき、身につけていた財宝をはずし手に持ってお釈迦さまに手を合わせたという故事がある。 
ねんぶつ【念仏】
阿弥陀如来の名前を称えること。「称名念仏」を略して「念仏」といいます。阿弥陀如来のお慈悲に包まれて生き、阿弥陀如来に救われて仏の国に生まれることを喜んでお念仏しましょう。
のうこつ【納骨】
お墓に御遺骨を納めること。東京のあたりでは49日法要にあわせて納骨される方が多いが、納骨の日は決まりがない。お葬式の当日に納骨する所もある。地域の習慣による事が多い。
のうこつどう【納骨堂】
伝統的なお墓のスタイルにこだわらない、ロッカー式の納骨施設。設備によってはお墓同様永代使用できるものもある。寒冷地など気候風土の関係で野外のお墓より、室内の納骨堂の方が主流の地域がある。
はか【墓】
こういう時代にこういう人がこのように生きてなくなっていったという記念碑。この中にご先祖はいません。ご先祖は仏様になって、今私たちのまわりで生きていて、お働き下さっています。
はこね【箱根】
温泉地として有名だが、親鸞聖人御伝鈔に箱根の段がある。親鸞聖人は関東から京都へお帰りになる途中箱根を通られている。関東のお弟子と別れた場所にある碑、箱根権現にご滞在中の御自作の親鸞聖人像、箱根権現の社人に夢告をした箱根権現の本地仏である阿弥陀如来像など見所がある。
はっしょうどう【八正道】
苦悩をいかにして超えるかという仏教の根本課題を解決する方法としてお釈迦さまが説かれた八つの道のこと。@正見(しょうけん)正しい見解、A正思惟(しょうしゆい)、B正語(しょうご)正しいことば、C正業(しょうごう)正しい行為、D正命(しょうみょう)清らかな生活、E正精進(しょうしょうじん)正しい努力、F正念(しょうねん)正しい思いをもちつづけることG正定(しょうじょう)心の安定をたもつこと。
このほか、仏教の実践行として戒、定、慧の三学や、布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧の六波羅蜜が説かれ、仏道修行の規範とされてきた。
はつまいり【初参り】→しょさんしき
はなまつり【花まつり】
4月8日のお釈迦さまのお誕生日に行われるご法事。お稚児さんが出て、白いゾウを引いて、花御堂にお釈迦さまの誕生仏像を安置し甘茶をかける。お釈迦さまのご出生を祝い、今私がお釈迦さまの説かれた仏教に出会っていることを感謝するご法事。
ひえいざん【比叡山】
天台宗の本山、比叡山延暦寺。京都市の北にあり、市内から比叡山という山は見える。(建物は見えません)。番地は滋賀県大津市。親鸞聖人は9歳でお坊さんになり比叡山で修行をした。
ひがん【彼岸】
彼岸とは彼の岸ということ。お浄土、悟りの世界、阿弥陀如来の世界のこと。彼岸の反対を此岸、此の岸と言い、迷いの世界、我々の現実世界のことをさす。
ひがんえ【彼岸会】
春分の日、秋分の日を中心とした1週間勤められる法要。彼岸(彼の岸)を思い日頃の生活を省みるとともに、お浄土に生まれさせていただく身を喜ばせていただき、お寺参りをし、み教えを聴聞する法要。
ひの【日野】
「日野の里」とも言う。親鸞聖人がお生まれになった場所。京都市伏見区。
ひのたんじょういん【日野誕生院】
京都市伏見区日野西大道町19にある。日野の里は親鸞聖人の実家、藤原家があったところで、日野誕生院は、江戸時代末期に親鸞聖人のご生誕を顕彰して日野の里に創建されたお寺。毎年5月の降誕会(親鸞聖人のお誕生をお祝いする法要)は賑々しく営まれる。日野誕生院の隣にある「法界寺」は親鸞聖人の実家の菩提寺でふくよかな姿の御本尊が安置されている。きっとこの御本尊に手を合わせながら、親鸞聖人は幼少時代を過ごされたことと思う。
 
ふせ【布施】
一般的にはお寺に差し上げる御礼のお金。お坊さんの「法施」(ご法事などの読経や法話)に対して「財施」(お金)を差し上げる。お布施なのに読経料と表書きをする人がいるがこれはだめ。お寺にお上げするお金はほとんどお布施。
ふたいてん【不退転】
退いたり転んだりしないということ。しっかり定まった状態。阿弥陀さまの教えを信じ何があっても迷わない姿。他力の信心をいただいた姿。
ぶっき【仏旗】
