大人になったノリック |
■ヤマハ発動機発行「WAY」1998年5月号掲載・1998年4月取材 |
日本グランプリは、阿部典史のためにある。'94年の衝撃的なGPデビュー以降、日本グランプリは彼を中心に回っていると言っても過言ではないだろう。誰もが、'96年の優勝の再現を期待している。それは、阿部がまだ、日本グランプリでしか勝っていないことを際だたせてしまうのだけれど。 その阿部が、決勝レースの12周目、テールを振られた岡田忠之のマシンと接触し、コースアウトしてしまった。岡田はレース後の表彰台上のインタビューで、そして記者会見の場でも、真剣な表情で阿部に詫びた。 「ちょっと失敗してリアタイヤが滑っちゃってね。何とか立て直したけど、アウトにはらんだ時に阿部にぶつかって……。悪いことしちゃった。後で謝りに行こうと思ってるんですよ」 首位のマックス・ビアッジが独走し、レースは2位の座をかけて阿部、岡田、そして芳賀紀行の三者でコーナーごとに順位を入れ替える激しいバトルとなっていた。サイド・バイ・サイドの接戦の中での阿部と岡田の接触は、やむを得ないレーシングアクシデントに見えた。その割には、岡田の謝罪の仕方は真摯だった。 やはり日本グランプリは阿部のもの、という空気が鈴鹿サーキット全体を覆っていたのだ。岡田は阿部に謝った、というよりも、阿部に期待をかけていた観戦者たちに謝ったかのようだった。 さらに阿部は、17周目のデグナーカーブで、アレックス・クリビーレに押し出される形で再びコースアウトしてしまう。真っ正面から、どすん、とタイヤバリアに突き刺さるマシン。転がり落ちた阿部は、天を仰ぎ、拳を叩きつけ、怒りを露にした。 ライダーのそういう動作は、ヘルメットを被っていて頭が大きく見える分、何だか子供がダダをこねているようで、妙にかわいい。モニターで、荒れる阿部の様子を眺めていたチーム監督、ウェイン・レイニーも、リタイヤか、というような状況の割には爽やかな笑顔を浮かべている。 「あいつ、まだ若いなあ」 とでも言いたそうなその笑顔には、兄が弟に向けるような優しさがあった。 阿部がコースアウトした瞬間、プレスルームは「うわぁ……」という暗いため息に包まれたが、レイニーの表情がモニターに映し出されると、あちこちから、ささやかではあったけれど、笑い声が聞こえた。 「アウトから抜こうとしたら、ぐーっと僕の方に寄ってきて、行き場がなくなっちゃったんですよ。あそこは砂が深いから、コントロールできなくって、タイヤバリアに突っ込んじゃった。あれはねぇ、日本グランプリじゃなくても怒りますよ。岡田さんのはしょうがないと思うけど、アレックスのは頭に来ましたよね。結構あそこ、スピード出てるんですよ」 レース後、しばらく時間が経ってからピットで会った阿部は、もうサバサバした表情をしている。真っ白でパリッと糊のきいたYシャツが眩しい。しかし、言葉はまだ熱を帯びていた。 どすん、で、これはリタイアだろう、と思った。しかし阿部は、壊れたマシンに跨り、再スタートを切る。 「オフィシャルがマシンを押すのを見てたら、まっすぐ走ってっから、これはイケると思って。スクリーンがなくなっちゃってたから、ストレートなんか伏せてるだけで精一杯なんですよ。前なんか見てらんないの」 完走はしたけど、悔しいね。 「何もなければ、絶対2位にはなれたレースなんですよ。でも、もう終わったことだからね。……ホントは日本グランプリは特別だから、勝ちたかったんですけど」 話している間、阿部は何度か「日本グランプリは特別だから」と言った。さっぱりとした表情でそんなことを言うから、余計に悔しさが強調される。 紀行選手と一緒にバトルしてみて、何か感じたことはあった? 「ワイルドカードでしょう、芳賀くんは。だからレースの組み立て方とかが全然違うんですよね、レギュラーのライダーと。何でこんなところで無理に抜くんだろう、とか。もっとスムーズに抜けばいいのに」 僕は、'94年の日本グランプリに56番のゼッケンを付けて出場し、勢いにあふれた走りでさんざん上位陣を引っかき回し、一時は優勝を期待させ、そしてリタイヤした阿部の姿を思い出した。あの1戦で、阿部は世界への切符を手に入れたのだ。あの時シュワンツは、ドゥーハンは、阿部についてどうコメントしていただろう。……もうあれから4年も経つのだ。 ちょうどその時、岡田が阿部のピットへやって来た。 「ごめん、ごめんな!」 阿部の手を取り、握手をする。二人ともニカニカと笑っている。 「おめでとうございます」 が、阿部の第一声だった。岡田の2位を祝っている。 「いや、ホントにごめんな」 「しょうがないっすよ、アレは」 「いやホント、悪かったよ」 「いいっすよ、岡田さんには次は勝てるから」 「おう、どーんと来いや」 胸をどん、と叩くと、岡田は去って行った。 「岡田さんには」という阿部の言葉が、少し気にかかった。それにさっきも、「絶対2位にはなれた」と言ったが、「絶対優勝できた」とは言わなかった。 ビアッジ、ちょっと抜け出ちゃった感じがするけど、勝てそうにないかな? 「うーん……。っていうか、勝たなきゃダメなんですよ」 阿部は少し固い笑顔を浮かべた。 でも、マシンの仕上がりからすれば、去年に比べれば優勝は近づいたでしょう? 「去年は自分の走りができるバイクじゃなかったですからね。今年のマシンはすごく良くなってますからぁ……」 じゃ、勝てる? 「っていうか、勝たないと……」 阿部の肩にのしかかっている重圧が、僕にはひしひしと感じられた。何も考えず、闇雲に突っ走っていれば良かったノービスの時代と、今とでは、抱えているものの重さが違う。 ね、くだらないこと聞きたいんだけど、その髪型は何て言うの? 阿部は、トレードマークだったストレートヘアに、ホワッと広がる細かいパーマをかけていた。僕はその髪型の名前を知らない。 「これですか? ワッフルヘアーっていうんですよ。去年の11月ぐらいにかけたんですけど」 ずいぶん大人っぽく見えるね。そう言おうとして、僕は言葉を呑み込んだ。それが阿部にとってほめ言葉になるのか、分からなかった。 |
'98年の日本グランプリには、ヤマハ広報の仕事で行かせてもらっていた。その時に拾ったネタで書いたコラム。これまでは「文字数無制限デスマッチ」式原稿しか書いていなかったが、コラムには「なるべく短く」という(ゆるやかだけど)制約がある。そういう意味ではとても勉強になった。 勉強、という意味では、'96年、ノリックが優勝した年に、編集長のIさんが日本GP&ノリックという同じテーマでコラムを書いていて、それが自分の中でとても強く印象に残っていた。プレスルーム内で、日本人プレス対外国人プレスが険悪な雰囲気になっていたが、ノリックの優勝に両者が感動して打ち解けた、という話だった。ああ、レースはこういう観点からも書けるんだ、と目が覚めるような思いがした。 僕は当事者に話を聞かないと気が済まないタチだが、そうではなくてもちゃんと目を開いてさえいれば、表現できることはあるんだ、と気付かせてもらった。 結局、この原稿でもノリックに話を聞いているけど……。 |