サーキットで見つけた道標

■ヤマハ発動機発行「WAY」1998年6月号掲載・1998年4月取材

 芳賀紀行に対して持っていた興味は、はっきりと言ってしまえば、イマドキのチャラチャラした若者が、なぜレースなどというストイックな場に身を置き、なぜそこで頂点に立てるのか、という一点に尽きる。
 昨年の暮れに紀行と兄の健輔、それに祖父を含めた家族と共に時間を過ごし、僕は何となく答えが見えたような気がした。でもそれは、言葉にできるほど明確なものではなかった。
 鈴鹿で行われた日本GPで、僕は紀行に会うのを楽しみにしていた。サーキットの中で彼を見つめていれば、答えが見つかるかもしれない。今や彼は世界の人である。日本で会うのが困難になってくるなか、日本GPは貴重な機会だ。
 紀行に会ったのは、去年の11月が最後だったから、5ヶ月ぶりになる。顔を見るまでは、すでに20歳を超えた若者が、たかが5ヶ月で変貌するわけがないだろう、と思っていた。実際、久々に会った紀行は、髪が緑色になっていただけだった。
 金曜日の予選後、ヤマハレーシングチームは記者会見を行った。100人ほど入れる大部屋に、イスが並べられている。白いクロスでカバーされた正面の長机には、紀行と阿部典史が中央におり、そのふたりをヤマハ総監督の飯尾俊光とWGP500監督の桜田修司が挟んで座っていた。
 プレスで、部屋はいっぱいだった。それぞれがスピーチをするのだが、紀行と阿部の方が、飯尾や桜田よりもよほど場慣れしているように見えた。
 その様子を何気なく眺めていたとき、僕はなぜ紀行がレースの世界にいるのか、なぜ高い位置にいられるのかが、さらに分かったような気がした。
 飯尾と桜田の役割は極めて明確である。WGPという戦いの場で、ライダーを勝たせるために、チーム内に発生するすべての出来事をコントロールし、回していくのが彼らの仕事だ。
 もちろんこれは彼らだけの仕事ではなく、ウェイン・レイニーの仕事でもあり、エンジニアの仕事でもあり、メカニックの仕事でもある。飯尾の場合は、ヤマハが参戦するあらゆるレースを視野に入れながら、やはりすべてを掌握し、管理する。
 目的は、どうあってもライダーを勝たせること。ただそれだけが彼らの仕事だ。ライダーももちろん努力をするけれど、周囲の強力なバックアップなしには、勝利はあり得ない。
 記者会見の会場で、僕の目には飯尾や桜田が父親に、紀行や阿部がその子供に見えた。
 汗をかきかき、必死で外国人プレス向けの英語スピーチをするお父さん。それを横目に、つまんなそうな顔をしている子供たち。でも、父親がいなければ、子供たちはまったく無力だ。子供たちにいい思いをさせてあげたいと、父は必死である。そのことを子供たちは重々承知している。その上での、つまんなそうな顔なのだ。
 父が全力で子供をサポートする。子供は父を信頼し、その期待に応えようと頑張る。ごく当たり前のことが、ごく当たり前に行われている世界なのだ。
 優勝して、ライダーが喜ぶのは分かる。しかし時にそれ以上に、メカニックやチームスタッフが喜ぶ姿を、僕は見てきた。それがなぜなのか、今になって心に響いた。
 チームは家族なのだ、と言い切ってしまってもいいと思う。しかもそれは、アットホームという意味においてだけの家族ではない。あるモデルにすべき集団なのだ。
 普通の家庭以上に、リーダーである父親の立場が明確で、権威があり、誇りを持っている。家族の進むべき道も、構成員の誰もが完全に理解している。「勝つつもりはないんだけど」とか、「勝つことにどんな意味があるの?」とかいう、曖昧さ、青臭さが入り込む余地は、ここにはない。
 子供たちであるライダーも、やるべきことがはっきりしている。親に認められているという安定感もあるし、まっすぐなプライドもある。何よりも、目が生きている。
 それでいて、チームを取り巻く雰囲気は厳しいだけではなく、温かい。
 レースから学ぶべきものは、まだまだ多い。紀行の家族と一緒に過ごした時とまったく同じ道しるべを、鈴鹿で僕は再び見せられたような気がする。