仏旗とは六金色旗(ろっこんじきき)ともいい、仏教を信じるものの「旗じるし」であり「仏さまの旗」であります。六金色とは、青・黄・赤・白・淡紅の5つの色と、その5つの色が混ってできる色(五色混色)とを合わせて6つの色なのです。
 印度に古くから六金色として六種の色が伝えられていましたが、それは『涅槃経』(ねはんぎょう)の中に「2月15日涅槃(釈尊入滅のこと)の時に、釈尊はお顔から色々の美しい光を放たれました。その青・黄・赤・白・めのう・はり等の光は、広くあらゆる世界を照らし、この光を受けたすべてのもの(六道=地獄(じごく)・餓鬼(がき)・畜生(ちくしょう)・修羅(しゅら)・人間・天上(てんじょう))たちは、みな苦しみと迷いの全部を除かれました」と記されています。その光の中“めのう”はその色は淡紅であり、5つの色が混ってできる色“はり”は水玉ともいわれ無色透明であって、他の五色を映し出すので五種混色として表しています。なぜ5つの色が混ってできる色が無色透明かというと、光の色だからです。絵の具の色は混ぜていくと黒になりますが、光の色は重ねていくと無色透明になります。
仏さまの六金色は広くあらゆる世界(東西南北上下の六方・六道(ろくどう)の一切衆生(いっさいしゅじょう))のものをあまねく照らし護って下さるのです。だからこの六金色旗は仏さまのお慈悲を表しているのです。
 この六金色旗は米国の陸軍大佐オルコツト氏がかつてセイロン島(現在のスリランカ)に渡り、仏教信者となり、仏教研究をされて『涅槃経』により創案され、明治20年(1887年)に日本へ来られると共にこの仏旗を伝えられたのであります。それ以来、日本のお寺や、仏さまの教えを聞くわれわれがこの旗を立てるようになりました。
ぶっきょうさんか【仏教讃歌】
仏様の徳をたたえる歌。沢山あります。恩徳讃、真宗宗歌、聖夜、降誕会の歌、報恩講の歌などなど。
ぶっきょうそうねんかい【仏教壮年会】
仏教の教えを喜ぶ壮年(男性だけではありません)の集まり。各お寺に組織されている。各支部を通して本山を中心とする全国組織になっている。
ぶっきょうふじんかい【仏教婦人会】
仏教の教えを喜ぶ婦人の集まり。各お寺に組織されている。各支部を通して本山を中心とする全国組織になっている。
ぶっそう【仏壮】→ぶっきょうそうねんかい
ぶっだ【仏陀】→しゃか
ぶつだん【仏壇】
仏様を安置しお参りするところ。仏教徒としてなくてはならないもの。仏壇は一家の中心であり心のより所です。ですから、みんながお参りしやすい場所に方角など気にせずにおいてください。
ぶっぷ【仏婦】→ぶっきょうふじんかい
べついん【別院】
「浄土真宗本願寺派本願寺**別院」というのが正式名称。全国にある。本山の直轄寺院。
ほうおんこう【報恩講】
報恩講とは、浄土真宗を開かれた親鸞聖人のご命日法要であるとともに、私たち浄土真宗の門徒が親鸞聖人のご遺徳を偲び、聖人のご恩に感謝申し上げる一年で一番大切な法要です。正法寺では毎年11月の第一日曜日、正午から、正信念仏偈のお勤め、御俗姓拝読、住職挨拶、ご法話と続きます。当日は精進弁当(お斎)の無料接待があります。
ほうしゃ【報謝】
報謝とは報恩感謝のこと。私たちは阿弥陀如来のご恩、親の恩、人やすべてのものから受けるご恩に感謝し、そのご恩に報いる気持ちを忘れてはなりません。
ほうぞうぼさつ【法蔵菩薩】
阿弥陀仏が「仏」になる前の修行中(菩薩の位にあったとき)の頃の名前。この時、48の願いを立て、この願いがかなわなければ、仏になりませんと誓い、これを完成して「阿弥陀仏」になった。
ほうねんしょうにん【法然上人】
親鸞聖人のお師匠さん。浄土宗の開基。親鸞聖人は29歳の時、比叡山の修行に疑問を感じ、法然上人の説く念仏の教えに帰依し、比叡山を下りた。
ほうみょう【法名】
仏弟子としての名前。浄土真宗では釋○○という三字。「釋」の字はお釈迦さまの一族になったという名字で全員につく。その上に○○院という院号がつくこともある。他宗では「戒名」という。キリスト教で言うクリスチャンネームと同じ。帰敬式を受けるといただける。生前法名をいただいてない方は亡くなられた時にいただく。
俗名はその方の国籍、生まれ、家族の中での立場などがわかる。世間のしがらみ(苦しみの中)で生きているという名前。法名はそれから解き放たれた救われた姿の名前。例えば「白川太郎」というかたがおられたら、日本人で、先祖は白川という川の近くの出身で、長男ではないかということがわかります。
