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ラーメンとシナチクの同居

異国の味であるシナチクを日本人の大好物にしてしまったのは南京街の一品料理屋であった。昔台湾では、どこの家庭でも麻竹を乾燥して笋干(スンカン)にして保存しておき、必要に応じて水でもどして使った。貧しかったから豚一頭を潰すとそれを一週間の十日かけて煮込んで毎日食べるものだったそうである。味は醤油味で豚の脂がシナチクに染み込んでおいしくなるのです。正月とか、おめでたい時に作るそうです。おふくろの味なのである。
南京街の食堂というところは、店の仕事が一段落すると客がいても気にすることなく、店のテーブルがそのまま家族の茶の間に早代わりする。いまも変わらぬ光景ということは昔はもっと日常茶飯事であっただろう。だから店にいれば、彼らが普段どんな食事をしているか一目瞭然である。そんなある日のこと、客の一人が彼らのおかずの中に豚肉とシナチクの煮込みがあることを発見した。興味深く、それでも遠慮しいしい見ると、まことにおいしそうなのである。あれはなんだろう!その客は馴染み客であった。だがそれを聞くだけの勇気はなかった。しかしそれからもずっと気になっていた。
その日も南京街のその店にいた馴染み客は「今日こそは!」とついに一大決心をする。なにを決心したかというと、「おじさん!ちょっと聞きたいんだけど、おじさんたちがよく食べているあのおかず、あれはなんていうのかなぁー。ホラ、豚肉となにかと煮たの。そうそう、それそれ!それちょっとそばの上にのせて食べさせてくれないかなぁー。前から一度食べてみたいと思っていたんだ」びっくりしたのはみせの主である。しかしそこは郷に入ったら郷に従いながら世界各地で財を築いてきた華僑である。あるじは客のいうままラーメンの上にシナチクを山盛りにして、「お待ちどお!」(どんぶりを目の前にした客、しばし無言、黙々と箸を運ぶ。突然その客が感激したように叫ぶ)-「おじさん、こりゃあうまいよ」ここにおいてラーメンとシナチクの出会いが成立したのである。以来必ずこの取り合わせをリクエストする。友人とくれば人にも勧める。こうしたことが度重なれば、これは商売になる!値段も高く取れる。筍なら日本人にも馴染みの味だしこれはいけるに違いない。とにかく上にのせて試してみよう。あるじはその日からというもの、カウンターの中から日本人の客の反応を見る。するとこれが大成功!なのである。そうか、豚肉の旨味の染み込んだ、それでいて歯切れの良い笋干はきっと日本人好みなのだろう。よし、この手でいこう!そう決心したのである。「ラーメン」に「シナチク」という今日に伝わるラーメンの基本形の半分はここに成功をみたのである。
この情報が南京街を駆け巡るのに時間はかからなかった。南京街の一品料理屋は一致団結してそばの上にシナチクをのせるようになる。客の発想というのはなかなかユニークなもので、カツカレー、天津丼。親子丼。味噌ラーメン・・・・いずれも客の注文をヒントに生まれたものなのである。
来々軒では水で戻した笋干(スンカン)を豚のバラ肉と一緒に粗目と醤油で3,4時間かけて煮て、更に豆炭とか練炭の上に乗せておいたそうだ、つまり来々軒では回転した段階から、シナチクを豚の三枚肉でにてそばの上にのせるという基本スタイルは完成していた。