 ……と、いうようなことを、鈴鹿からの帰途、ハンドルを握りながら森さんに向かってずっと話し続けた。当たり前のことに気が付いただけなのに、興奮してしまっていたのだ。
 森 紀子さんは英語力とライダーに対する顔の広さを生かして、ヤマハファクトリーの取材を手伝ってくれる、物静かで聡明な女性だ。興奮してわめく僕に、穏やかに相槌を打ってくれる。
 ひとりでひとしきりしゃべった後、僕はようやく落ち着いた。
 ね、森さん!
 最後のダメ押しで相槌を求めた。森さんはしばらく考えたあと、こう言った。
「そうね……。それは、高橋さんに子供がいるからじゃない? だからレースも、そんな風に見えるんだよ」
 うおー! 思わず僕は叫んだ。本当に叫んだ。鋭い。
 僕には2歳の息子と、0.3歳の娘がいる。彼らが生まれて、僕と妻は拍子抜けしたものだった。子供の誕生は、僕たちの人間性に劇的な変化をもたらすものだと思っていたからだ。現実には何も変わらなかった。僕は僕のまま、妻は妻のままだった。
 だが、知らないうちに僕の目線はすっかり親のものになっていたようだ。森さんの一言で、僕はそのことに気付いた。
 いつでも、子供たちのことを考えている。彼らには、今現在の素晴らしさ(!)のまま成長してほしい。そのために親である僕と妻は、何をしてあげればいいのだろう。
 そんな考えが、ずっと頭の中にある。レースの現場でも、すべてそういうフィルターを通して物事を見ているようだ。
 しかし、それぐらい考え続けてもいい問題だと思う。親と子の関係については、どれだけ考えても、考えすぎと言うことはない。何しろ、子供たちだけが未来に生きるのだから。
 そして、サーキットで僕にうっすらと見えてきたのは、単純なものだった。
 親は親であるべきなのだ。逆に、親でいさえすればいい。子供は、子供であるべきなのだ。そして、子供でさえいればいい。少なくともある世界で一流と言われる人間たちは、この当たり前のことを確実にクリアしている。そして、レースの世界そのものが、この当たり前さを失わずに保ち続けているのだ。
 レースは、大きなお金が動くスポーツだ。しかも、ライダーの体一つではなく、マシンが必要である。多くの人たちが関わり合いながら、ライダーたちに期待をかける。
 今年、全日本ロードレースGP250クラスで戦い、開幕2連勝を挙げている中野真矢は、第3戦筑波を前に、こんな話をした。
「いやぁ、ファクトリー入りして一番驚いたのは、こんなに大勢の人たちが僕なんかのために働いてくれるのかってことですね。ホント、今でも『ああいいですから僕がやりますから』って言っちゃいそうになるぐらい。もう、何から何までやってくれるんですよ。申し訳ないぐらい」
 そのことに気付いた人だけが、さらなる高みに進んでいく。
 ワールドスーパーバイクでも、紀行は迷わず突き進んでいる。ドニントンパークで勝利を収めた彼と、電話で話をした。好調の原因を尋ねると、彼はこう答えた。
「スタッフとも分かり合ってますからね」
 全日本の時のスタッフなの?
「そう。去年のエンジニアとメカニック。全員日本人だしね」
 じゃあ、気心は知れてるんだ。
「そうですね。チームの雰囲気がすごくいい。セッティングとか、分かんない時はエンジニアも一緒になって考えてくれるんスよ。ライダーってわがままだから、気持ちよく走れないと、どうしても周りの人に当たっちゃう時がある。でも、そういう気持ちもよく理解してくれて、受け入れてくれる。何でもハッキリ言えるし」
 でね、と紀行は続ける。
「スタート前、『どんなレースになんのかなぁ』ってスタッフに聞くんです。『周り速そうだから、ペースも上がるだろうね』とか。弱気なこと言ったりする。そうすっと、『だいじょぶだいじょぶ。絶対イケるから、大丈夫だって』って、周りのスタッフが盛り上げてくれる」
 スタートしてしまえば、チームのスタッフは紀行にすべてを託して待つしかない。
「周りがちゃんとやってくれるから、オレはオレなりの仕事をちゃんとしないとって。スタートしてからがオレの仕事だから」
 このレース、第2ヒートで紀行は一度オーバーランしている。
 ああもうダメだ〜って思った?
「ううん。ダメとは思わなかった。自分の責任だからさ。やっべー、やっちまった〜とは思ったけど、ダメだとは思わなかった」
 レース後、トレーラーで着替える紀行が出てくるのを待って、イギリス人ファンが行列を作った。お前が世界ナンバー・ワンだ、と声をかけられる。
 うれしいね、そういうの。
「うーん、うれしくなくもないって感じスね。まあ頑張ってるから、それぐらいあってもおかしくないんじゃないかな」
 オレはオレの仕事をちゃんとする。自分の責任。頑張ってる。図らずも紀行の口からこぼれ出たこの言葉に、かっこいいなコイツ、と思った。
 やはり、レースの世界から学ぶべきことはまだたくさんある。
 僕は、そう思う。


前号で、'98年日本グランプリのノリックについて書いた。今号では、同じレース(プラスα)の、紀行について書いた。対象が違うことで、ずいぶん方向性やフィニッシュが違うものだ。

と、ヒトゴトのように書いてみた。

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