ぼうもり【坊守】
住職の奥さん。他宗では大黒さんなどと呼ぶ。
ほうりん【法輪】
仏教のシンボル。船の舵輪に似たもの。お釈迦さまが亡くなって間もない頃は、お釈迦さまのお墓や、お墓をかたどった物をお参りの対象にしたが、時代と共に変化し、法輪になり、仏像に変わっていった。
ほうわ【法話】
お説教ともいう。仏教の教えを讃え、わかりやすく、門信徒に伝える話。お坊さんが話す。
ほんどう【本堂】
お寺の中心となる建物(部屋)。御本尊(浄土真宗は阿弥陀仏)が安置されているお参りするところ。最近の都市部のお寺は、他の施設(客間、庫裡など)と一緒になっていて、本堂が独立してないことがある。
ほんざん【本山】
各宗派を代表する寺院。浄土真宗本願寺派は京都の本願寺(西本願寺)。宗派によっては本山、別格本山、総本山など本山を分類しているところもある。年に一度は本山にお参りしましょう。
ほんぞん【本尊】
本尊とは、信仰のよりどころとなる仏さまのこと。浄土真宗の本尊は、阿弥陀如来の立像です。この本尊は、極楽浄土の教主、阿弥陀如来の分身なのです。仏像・絵像・「南無阿弥陀仏」と文字書きされた六字名号など、いずれも本尊になります。宗派によって仏様が違ったり、同じ名前の仏様でも姿が違います。
ほんがん【本願】 
善人も悪人も生きとし生けるものすべてを救済して、仏の国(浄土)に生まれさせようという阿弥陀如来の誓いのこと。
ほんがんじ【本願寺】
浄土真宗本願寺派の本山。住職は第24代即如門主。詳しくは本願寺のページで。
ほんがんじしんぽう【本願寺新報】
本山が出している浄土真宗本願寺派の新聞。毎月3回、1日、10日、20日に発行される。新聞販売店、書店では売っていません。申し込みは本山本願寺新報社へ。ダイレクトメールで送ってくれます。
ぼんのう【煩悩】
優劣勝負損得が気になってしょうがない私たちの心の中に棲む考え方。本来は煩悩を断じなければ救われなかっったが、親鸞聖人がお示し下さった阿弥陀仏の救いは「不断煩悩得涅槃」というように、煩悩を断ぜずして涅槃を得るという、煩悩を完全に断ぜない我々にとって、とてもありがたい教え
ぼんぶ【凡夫】
まくらぎょう【枕経】
臨終されてすぐにお勤めするお経。浄土真宗では「臨終勤行」という。
まっぽうしそう【末法思想】
大乗仏典では釈尊滅後の時代を正法・像法・末法の3つに分けています。正法の時代は教えがあり、修行をする者がいて、さとりを開く者がいる時代です。像法の時代は、教えがあり、修行する者もいるがさとりを開く者がいない時代です。末法の時代は、教えはあるが修行するものもさとりを開く者もいない法滅の時代のことを言います。正法・像法の時代を2000年と言い、それ以降を末法としています。
日本では釈尊入滅は紀元前949年と考えていたため、末法の時代は1052年から始まることになります。この考え方によって仏教活動が活発になりました。
しかし、正法・像法の時代を2000年としたのは日本独自のものでした。経典においては正法は500年、像法も500年で、正法像法合わせて1000年です。しかし、正像1000年だと538年に仏教が伝来した日本は、最初から末法の時代ということになってしまいます。
これでは仏教を広めるのに都合が悪いので、正法・像法ともに1000年で、正像は2000年という拡大解釈をしたのです。
末法思想が中国から伝えられた平安時代後期は飢饉や日照り、水害、地震、疫病の流行、僧兵の抗争が続き、貴族も民衆も危機感を募らせ、末法の到来におびえました。末法の第一年は1052年(永承7年)に当たるとされ、末法の救いを阿弥陀仏に求める浄土信仰が盛んになり、この年に関白・藤原頼道が宇治の平等院に阿弥陀堂を建立しました。
みだ【弥陀】阿弥陀如来のこと→あみだにょらい
みょうごう【名号】
阿弥陀如来のお徳を名として表したもの。親鸞聖人はこれを六字(南無阿弥陀仏)、十字(帰命尽十方無碍光如来)、九字(南無不可思議光如来)などとお示しになりました。
みょうこうにん【妙好人】
熱心な浄土真宗の門徒さんの総称。「妙好人伝」という本がありその方々の言葉やエピソードが伝えられている。浄土真宗の教えをたよりに一生生き抜かれたありがたい方々。どんな熱心な方でもなかなか妙好人とはいわれない。自分のことを妙好人と言っている人はあやしい。
 
