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     日本で最初にラーメンを食べた日本人

 日本で最初にラーメンを食べたのは、水戸の光圀正しくは家康の孫にあたる徳川光圀である。いわゆる水戸の黄門さまである。 何故そんなことになったのであろうか。光圀は大の中国びいきで、中国かぶれにしたのは学問の師である叔父の徳川義直であり決定的にしたのは朱舜水(しゅしゅんすい)という一人の儒学者であった。
 光圀をラーメン党にしたのもこの朱舜水なのである。 光圀が朱舜水を招いたのは儒学に造詣の深い中国の儒学者から直に本領を学びたい、立派な儒学者を師として迎えたいと思っていたのである。長崎に朱舜水というすぐれた儒学者がいる噂を聞き、招く事になるのだがなかなか「うん」とはいわなかったのである。
 江戸に迎えるまでになんと1年余の歳月を要している。対面できたのは寛文五年七月(1665年)朱舜水六十六歳、光圀38歳のときであった。光圀は腕によりをかけたお手製のうどんで朱舜水をもてなしている。光圀はうどんが大好きであったが江戸城内でいつでも食べれるわけではない。そこで密かに巷に出ると一人ひそかにうどん屋に入る。
 店の味較べは当然の成り行きである現在のラーメン同様である。その結果一番気に入ったのが浅草の「瓢箪(ひょうたん)屋」であった。なにかにつけかようようになる。そのうち職人の仕事に興味を持ち馴染みになってうどん打ちを教わる。
 このうどんで朱舜水が大喜びしたことはいうまでもない。そこで朱舜水は光圀への返礼として伝来の麺を打ってもてなした。スープは腿肉を塩漬けにした中国式のハムでとった。麺好きの光圀が尊敬する儒教の国の麺と出会ってすっかりその味の虜になってしまったことは十分想像できる。
ともかく三百年よりももっと前にラーメンを食べた日本人がいた。この黄門ラーメンは、新横浜のラーメン博物館の1階ギャラリーに展示してある。
参照 にっぽんラーメン物語 小菅桂子著