むりょう【無量】
「はかりしれない」「人知のおよばない」「すごすぎてわからない」ということ。無量寿、無量光、寿命無量、光明無量などと使う。
めいしん【迷信】
正信に対する語。本来的には正には邪、迷には悟というのが正しいものです。迷信は俗信に内包され、前兆・予知・卜占・禁忌・民間療法などの俗信の中、社会、個人に実害を与えるものを特に迷信といいます。たとえば水子供養などに迷える人に「タタリ、バチ」などと恐怖心をあおりたて、ますます混迷の中に引き込むものなどです。これは縁起の理法に反するもので、いたずらに人々に不安を与えているのです。
めいにち【命日】
人間としてのいのちが終わった日。仏様として生まれた誕生日。 
もんと【門徒】
特定の寺院に所属し、事務的には「○○寺門徒台帳」に記された方を「○○寺門徒」といい、寺院の護持の責任を担う人を門徒という。それ以外の信者を信徒といいます。門徒はもと「一門の徒輩」と言うことで、師の教えを受ける門弟を指します。浄土真宗の寺院は信者を寺の持ち物のように扱わないのが基本。お寺に所属している「檀家」ではなく、浄土真宗の宗門に属している「門徒」という。お寺の方も「うちの門徒さん」と言わず、「うちの寺でお預かりしている門徒さん」と言うべき。
もんとしきしょう【門徒式章】
「門徒式章」が使われはじめたのは、昭和時代に入ってからのことで、それ以前に用いられていた「肩衣」(裃の上だけのようなものと聞いています。見たことはありません)に代えて本山が制定されました。
京都の井筒法衣店の前社長、井筒雅風氏による「法衣袈裟史」によると以下のような記述があります。
『昭和になってから東本願寺においては、前門主の財政的乱脈建て直しのために相続講を作り、門信徒に寄付を勧奨して新たに門信徒用の呪字袈裟(天台宗の袈裟)を定めて同朋袈裟と呼び、また西本願寺においても門徒用に同様のひも付きの袈裟を定め、式章と称して肩衣に替えて用いました。』
とあります。式章のルーツは天台宗や真言宗の呪字(種子)袈裟のようです。
式章は、僧侶が法要儀式を勤めるため仏様の前に出るとき、法衣、袈裟で正装するのと同様、門信徒の皆様が仏様の前に出るときの正装にもちいます。それは、浄土真宗の門信徒であると言う自覚とその現れです。
もんとすいしんいん【門徒推進員】
門徒推進員とは教団の基幹運動を僧侶と共に実践する門徒で、連研・中央教修を修了した者に、当該教区教務所長(基幹運動推進委員会会長)より委嘱され、門徒推進員名簿に登録されたものをいう。寺院の教化組織、組・教区での基幹運動推進委員会関係者と共に、運動の推進にあたります。親鸞聖人の教えに信順し、如来の本願を大地とし、その教法に生きるものの、誇りと喜びの名のりが門徒です。それを継承する一人として、教団の運動に積極的に参加する人です。
もんぼうかいかん【聞法会館】
京都ご本山にある宿泊所。前からある門徒会館の隣に建った。今のところとてもきれい。門限もなくなった。各種研修会もここで行われる。和洋室整い、一般ホテルと変わらない。
 
ゆいえん【唯円】
歎異抄を書いたとされる親鸞聖人のお弟子。茨城県水戸市河和田の「報仏寺」は唯円開基のお寺。最近本堂が新築になり木造のきれいなものになった。古いガイドブックに載っているわらぶき屋根の本堂はない。24輩の唯円房とは別人。
よしざきごぼう【吉崎御坊】
番地は福井県坂井郡金津町吉崎。比叡山の僧徒に京都東山にあった大谷本願寺を焼かれた本願寺第8代の蓮如上人が、文明3年に建てたお寺。蓮如上人が建てたお寺は山の上。今は山の下。文明7年まで蓮如上人はここにおられ、御文章、正信偈六首引のお勤めの制定をした。「嫁おどしの面」の話でも有名。
よしみず【吉水】
法然上人の吉水の草庵、現在の安養寺のこと。境内地から泉が涌き「吉水の井」といわれ、京都の名水の一つになっている。茶の湯の方が寺の下にある吉水弁財天にお参りされる。
親鸞聖人が比叡山より、六角堂の観世音菩薩に参籠中に夢告をうけ、吉水の法然上人を訪ね、ここで念仏の教えに出会われる。
よびごえ【呼び声】
私に聞こえてくる、「南無阿弥陀仏」のお念仏こと。Namoamidabutsu.The name that calls.
らいはい【礼拝】
りやく【利益】
自分勝手な願いを神仏にかけそれが叶ったときに「ご利益」があったと喜ぶのが一般的な利益と言う言葉の使い方。正確には法力(修行)によって自らに授かる利福を功徳と言い、他に与える利福を利益という。自分勝手な御利益を願って、浄土真宗の阿弥陀さまに頼み事の為のお念仏を称えるのは、教えからはずれる。
りょうげもん【領解文】
ご法話を聞いてその教えを「確かに心得ました」ということを、言葉に出して言うように、本願寺第八代蓮如上人が作られたものとされている。
安心、報謝、師徳、法度の四段で構成されている。ご法話のあとに、世話人などが「領解出言」と言って、その後に続いて一同で領解文を読む。
りん【鈴】
仏壇にある鐘。読経の前にチ〜ンとたたくもの。一般家庭の仏壇にある小型のきんを「りん」と言うことが多い。お寺の本堂にある大きなものは「きん」という。
りんじゅう【臨終】
りんじゅうごんぎょう【臨終勤行】
るざい【流罪】
流罪に三種あり。遠流、中流、近流。遠流が佐渡で近流が越前なので、親鸞聖人が念仏停止で流罪になり(親鸞聖人35歳の時)、京都から越後に流されたのは中流くらいに当たるのか(私見)。しかし御伝鈔には「姓名を賜ひて遠流に処す」とある。
れんにょしょうにん【蓮如上人】
本願寺第8代宗主。それまで寂れていた本願寺を隆盛にしたお方。「本願寺中興の祖」ともいう。正信偈のお勤めを制定されたり、御文章を発行されたりその功績はたくさんある。その他「蓮如上人」で検索してみてください。
ろうそく【蝋燭】
ろくじ【六字】
「南無阿弥陀仏」のこと。御本尊としての「南無阿弥陀仏」をさして言うときに使うことが多い。
ろっかくどう【六角堂】
京都市中京区堂ノ前町(京都の町なか)にある頂法寺というお寺。聖徳太子の創建と言われる。親鸞聖人はここで救世観音の「行者宿報設女犯 我成玉女身被犯 一生之間能荘厳 臨終引導生極楽」という夢告を受けた。親鸞聖人のターニングポイントのお寺。
 
わきがけ【脇掛】
お仏壇の御本尊の両脇(左右)に掛ける軸。御本尊が阿弥陀如来の絵像だと、右が親鸞聖人の絵像、左が蓮如上人の絵像。御本尊が「南無阿弥陀仏」の六字名号だと、右が十字名号(帰命尽十方無碍光如来)、左が九字(南無不可思議光如来)となる。
わさん【和讃】
仏さまや高僧(こうそう)がたのお言葉を、和国(日本)の言葉でみんなにわかりやすく、ほめたたえられたものです。親鸞聖人のつくられた、「如来大悲(にょらいだいひ)の恩徳(おんどく)は 身(み)を粉(こ)にしても報(ほう)ずべし 師主知識(ししゅちしき)の恩徳(おんどく)もほねをくだきても謝(しゃ)すべし」という和讃は、恩徳讃(おんどくさん)として多くの人に知られています。これは、み仏の大悲に救われる喜びと、この救いを伝えて下さった方々のご恩に、深く感謝する気持ちがうたわれています。